なんだか前回は何を言いたいのかわからないブログになってしまいました。
河村市長の手法について少し考えてみたいと思います。

「小泉劇場」という言葉が一時言われました。また我々地方議会に属するものでは、「改革派知事」なる言葉もありました。

当時の肩書きでいいますと、片山善博鳥取県知事、増田寛也岩手県知事、浅野史郎宮城県知事、北川正恭三重県知事などが「改革派知事」と言われた方々で、政治の酸いも甘いもとは言いませんが、かなり高レベルで「日本の政治」の中において仕事をしてきた経験を生かして、行政運営のあるべき姿、理想像を描き、実行した知事だったと思います。

次に思い浮かぶのが、田中康夫長野県知事。最後は長野県民に捨てられましたね。前述の実力派改革派知事と大きく違うのは、仕事をするのではなく「パフォーマンス」をするのが節目節目にあり、それによる支持率の維持という結果が最後の結果だったような気がします。もともと作家?兼タレントだったわけですが、石原慎太郎東京都知事とはまた異質のような気がします。

さてもっと古くは、青島幸男東京都知事、横山ノック大阪府知事。失礼ながら似た者知事のような気がしますが、これと言った実績を残せたかどうかは「?」のような気がします。

そして東国原英夫宮崎県知事、橋下徹大阪府知事とメディアで知名度の高い首長が新しいカタチとでも言うべき、小泉純一郎総理のような「劇場型政治」が地方に波及してきています。

その典型とも言うべき現場を今回は視察させていただいた感じです。河村たかし名古屋市長。民主党衆議院議員として活動をしてきた後の市長選挙出馬、当選となっています。私個人の見解としては、大衆迎合政治を体現する政治屋だと思います。

東国原英夫知事、橋下知事、河村市長の共通点は、メディアで知名度を上げておいて(意図的か否かは別ですが)、大衆を最大限引き付けておいて、自信の発信力を最大限にした後、自身の政策(と言えるかどうかは別として)を実行に移そうとする。という手法のようです。

東国原英夫知事は、自身の発信力や立場をわきまえ、どちらかと言えば全体的融和路線という感じ。橋下知事は、職員組合を敵に回したり、教員を敵に回したり、大阪市長を敵に回したりと、次々に敵を作り、話題を作り、目的を見せつけて、敵を変えることによって大衆を常に引き付けています。先般の選挙で市長となり、これからの行政運営は注目ですが、果たして、いいのだろうかという感じの目で見守って行きたいと思います。

さて、河村名古屋市長。我々議会人にとっては最低です。情報発信力を武器に、「カネ」という人質を取り、「議会」を敵にして、一点突破のようなカタチで行政運営をしています。

大衆を引き付けるのは政治家の一つの資質かもしれません。それは「議員」であれば種々雑多な「議会」「国会」などでは許容の範囲かもしれません。しかし、首長とは公選で一人しか選ばれず、その自治体の運営に全責任を負うものです。河村市長のように「減税」に焦点を当てるのは結構でしょうが、市政運営全体のバランスを保ちながらという部分ではいかがなものでしょうか?

名古屋市会議員さんに聞いた話では、名古屋市全体のことを勘案しながら意見を申し述べても、「だったら市民に聞いてみればいいだろう(もろ名古屋弁でいうらしい)」ということで、議員の言うことに耳を傾けず二言目には「市民に聞け」ということのようです。もうこの事自体とっても、首長としての仕事を放棄していると言わざるを得ません。自分の考えを市民の声にすり替え、実行に移す。異常としか言いようがありません。

また、頭を整理して続きを書きたいと思います。