ようこそ


あなたの心と温かくつながる

コミュニケーションアート

スターリィマンの世界へ


こんばんは


おひな祭りの昨日は

とっても温かくて


皆さんはどんな一日でしたか?


私たちは

東京都北区にある

飛鳥山公園の敷地内にある


渋沢資料館の講座

「かわいい、かわいい人形さん

ようこそ日本へ!

〜記録映像でみる日米人形交流〜

「青い目の人形」に

参加させて頂きました。



皆様もご存知と思いますが

日米人形交流の青い目の人形

実はなぜ始まったかご存知でしょうか?


大正13年の

アメリカで「排日移民法」が

設立する前後に


日本人移民の排斥運動が過熱し

日米間が悪化の事態に、


心を痛めた渋沢栄一候と

親日家の

シドニー・ルイス・ギューリック氏は


全米48州から集めた平和の使者となる

「青い目の人形」を子どもたが

中心になって

日本中の子どもたちに贈りました。


日本からは,その返礼として

渋沢栄一候がまとめ役となり

58体の「答礼人形」を贈りました。



「排日移民法」可決から3年

渋沢栄一候とギューリック氏が

求めた日米親善の思いが

人形に託され


アメリカと日本の子どもたちの間で

友好と信頼が築くことができたのです。


当時4歳の渋沢栄一候の御孫子

鮫島純子氏も一役を担った。


鮫島純子氏からお伺いしたり

ご著書にもありますが


純子と言う名前は

祖父につけて頂きました。

とご本人様の純子様にも

お伺いしましたが


私が誕生した大正11年(1922年)は

祖父・栄一が82歳

「日本としては世界平和の根本は

日米親善の基礎」との認識の上


老骨に鞭打って排日運動を和らげよう

という目的の渡米から帰国した年でした。


その純子様が

日米両国の大使となる

「青い目の人形」と

「返礼人形」の親善に

一役かっていらっしゃったのです。


その鮫島純子様は

昨年の1月19日に

渋沢栄一候や

ご家族の待っている天に

帰還されたのです。


鮫島純子様とのご交流を賜り

その記録と共に沢山の尊い

平和のメッセージを頂きました。




   鮫島純子様と出会わせて頂き

  渋沢栄一候に感謝申し上げます。


皆様にいつか

渋沢栄一候との縁のお話も

聞いていただけましたらと

願いながら


皆様にとって

肉親以外に


いつも心にいらっしゃる方は

どのような方々ですか?


きっと

出会わせて頂きました

学ばせ頂きました



自身の生きる道を照らしてくださる

スターリィマンなのかも知れません。


最後まで

読んで頂きありがとうございます。


では、皆さん

今日もありがとうございました。


ゆっくりおやすみなさい💤⭐


追伸

ウクライナ世界平和作品

「夢が叶うように」のYouTubeが

本日3月4日で以下のように

視聴頂いておりました🙏感謝