少し中途半端なところで、
話があらぬ方向に行ってしまいましたが、

今日こそは、今までずっとやってきました、
シューマンの「詩人の恋」のレビューを終わらせようと思います。



前々回の記事、最後の歌でお話ししました、一番最後の部分から、参照のために意訳を載せておきます。



奴らに棺を運ばせて、
海の底に沈めてくれ
Die sollen den Sarg forttragen,
Und senken ins Meer hinab,


なぜなら、私の大きな棺には
それほど巨大な墓が必要なのだ。
Denn solchem großen Sarge
Gebührt ein großes Grab.


なぜに、それほど重く、
巨大な棺が必要なのか解るかい?
Wißt ihr, warum der Sarg wohl
So groß und schwer mag sein?



私の巨大な愛と苦痛のすべてを、一緒に葬るからだ。」
Ich senkt’ auch meine Liebe
Und meinen Schmerz hinein.


 

 

 





今まで、この歌の主人公が歌ってきた恋愛の歌、
そこに含まれる感情の全てを、墓に葬ってしまおう。

と、歌っているのが曲の前半部分でした。

その墓は、巨大でなくてはならず、
それが、どれほど巨大であるべきか、ということについて、
開き直って、おどけた様子で話しているんですね。



しかしそこから一転して、

なぜ、そんな墓が必要なのか
と深刻な面持ちで歌うのが、前々回の続きの部分、26分38秒のところです。


そして次のフレーズが種明かし、
「私の巨大な愛と苦痛のすべてを、一緒に葬るからだ。」
Ich senkt’ auch meine Liebe
Und meinen Schmerz hinein.



ここは歌手によって色々な歌い方をします。
まあ、個性が出しやすい部分なんですよね。

そして、これが歌うのが非常に難しいフレーズなんです。

想像していただければわかると思うのですが、
ここまでほぼ30分間休みなくぶっ続けで歌ってきているところで、
その前はフォルテの連続、そして非常に低い声で、脅しのようなフレーズがあったあとで、
いきなり、高い声で、囁くように、つぶやくように、嘆くように、小さな声で、
苦悩に満ち溢れて、「私の巨大な愛と苦痛のすべてを、一緒に葬るからだ。」
と言わなきゃいけないのです。


この状態で小さい声を出そうとするだけで、
並みの歌手は声がカスカスになっていますから、
なかなかうまく出せるものじゃない。

しかもそれが、全ての結論の部分で、一番大事なセリフ、
そして、そこに含めることのできる感情や雰囲気は無限にある。


そんな訳ですから、それぞれの歌手がみんな苦労して、
工夫を凝らして歌う部分なんですね。



それなのに、ディスカウは、余裕。
なんのこともなく、緩やかな風のように、するっと、(26分59秒)
このフレーズを始めます。

そして、「愛と苦痛のすべてを」の「愛」という言葉、Liebe(27分06秒)
非常に引き伸ばされたこの音で、クレッシェンドをします。
これが全て、あの、ホロヴィッツのしっとりとした和音で、伴奏されている。
ここにきたら、ホロヴィッツ完全に、絶妙のタイミングでディスカウに合わせていますよね。


ここは、本当にディスカウの声楽技術の高さを如実に表されています。
ただ、ディスカウの場合、ちょっと余裕でできすぎてしまって、
さらっと、終わっている感が強い。
結構、苦労してなんとかやっている、というだけで、感動を呼んだりするものじゃないですか。
そういったプラアルファが、余裕すぎて出ないですよね。笑

 

 


そして、ホロヴィッツの長大な後奏がこの後に続きます。



もう、これなんて、
ここに毎秒ごとに起こっているドラマについて書いたら、

また3日分の記事にはなってしまうってぐらい、
ものすごい、入魂の後奏です。

まずは、この出だしの絶妙なこと、
歌が終わって、もう全ての余韻が消えるのを待ってから、カデンツ(27分30秒)
そこにさらに遅れて、例のホロヴィッツの芯の通った高音が響き出す、
すると、それをきっかけに、一気に流れ出すように、後奏が始まります。


この後奏は以前の記事「夢の続き」で書きました、
「ひかり輝く夏の朝」の後奏と同じものです。
この夢の世界のテーマが最後に出てくるんですよね。

その記事でも書きましたように、
ここはホロヴィッツの平たく鋭い高音を追うようにして聴いていただけるといいと思います。

そして、この高音のメロディーが最高音に達するときに、
毎回ホロヴィッツは、これを極小の音量で弾いているんですね。
この音の輝きを聴いてください。
すげーです。


28分17秒からクレッシェンドが始まります。
これを28分39秒まで、どんどんヴォルテージをあげてから、

ここで、極小の音量で最後の部分を弾きます。


このピアニッシモの美しさがもう、すごい。
言葉がないです。
これだけの極小の音で、なぜか、音に芯とドライブ感が消えていない!
そして、リズム感までもが、バッチリ残ってのこのピアニッシモです。
なんという、超絶技巧なんだ。
ピアノというのは、ハンマーで弦を叩いて音を出しているので、
こんな極小の音では、ちゃんとした音なんて出せない筈なんです。
何だろう、このハンマーの、てこの原理を無視してしまったような技術は!
わけがわかりません。



そして、この動画をアップした人が粋なのは、
この最後のフレーズを聞いているときに出てくる写真の
フィッシャーディスカウの表情が最高なんですよね!

なんともリラックスした、満足感をたたえた表情。

実際、これを聞いていると、こんな顔になってしまいますよ。


私は、たまたまパソコンを前にして、
頬杖をついて、これを聞いていましたから、
まさにこの姿勢で、こんな表情になって、
ホロヴィッツの奇跡の後奏を聞いておりました。

で、この写真を見て、笑ってしまった。



そんなわけで、
長くなりました。
これで、フィッシャーディスカウとホロヴィッツのライブ、
シューマンの「詩人の恋」のレビューを終わろうと思います。