今頃新年の挨拶もないですが、やっとブログを書く気になりました。
昨年は本当に辛いことが多く、家族よりも友達よりも誰よりも、このブログに気持ちをぶつけて、読んでくださったり、いいねやコメントを下さる皆さんに支えていただきました。というか、完全に寄っかかっておりました
みなさま、さぞかし重たかったことでしょう
昨年、母が精神科の薬を飲んでから急激に様子がおかしくなったことを、施設勤務の友達に話したところ
あかんでー!絶対に精神科の薬なんか飲ませたら!!
絶対おかしなるで!
(施設は)それでおさえつけとるんやんか
と言った後、情けなさそうに
なんでそんなこと、するんやろな‥
と言いました。
※↑これは個人の一意見です。ご了承下さい
その悲しそうな顔を見て私は、取り返しのつかないことをしてしまったとハッとしましたが
薬飲ませたくないなら自分が引き取ればいい。
→
母を引き取るということは自分の今の生活を引き換えにしなければならない。
→
それが嫌なら黙っておくしかない。
私は文句言う権利すら無し。
いくら母が母がと言っても
妹は何もしないと非難しても
結局は、自分も自分が大事で
少しの犠牲も払おうともしない。
そんな自分だとわかってはいたけど、改めて思い知らされて、
そんな風なくせに、偉そうにブログで語るなよ
と、自分自身に思っていました。
その後は皆さんのブログを読ませていただくのに、アプリを開くのすら躊躇うような有様
そんな時、実家にあった母の手帳に挟んであった、図書館の貸出記録を見つけました。
日付は2022年の6月。
すぐに忘れてしまう自分が怖くなったら読む本
認知症かなと思ったらすぐ読む本
どんな気持ちでこの本を手に取ったのかと私は声をあげて泣きました。
そしてこの頃私は何をしていたんだろうと思って、ブログを遡ってみたのです。
まだ母を認知症外来にすら連れて行かず、様子がおかしいとは思いながらも、実家には行きながらも何の対処もせず
ブログは憧れの上司ことばかり書いていました。あとは、娘の受験とか。
母のことを考える時
今の母のことを考え、昔の元気な母を思い出し、そして必ず辿り着くのは
その境目にいただろう、孤独な母です。
現在の認知症である母よりも
わからなくなっていく自分をどうしようもできないでいた母の辛さを想像しては、
苦しみ、辛かったのに。
実際、母が苦しんでいた時は
母に手を差し伸べることすらできていなかったのです。
自分の不甲斐なさや
やってるつもりでも全然手が届いてないことが、自分のブログでよくわかりました。
反省ばかりじゃダメなんでしょうが、
反省すら出来ないよりは出来る方がいい。
ブログに残して、時々は振り返ってよく考えようと思いました。
そう思いながらも腰は重かったのですが
また気持ちを綴りたいと思います。
なんだか重苦しい始まりですが、そう言いながらも私は元気です。
遅ればせながら
今年もよろしくお願いいたします。