日本への道すがらです。

今回の東京でのコンサートは大曲、

「冬の旅」ですので、練習期間に2週間をとって

ちょうど間に合う、というところでしょうか。

今回は二曲目、「風見鶏」の解説です。


まずはこちらの演奏の冒頭部分を聞いていただきたいと思います。




この、けたたましい、ピアノのメロディは

強風が吹き荒れる音と、

大きな屋敷の屋根にある風見鶏が

その風に狂ったように回る様子を描写しています。



こんな感じのですね。



シューベルト天才過ぎます!



その屋敷は主人公の例の失恋の相手の住んでいる屋敷、

一曲目で解説しましたように、

よそ者、流れ者の主人公が

結婚も視野に入れていた、

ということは、

婿養子に入るはずだった裕福な家です。


その屋敷の風見鶏が

主人公を追い立てるかのように

けたたましく音を立てるところから始まるのが

この2.曲目です。



私の作った意訳はこちらです。


2. Die Wetterfahne 風見鶏

あの子の屋敷の

風見鶏が狂ったように回る。

吹き荒れる風、狂気のなかで、

それは、哀れな流れ者の俺を追い立て、

叫び立てているかのようだった。

気付いていればよかった。

このような家に俺についてくる子がいるわけがないことに。

同様、俺の心の中で風見鶏が狂ったように回る。

ただ音だけは立てずに。


今ならわかる。お前たちの娘は金持ちの花嫁なのだ!



この曲は

意味がとても大切な部分なので、

かなり意訳してしまっています。


Ihr Kind ist eine reiche Braut !!



と、最後に叫ぶところですが、

ここでの

「お前たち」は、この屋敷の主、

つまり彼女の両親のことです。


その、お前たちの娘は

金持ちの花嫁だ!


と苦々しく叫ぶ主人公ですが、

これはつまり彼女は、金持ちとしか、

又は、土地の有力者としか結婚をしない、

そういう立場の娘なのだ

ということを言っています。


それに今になって気付いた。

と、そういうことなんです。


そんなことに気づかずに、

想いのまま突っ走ってしまったことを後悔する。


そういうシーンなんですね。



前回の記事でも紹介しましたように、

ドイツの文学、芸術全般に

この、社会的な有力者であり、

金持ちな、よく規律を守る、

ドイツ的「良き市民」と、

芸術肌であり、

真実を見抜こうとし、

社会と相入れることが出来ない種類の人間との対立は

大きなテーマとなっております。


この「冬の旅」の1.2曲目ではっきりと示されるこの構造もそうですし、

もう少し時代が進んで、

ニーチェやヘルマン・ヘッセも、

まさに、このテーマの中に生き、

作品でも多くそれを問うた人たちです。


それが後代になって、

作品や文学者が認められるようになると、


あらゆる「良き市民的な人々」.、

「お上の理解者」たちが、

無条件に「素晴らしきもの」として賞賛するようになってしまうのですが、


これらの芸術というのは、

今で言えば完全にロック、

反社会ですらあるし、

真実はお前らが信じているものの中にはないのだ。と強烈に主張する魂なのです。


しかし、真実を見ることは容易ではなく、

その道すがら、誰とも相入れることが出来なくなる強烈な孤独感。

これがこの「冬の旅」で語られる

孤独と悲しみの本質なのです。