昨日の記事までで、私がヨナス・カウフマンについて書きたいことは大体書けてしまったのですが、
オペラ「カルメン」から、ドン・ホセの「花の歌」の解説が途中なので、それを最後まで書いてしまおうと思います。




昨日のところまでは、
ドン・ホセがカルメンからもらった花のことを語りながら、
ロマンチックなかたちで、彼のカルメンに対する想いを語っていましたが、

ここからは、
彼の葛藤、心の迷いを話し、それでもお前を愛しているのだという話になっていきます。
 

 




1分22秒から,


Je me prenais à te maudire                  
À te détester, à me dire:
「お前を呪いもした。憎みもした。」

と言いながらカルメンににじり寄ります。

1分30秒のところで叫ぶように発せられる、détester デテステ(嫌う)という言葉、
ここでも、ものすごい大きい音量が出ておりますが、
ここなどは、カウフマンは歌ってすらいません。
本当に、「一度はお前を嫌いもした」ということを、
激しい感情のままにぶつけているだけです。
そして、結果として音量がものすごく大きくでている。

これが昨日も書きました、

大きい声を出すことが目的な訳ではなく、表現の結果として大き声が出ている、といういい例ですよね。

 

 

 

次のフレーズ、1分36秒から、

Pourquoi faut-il que le destin
L'ait mise là sur mon chemin?
一体、私の運命、私の人生に、お前が何だというのだろうと!

という言葉を発する、カウフマンの歌い出しですが、


今までの勢いとは裏腹に、
Pourquoi faut-il (一体なんなんだ)という言葉を、
カルメンが、彼の人生に意味することがなんなのか、ということを、本当に考え、答えを探すように、歌い始めます。

そしてそれがゆえに、ここでものすごくたくさん時間をとっているんですよね。
テンポで言うならば、ほとんど倍遅いほど時間をとっております。

それでもこれが完全に自然に聞こえるのは、
カウフマンが、テンポを変えるためにこれをやっているのではなく、
この歌に流れる感情を表現するための結果としてテンポが変化しているからです。
 

 


そして1分49秒sur mon chemin 私の道(「人生」と私は訳しておりますが)という言葉を発する時のカウフマンが
ひどい運命になりそうな自分の人生を悲しむような、それでいて、何よりも大切なもの(人生)を愛しむような、
そんな声を出しております。



こういった、すべてのことが、この人の徹底した内容の理解力と、それを解釈する力、
その結果としての表現力、そしてさらに、その結果としての大音量なのです。






さあ、ここから盛り上がってまいりまして、あとは最後まで絶叫の嵐です!

1分55秒から、


Puis je m'accusais de blasphème
そうしておいて、そんな自分を咎める。

Et je ne sentais en moi-même
Qu'un seul désir, un seul espoir,
そして、気付く、自分には、
たった一つの望み、たった一つの欲望しかないことを!




そして、2分14秒、ここで、結論。

Te revoir, ô Carmen, oui te revoir! …
おまえに会うことだ、カルメン! そう。それしかないのだ!



自分を籠絡し、牢獄まで追いやったお前に、
再び会うこと、それ以外の望みは俺にはなかった。
という結論ですね。



絶叫!



すげえ。
でも、この絶叫よりも、私をもっと震わせるのは、
むしろ、その直後、oui te revoir! …   そう、お前に会うことしか。。

と、言い直すところ、2分21秒。

何か、真実がありますよ、これ。
結論を言っておいてから、もう一度、自分で確認するように、確信を持って、
「そう、それしかないんだ。」という感じ。
この人は、本当にそう感じて、そう言っております。
だから、そこに真実があって、私を震わせるのだと思います。




そのあとのフレーズからは、(2分30秒)
嵐の余韻としての、絶叫で、
さらにその理由を付け足しております。

こんなことを歌っております。


Car tu n'avais eu qu'à paraître,
Qu'à jeter un regard sur moi
なぜなら、おまえがそこに現れ、
私を一瞥しただけで

Pour t'emparer de tout mon être,
おまえは、私の存在そのものを奪い去ってしまったのだから



3分1秒からのフレーズの最後で最高音のシのフラットが出てきますが、
これが驚きの、大解放のシのフラットですね。
こんな歌い方をした人は、多分誰もいない。
というか、こんなに開いて、シのフラットを歌える特異体質の人は、他にいないっすよね。笑

そしてそれをピアニッシモまで持っていきます。
まあ、ここは変わったことをする、というのも「有り」なんだと思います。

しかしその直後、これがいいです。

3分17秒、

Carmen, je t'aime!
カルメン 愛している!


というところです。


ものすごく引き伸ばした、この「あーいーーーしーーーてーーーーるーーー」ですが、
すごくないですか?

完全に、この人の中で時間が止まっております。
そして散々伸ばした後に、音が3分30秒のところで1音上がりますが、この上行が素晴らしいです。

こんな地味なところは歌手にしかわからないのかもしれませんが、
これだけ、叫んだ後、小さい音で、長く伸ばした音を、そのまま滑らかに、緊張感を全く変えずに一音上行するって、すげーことです。
それこそが、ビゼーが意図した、最後の解決だと思えるほど、いいですね、これが。

 

 

 

 

最後、蛇足になってしまうのですが、

どうしても書かなくてはならないこと。

 

 

 

歌い終わった後、

彼は咽び泣いてますよね。

 

なんでしょうこれ。

ひどいですね。

 

もう、本当にひどい。

これはもちろん演出家がそうさせておりますが、

この理解力のなさがやばい!

 

 

ここで、むせび泣くような男には、カルメンは一瞬にして興ざめするでしょう。

「愛してる!」って言ってから、「ヒクヒク」と泣き出すような男、

カルメンじゃなくても、興ざめじゃないですか?

 

 

カルメンは、ナイーブでも、マッチョな男が好きなんです。

マッチョをヘナヘナに籠絡するのが、彼女の趣味なんです。

弱っちい男は、カルメンにとっては、籠絡する意味なんてないのです。

 

 

カウフマンの人物への文学的な理解力が非常に高いがために、

この演出家の理解力の低さが、あまりにも残念ですね。

 

 

 

だいたい1ヶ月前にもらったボロボロになった花を今だに持っていて、

それに向かって歌うような人間気持ち悪くないっすか?

 

本当に、カリカチュアにすらならない、どうにもならない演出ですねぇ。