秋にイベントをしたがる人間の心理は一体何なんだろう?
起源は大昔ということになるのか。
春から時間と手をかけて育ててきた農作物が、無事に実ると、収穫祭というものが行われる。
その農作物を
集団で調理したり
集団で食したり
おいしいね。おいしいねと喜びあうイベント。
この収穫祭も、始まりは、
無事に実ってくれた。ありがとう。よかった。
民衆が喜び合い、神に感謝をし、来年の五穀豊穣を祈ることから始まったのではないかと想像しているのだが。
では、収穫祭
と、名乗らないイベント
食がメインテーマではないイベント
例えば
音楽祭
芸術祭
アート作品展
いわばアーティストと呼ばれる人間たちも
同じ、この、
秋
と言う季節に発表したがるんだ
要は
食べ物の秋
芸術の秋
と、いう言葉があるように
社会の流れに沿って無我夢中で生きている人にとっては
秋に向けて頑張ろう
とか
発表したら、休もう。だって寒い冬だもん
と
自分の目標を秋に押し付けたがる。
とある舞台関係者はこう言った。
長野県は、冬にコンサートやイベントをやらないよね。
都内では春夏秋冬
自らが発信したいときに、やりたいときに
むしろブレーキはどこについてるのかわからない位
季節関係なく、芸術活動をおこなっているという。
そう
芸術の秋
なんて言葉
ただの呪縛さ
暑かろうが寒かろうが
雨だろうが晴れだろうが
創り続け産み続け放ち続ける
それでこそアーティストなんだ
季節や自然と共鳴して生きる
農耕スタイルがはびこるこの地域じゃ
生きてゆく源が実らないから
土を休めるから
体を休めるから
そいで
寒いから。
日が短いから。
と、農業に携わっていなくとも
冬は休暇期、準備期
とゆう意識が根付いている。
大して準備もしないくせに。。。
農作物を相手にしている仕事人なら冬は他の季節に比べて畑には出ないのは当然。
しかし、
人間の心や脳みそは、どんな季節も求め続けているんだから、冬に一大イベントを展開することに戸惑いはないし違和感も抵抗もないね。
ステレオタイプ的生き物に問いたいね。
逆に、やれる体力はあるのに、冬だから、とか、寒い、移動が大変だから、とか、環境を言い訳にしている人や、社会の流れに合わせて生きている人は本当にアーティストと呼べるのだろうか?と、疑問を抱く。
やりたいタイミングに
やるべきことを、やりたいだけ、やる。
それを証明するための3月9日だね。
自分を強く律するためのワンマンライブ。