がじゅまる徒然記☆ -12ページ目

がじゅまる徒然記☆

40代、フツーの会社員。
2010年、乳がんが見つかりました!        
治療と乳房再建、母の原発不明癌治療、
人生山あり谷あり!だけど夢もいっぱい!
ハッピーライフの日記です (^。^)

本日は4ヶ月ぶりの乳腺診察日。
このところ、仕事が激務で(1人休職)帰宅が毎日23時くらいになっててヘロヘロということもあり、午前半休はつかの間の休息(笑)

今日の話題は
「生理が復活してしまった。このあとの抗ホルモン治療をどうするか?」

主治医が変わるタイミングで終了した、5年継続のリュープリン。
生理が戻るかもと言われつつ半年過ぎても戻らなかったので、私はついに化学的経緯を経て閉経したのだとおもったら、なんと10ヶ月後の今年7月に「いらっしゃーいふんわりリボン」と相成り、出血が続くこと1ヶ月。
不正出血ではないかの見極めは、婦人科で診てもらってと言われていたこともあり、たまたま8月頭に予約していた婦人科のがん検診の時に診ていただくと、「あ、生理が復活してると思いますよ~」とのこと…

いやーびっくりびっくり‼
抗がん剤、リュープリン注射で約6年間機能停止していた卵巣ちゃんが復活してる‼
チチ友からは「赤ちゃん産めるねラブラブ」なんて言われたけど複雑~にやり生理はご卒業でいいのにな~

で、先生と今後のお薬に関してご相談。

私なりに調べて考えた結果、
「血液検査でホルモン値を調べて、閉経前の状態であれば、閉経前適用のタモキシフェンを処方して頂きたい。」と先生にお願いしようと考えた。

今は、ホルモン感受性のある乳がんの、「閉経後(卵巣機能が低下もしくは停止)」の状態の体に働くアナストロゾール薬だけを飲んでいるけれど、「閉経前」の人には意味がない。もしエストロゲン野放し状態だとしたら…こわっガーン

「うーんうーん」と先生も一緒に悩んでくださる。
手術の時の摘出病理結果を見返して、今一度、レセプターとその値(エストロゲン感受性90%、プロゲステロン70%、Her2強陽性、Ki65が30%)を確認し、これまでの薬物治療歴を見て、少し考えて、
「ここの年代の方については、確実に効果がありますよ、という治療法がまだ確立されていないんですよね。」と苦笑いで前置きされ…

46歳、閉経に向かっているけどまだ生理がある年齢。そして、機能ストップさせていた治療を終了したら生理が戻った。
術後すぐに飲み始めた「フェアストン」も3年弱しか飲んでいないので、またそれに戻すという手もある。(子宮内膜肥大になり薬を変えた経緯あり。)
または、閉経前の状態とはいえ、卵巣が完全に元気な状態ではないと思うので、またリュープリンを再開して、疑似閉経の状態にした上で、2年半飲んでいるアナストロゾールを継続するという、前の治療に戻す手もある。
私としては、今のがじゅまるさんには、前の治療に戻す方が抑える効果が高いと思われるんです、と。
でも、現在の閉経後乳がんの抗ホルモン標準治療はやはり5年なので、がじゅまるさんの場合、続けてもあと2年。術後補助療法はトータル5年で卒業、一旦終了しますよ、と。

アロマターゼ阻害剤も10年がよいとニュースで見たことがありますが?と尋ねると、結構全力で「それはまだ違いますね」と言われる。タモキシフェンとアロマターゼ阻害剤では違うってことらしい。

患者会の勉強会で聞いた話題で、アメリカの学会でアロマターゼ阻害剤も10年が効果的という結果が出たそうで、どちらも10年が裏付けされたんだと確信したけど、今それは突っ込んで聞かない。
私の専属である主治医が「まだ」という時点で無理にお願いすることはしたくなく、近い将来、先生が5年か10年かを迷うことがあったら「10年でお願いします❗」と言おうと思う。
だって、あと2年のうちにでも、きっと標準と言われる治療が変わって来る可能性が高いから。乳がん治療は日進月歩で進んでいるのだしアップ

冷静に考える余裕を持てるのも、今が健康だからであり、まずはそこに感謝なのだわ照れ

結局、今日は血液検査をして(1年ぶりくらい、N先生に変わってからは初めて)二週間後に結果を一緒に確認して、結果によりその日からリュープリンを再開しましょうか、ということに落ち着いた。
聞くと、リュープリンも6ヶ月製剤が出たとのこと。当然薬価は高いけれど、3ヶ月製剤の2回分より少しお得なんだと。
痛い目も年に2回だけですむんだ笑い泣きお金かかるけど、今の私はやはりまだ再発が怖いと思っている。母が元気なうちは、私がくたばるわけにはいかない。しゃきーん( ・`ω・´)

先生も女性で、生理の話とか更年期障害の話もしやすく、しっかり相談できたから、結果は先でもとてもスッキリできた診察日だった。
これで、閉経してたらびっくりなんだけどねガーン
今年の誕生日は、
「イエーイビックリマークみんなありがとうビックリマーク楽しい1年にするよー爆  笑
という気持ちはもちろんあるんだけど、なんといいますか、人とのつながりに生かされて成長することができて、今日46歳になれたんだ、っていうおごそかな気持ちデス。
 
この1年間の、母の奇跡の日々を目の当たりにして、「”気持ちの強さ”という、運命をも変えていくことができる力を、私たち人は持っているんだ」と気づきました。
妹たちも、自分自身で道を切り拓き、新しいステージへ羽ばたいて、汗かきながら輝いている姿を見せてくれました。
気持ちってすごいな、自分自身で未来を変えたんだな、とただただ感動してました。
 
その一方で、長年隣の席で仕事をしてきた子の、心の異変に気づけなかったことへの虚無感(同僚が突然、出社できなくなってしまいました)。
これまでと同じことが、突然できなくなってしまうまで自分の心を抑えつけてしまう、人間の強さと弱さ。
富士登山みたいな極限状態で現れる素の感情。それをぶつけ合って、傷つけたり傷つけられたりする痛み。
がんばり“すぎる”ことで、もしかしたら逆効果になっていくような「反比例の面」も垣間見れました。
 
そして、乳がん体験を共通としてさらに深まったご縁、新しくつながったご縁。
仲間がいてくれたから今の私が存在していることは間違いなく、一人一人が私の人生には必要な方たちです。

2015年~2016年、ひと言では表現できないくらい、人との関わりを一から学んで実感することができた1年でした。
 
みなさま、本当にありがとうキラキラ
私、今年も生かされてます目

 

6月に知り合った山ガールたちと三人で、ついに行ってきました富士登山!富士山

 

富士山1~5号目ゴミ拾いトレッキングのあと、トレーニング山行は筑波山だけだったけど、脚力にはやや自信があったのと、出発までの2週間、スクワットを1日計200回ずつがんばったことで、とりあえずモモが少し鍛えられたか…弱いヒザをカバーできれば、駆け込み筋トレ成功なんだけどニヤリ


土曜日朝、東京駅からバスを乗り継ぎ、富士スバルライン五合目へ。

吉田口から登り、7合目の小屋で宿泊、翌朝9合目辺りで御来光を拝みたい✨

そして下りは御殿場ルートへ向かい、大砂走をかけ降りる!

…というのが、今年2回目の富士登山、34歳山ガール❤アイちゃんの計画アップ


さて、土曜日の朝いよいよ出発‼

東京は曇りだったけど、乗り換えの河口湖駅で雨が降りだし、富士山5合目(標高2,305メートル)は大雨雨

初心者のAさんは「本当に登るの⁉」と帰りたそうだったけど、天気予報じゃ明日は晴れ☀

ていうか、この雲を越えたら上の方は晴れている爆笑

がっつりカツカレーを食べて、なだめすかしながら登山出発したのでした!


7合目の小屋群を下から望む。
カラフルなレインコートが数珠つなぎあせる


途中の想定外が色々とあって、宿泊小屋には予定より2時間遅れで到着。

晩ごはんはにはかろうじて間に合うも、寝床は二段ベッドの下を3人で横たわるスペースが割り当てられ、寝具は寝袋のみ。

私は想定済みで、アイちゃんは前回体験済みだったけれどAさんは怒ってしまい…

山小屋の諸々、ちゃんと話したよねぇショボーン机上セミナーにも参加して、小屋泊の状況は聞いていたはずなのだけど…

声を押し殺してのやり取りの末、Aさんは荷物まとめて食堂の方へ行っちゃった💦

若干イライラしつつも、アイちゃんと「思いがけずベッドが広くなったね(笑)」と苦笑いしながら就寝。


ところがしばらくして、私は高山病と思われる頭痛がしてきてしまい…ショック

次第にモンモンとしてきたので、持ってた頭痛薬を飲み、無理やり寝る。少しでも寝なきゃ!


午前1時。予定より2時間ほど予定を早めて出発。

ご来光はどこかで見られたらそれでヨシ。このペースでは下山に影響が出ると判断し、ペースをあげられないなら、早く出発してAさんがゆっくり登れるように、と夕べ決定したのでした。

食堂に移動したけど一睡もできてないAさんとビミョーな雰囲気でおはようの挨拶。


お天気は快復に向かい、満点の星空の中歩き始めることができましたキラキラ


そしてご来光は、雲の切れ間からだけれど8合目の標高3,250メートルで見ることができ爆笑

雲海が広がる幻想的な風景にしばしのんびりと見入りました~おねがい

ここまで来なきゃ見られない風景。


おひさまが昇りきってからも素晴らしい眺め‼

かなり…途中経過をはしょっちゃいますが、結果は翌日無事に登頂❗

頂上は雨風霧のあいにくのお天気だったけれど、とにかく登頂‼

視界は10メートルくらいだったかなぁ~日本一の場所からの眺めは、人人人❗ここも東京かい❗



予定より4時間遅れでの登頂だったので、写真撮って、御朱印をもらって、さぁ少し急ぎましょう!と気合い入れ直し励ましながら下り始めました。


~若干のトラブルがあり、私とアイちゃんは御殿場ルートへ、Aさんは富士宮ルートで下山することに~


距離は長い御殿場ルート。でも、7合目過ぎた辺りの分岐からは、飛ぶように走り降りることができる大砂走をアイちゃんと二人で疾走して、あっという間に下山できてしまいました爆笑もったいないほどにあっけなく(笑)


砂ぼこりが立つので、サングラスにマスク、砂が入り込まないようにウエアも閉めきっていたので、写真があまりない~えーん


一面、砂!色のない世界。
ザザーっザザーっと滑りながら走り下ります。


雲の切れ間から見た宝永山と緑の美しさ、振り返って見上げた裾野の雄大さ。

何より、自分の足で日本一の富士山を登って下りて来られたという達成感に、すっごく胸が震えました。

やったーアップやったよーアップ


ゴールの小屋に倒れつき、アイちゃんとバンザイロケット下界は暑かったあせる

バスで御殿場駅に行き、近くの銭湯で汗を流して、夜8時頃東京へ戻ったのでした。


翌日から3日間は、ペンギンのような歩き方しかできないほどに、筋肉痛の下半身が震えまくったのは言うまでもありません(笑)

なんと!
生理が復活した模様・・・・
 
年齢的にはまだ現役なので、毎月ある日に「私、女子なのね」と実感するのだろうけど、抗がん剤(ACとT)、5年間のリュープリン注射で、もう私の卵巣ちゃんは活動停止してしまっているよね、と思い込んでいた。
 
リュープリン注射を卒業したあと、そう、あれはちょうど10か月目。
なんとなくの開放感と、女性っぽい思考が戻ってきてたかな~ふんわりリボンと思いはじめた矢先。
 
ん?(-_\)? 
ん??(/_-)?? 
おおおお!!! 三( ゚Д゚)
 
え、もしやこれは生理!?
お越しになりましたか合格 なんと、6年ぶりに。
 
だけど、乳腺主治医先生から
「もしかしたら生理が戻るかも。でも、不正出血じゃないかどうかの判断が大切なので、婦人科検診は受けて下さいね!」と言われていたので、この状況を医師に見極めていただかねば。
生理は複雑だけど、不正出血だったら大変だものびっくり
 
てことで、去年さぼった子宮体がん検査を兼ねて、土曜診察している某商業施設内の婦人科へ行くことにした。
 

タイミングよく、市から子宮がん検診のクーポンが届いたので、先に予約しておいた子宮体がんの検査もクーポンで受けられる!

(生理異常や不正出血の自覚症状があれば、500円クーポンで行う頸がん検査と同時に、体がん検査もできる。)


問診をして、サンダーバード(婦人科検査台飛行機)に乗りお披露目したところ、先生曰く

「あ、これは生理だと思いますよ~!うん、生理だな~アップ」と。

めでたく、女☆再開。

すべての呪縛から解き放たれて、卵巣ちゃんが活動再開したらしい。
こういうことって、あるんですね~おーっ! 強い子だビックリマーク

 

そして、あのいやーな体がん検査。
出産経験がないため子宮口が狭いので、鉗子を何本か入れられてる( ´>ω<`)あせる
まぁ、無事に終わったから任務完了ですグッド!
子宮がん検査は郵送で送っていただくことにした。

気分転換に、夕方、近くに住むチチ友Mちゃんとお食事音譜


ビール3杯とサングリアのビックジャーを頼んで、気がつけば

6時間経っていた生ビール生ビール生ビール赤ワイン白ワイン

いつものことながら、楽しかったね~!!

 

去年11月、栄養失調のような状態で、リカバリーというより

レスキュー入院をした母が、9ヶ月ぶりに退院して自宅に戻る

ことができた。


抗がん剤の副作用で味覚障害と倦怠感が蓄積し、ほとんど

食べられない状態で入院してから、抗がん剤を続けたくない

という母の気持ちを尊重し、療養型の病院に転院したのが

2015年末。

でも、そこでの治療に疑問と危機を感じ、一縷の望みをかけて

「このままでは本当に体が弱ってしまう。このまま寝たきりにな

るなんてとんでもない!私にはまだやりたいことがある。

もし少しでも効果が見込めるなら、試してみる価値があるなら、

抗がん剤治療を再開したい」という母の強い希望で、元の主治

医の大きな強力を経て、大学病院へ戻ることができた今年4月。

 

ところが、CARTで腹水を抜いても一向に上向かない体調、衰弱

と帯状疱疹の痛み、吐き気が強く水しか飲むことができない

1ヶ月間の間に、「もしかしたら母はこのまま…」という不安に襲

われて、私は毎週石川に帰ったっけ。

 

東京から地元に戻った三女が、毎日病院へ通ってくれたお陰で

母も気力を持ち直し、腫瘍内科の優しさと万全のフォローの甲斐

あって、ようやく抗がん剤治療を再開できたのが今年5月中旬。

その時点で「病名は『原発性腹膜癌』になると思います。」とのこと。

「原発不明癌」ではなくなった!それは目指す道が定まったという

こと?!

 

腫瘍内科の先生方で話し合われた治療、抗がん剤のタキソールと

分子標的薬のアバスチンの組み合わせは、母の状態に劇的に

効いた。

投与直後から吐き気が止まり、腫瘍マーカーが激減を始めた。

一週間後には重湯と具なしお味噌汁の食事が出るようになった。

ぴったり二週間後、きれいに生え変わったシルバーグレーの髪の毛

はまた抜け始めてしまったけれど、一生続けなければならないと思っ

ていた、24時間点滴で入れていた栄養剤(IVH/中心静脈栄養法)も

取れ、重湯がお粥に変わり・・・

そして退院の話が出るようになった先月。

 

要介護1をいただいていたので、退院後は介護サービスか通所

サービスを利用させて頂こうと思っていたら、要介護1ではサービ

スを利用できないんですよ、とのこと。通所サービスは要介護3以

上からだと・・・。

要介護1は受けられない、のではなく、要介護2以上でサービスを
必要とされている方が大勢いらっしゃるので、要介護1は、残念な
がらサービス側に提供する余裕がないので受けさせてもらうこと
ができない、のだそう。
だから、結局は家族がフォローしなければならないんだとか。
 
マジか!定められた介護保険料を払っているのに、この不平等さ
はなに?!自治体によって違うらしいが、母の住む市はそうらしい。
地方だからと言って、ゆとりのサービスを受けられるというわけで
はないのか?人口の多い首都圏ともなると、将来介護サービスは
名ばかりになるのでは?

 

利用できるできない問題以前に、訪問看護を完全拒否する母に

頭を抱えたけれど、結局三女が、退院後当面の間は母の自宅で

一緒に生活してくれることに決まった。

 

Tちゃん、感謝です。ありがとう。

あなたにしても、東京の彼と始まった遠距離恋愛、きっと会いに

飛んでいきたいこともあるでしょうに。ありがとう。

 

様々な想いを返す娘たちの不安をよそに、母は、

「今回の退院で、お母さんは色んなものを整理したいの。お母さん

がいなくなっても、娘たちに大変な思いをさせたくないから。」と。

 

どんな思いがあってもいいよ。

お母さんが退院できるまでになったんだもの。

好きなことをしてほしい。なんだって受け止めるよ。