先日、花菖蒲を記しましたが、梅雨の時期にはもう一つ有名な花があります。

言うまでもなく、紫陽花ですね。

子供の頃、TVかラジオで聞いた「雨に咲く花あじさいの・・・・」のフレーズが妙に頭に残り、梅雨の少ない北海道で育った私でも、雨の日に紫陽花の葉を大きいカタツムリが動いているのを見て季節を感じました。

フォロワーのYさんから『いろんな所で紫陽花が咲いていますよ。』との連絡もあり、胃腸炎も多少良くなり、紫陽花の季節も終盤を迎えるので見に行くことにしました。

まだ完調ではないので、家から近い文京区の白山神社がいいかなと思い、短い時間でしたが出

かけました。

①  白山神社

創開は古く、天歴年間(947~957)に加賀一宮白山神社を現在の本郷一丁目に歓請したことにあると言われています。

元和年間(1615~1624)に2代目将軍徳川秀忠の命で、今の小石川植物園内に移したが、その後館林藩主だった5代将軍綱吉の屋敷の造営のため、明暦元年(1655)現在の地に移ったという事です。

この縁で、綱吉と生母桂昌院から厚く帰依を受けました。

この白山神社が加賀から歓請したと聞き、かつて勤務した会社で、北陸の方に出張した時、白山信仰のことを聞き、古くから霊山信仰の聖域として、生活に不可欠な‘命の水’をいただける神々の山という事を聞きました。

想像ですが、そのご利益をいただくために来ていただいたのではと思っています。

出かけたこの日は、あじさいまつりの終盤で、多くの人が訪れ、地下鉄の入口にも紫陽花が咲い

ていました。

本殿にお参りしたり、私のように咲いている紫陽花の撮影をしたり、地元の東洋大学の学生さんがボランティアでお祭りのイベントの手伝いをして、かなりの混雑ぶりでした。

色鮮やかな紫陽花が咲き誇って見て癒されました。

②  八百屋お七の墓

当初は、そのまま帰ろうかと思いましたが、歩いてすぐの所に有名な八百屋お七のお墓があると聞いて立ち寄ることにしました。

場所は、白山神社からすぐの圓乗寺という天台宗のお寺で八百屋お七の菩提寺であったと言わ

れています。

この話は、井原西鶴の『好色五人女』に取り上げられ有名になったもので、八百屋お七が実在の人物かどうかは、ほとんどわかってなく、戸田茂睡の『御当代記』の天和3年の記録に残っているだけです。

話の内容は、天和2年(1682)12月、大火事で焼け出された八百屋お七の一家は、檀家である圓乗寺へ避難していて、そこでお七はこの寺の小姓に一目ぼれして恋仲になりますが、やがて店も再建され、一家も元の家に戻りましたが、お七の小姓に対する思いは更に強くなり、火事になればまた会えると思い込み、翌年3月に自宅に放火し、未遂であったが江戸時代の放火は大罪で、3月29日に鈴ヶ森で火あぶりの刑になったというのが八百屋お七事件と言われています。

しかし、前述の通り詳しいことはわかっておらず、小姓も本当の人物が誰かわからず、伝承されている所もいくつかあります。

圓乗寺には、本堂の前に寺が3基あり、中央が寺の住職が供養のために建て、左が近所の有志の人たちが、270忌の供養で、右が寛政年間(1787~1793)に歌舞伎役者の五代目・岩井半四郎が、お七の墓として墓石を奉納したものです。

鈴ヶ森には、お七の火あぶりの時の台が残っているとのことです。

かつて、坂本冬美さんが歌った『夜桜お七』もこのお七がモデルだったのでしょうか?