前回の記事で、シューベルトの「冬の旅」の一曲目の解説をいたしました。

曲目解説、「おやすみ」Gute Nacht

 

この記事では歌詞の内容と、背景についての解説だけで

かなり長くなってしまい、

リート(歌曲)において、もう一つの大切な要素について書くことができませんでした。

 

 

2月24日の東京での私のコンサートに来られる方が少しでも楽しめるようにとやっているこの解説で  

あまりに量がが多くなってしまっても、

どれを読んだらいいのかわからない、

ということも起こりかねないので、

これを書こうかどうか迷っていました。

 

結論としては、まあしょうがない。

すでに5本目の記事になっている時点で十分ボリューミーなのですから、

一部分でものぞいてもらえば少しは私のコンサートを楽しんでもらえる

というスタンスでいこうかと思います。

 

もちろんマニアの方はがっちり読み込んで

存分にコンサートを楽しんでいただけたらと思います。

 

 

 

さて、今日は前回に引き続き1曲目のGute Nacht「おやすみ」についてになります。

 

 

歌曲は「詩」を中心にして楽しむものですから、

その詩の内容が非常に大切になりますが、

もう一つ大切な要素の中に「音による情景の描写」があります。

 

 

こちらの冒頭、前奏の部分だけ少し聞いていただきたいです。

 

高音からピアノのメロディーが非常に印象的に聞こえてきますが、

それ以外の音は、ずっと一定のリズムで和音を刻んでいるのがわかると思います。

 

これは、この一曲目の最後までずっと一定に鳴り続ける

変化することがないモチーフになっていますが、

このモチーフは「降りしきる雪」を表現しています。

 

 

イメージとしてはこういうのです。

 

容赦なく次から次へと降り注ぐ雪。

それはこのまま道が塞がれてしまうのではないか、

このまま降り続いたらどんなことになってしまうのか、という不安をも呼ぶ、

そういう容赦のなさです。

 

それがこの曲の最初から最後までずっと、

専門用語を使えば8分音符で刻み続けるまったく変わらないリズムです。

 

 

 

あまりに完成度が高い曲というのは、

ある、完全なテンポ以外、ほんの少し速くても、ほんの少し遅くても

どうしてもうまくいかない曲というのがありますが、

 

この曲がまさにそれです。

 

この容赦ない自然の力、こんこんと降り頻る雪を表現しようと思ってテンポが速くなりすぎると、

メロディがつるっとしてしまって軽い曲のようになってしまう。

 

メロディに重みをだすようにすると、

ピアノのリズムの刻みが遅すぎてただ暗いだけの曲になってしまう。

 

これはあらゆる有名な歌手の録音、名演を探してみても

絶妙なテンポを実現しているものはほとんど出てこないというぐらい、

シューベルトのこの曲への想像力には神懸かった絶対性があるのです。

 

 

例えば、60年代、70年代のオペレッタのスーパースター

ヘルマン・プライの録音を聴いてみましょう。

 

おやすみGute Nacht ヘルマン・プライ

 

歌手にマイクが近すぎて、ピアノとの音量のバランスがおかしなことになってしまってはいますが、

ピアノのリズムに注目すれば、確かに切羽詰まったような、

容赦無く、振りしきる雪の情景を想像することができます。

 

しかし、この動画0'34秒のところから、

歌詞では「娘は愛を語り、その母は結婚すらほのめかしていた」と言っている部分なのですが、

ヘルマン・プライはここで、おそらく歌詞を言おうとするあまりの無意識だと思われますが、

テンポをかなり遅く歌ってしまっているんですね。

いや、わざとかもしれないのですが、

このようにテンポが落ちることによって、降り頻る雪の切羽詰まった感覚が完全に消えてしまっています。

 

これほどまでに、このテンポ感は微妙なのですね。

 

このシューベルトの想像力の絶対性というのが少し見えますでしょうか。

ちょっとの相対も許さないのです。

 

 

プライと同世代で

ドレスデンの少年合唱隊出身の超エリート型テノール、

ペーター・シュライヤーの演奏を聴いてみましょう。

 

おやすみGute Nacht ペーター・シュライヤー

 

 

冒頭から、いろいろな理由によって非常にテンポが揺れてしまっているのがわかると思います。

ある部分ではシュライヤーの感傷ゆえに自動的なリタルダンド(完全な意図があるわけでないリタルダンド)や、

フレーズの終わりの自動的なリタルダンドもあります。

冒頭部分で、ピアニストは歌手のテンポの揺れを引っ張るのではなく、完全い合わせてしまっていますので、

どうしても降り頻る雪の切羽詰まった感覚が一瞬見えては消え、一瞬見えては消えを繰り返してしまっています。

しかし1'24秒のところから、ピアノの間奏に入る部分で、

ピアニスト、エッシェンバッハは一気にテンポを上げます。

おそらくはシュライヤーとの間で

二番から速くするという、了解はとれているのでしょう。

まだ迷いがあった出だしの部分とはうってかわって

決然とした、厳格な弾き方になっているおかげで、しっかりとこの厳しい雪の情景を描写しています。

当然それに続く二番からのシュライヤーのメロディもとてもよくなっています。

ピアニストのインスピレーションが歌手を助けている良い例ですよね。

 

しかしこの後もシュライヤーの感傷により少しずつテンポが崩れ、情景が消え去り、

エッシェンバッハがなんとか押し出すというようなことを繰り返してしまっています。

 

フィッシャー・ディースカウとアルフレード・ブレンデルの演奏を聴いてみましょう

おやすみGute Nacht ディースカウ、ブレンデル

 

冒頭部分、前奏でブレンデルは、先ほどのエッシェンバッハに比べてかなり浅めに音を鳴らしています。

品のいい響きにはなりますが、音の深さはエッシェンバッハの方がこの雪の厳格さを表せていたのではないでしょうか。

 

曲全体を通して、このテンポですと、軽すぎる!という感じはしませんか??

 

この感じだと、主人公の息急いて街から旅立とうという感じは出ますが、

雪の厳格さが消えてしまいます。

 

 

これはきりがないので、これ以上録音はあげませんが、

少しおわかりいただけたでしょうか。

 

この曲はこれほどまでに、ほんの少しのテンポの違いだけで、

まったく雰囲気が違ってしまうほど、絶対的で厳格な曲なのです。

 

 

私自身がコンサートでどのような雰囲気を出せるか、

楽しみにしていていただきたいと思います。

 

自分もシュライヤーと同じように、

やたらと感傷が出てしまい変なところでテンポを遅くしてしまう傾向があります!

そんなことでシューベルトの厳格な音楽をぶちこわしにしないように、

がんばります。笑

(頑張る以外にできることはないですから)