施設に入ってから、痩せ続けている母。

もともと43キロしかなかったのに、もう37キロしかありません。


60キロ超えてる私が6キロ痩せるのとはわけが違います泣

あっ!つい言ってしまった!秘密驚きアセアセ


老人施設で働いている友達に聞いてみると、やはり施設の食事の量は少ない傾向らしいですねチュー

健康管理する上で、太り過ぎとか太り気味の利用者さんにとって少なめの食事は健康的かもしれませんが、母のようなタイプは、どんどん痩せていってしまいます。

この間もズボンを履けない母を履かせようとしただけで、簡単に持ち上がってしまいました滝汗幼児のようです泣


前置きが長くなりましたがてへぺろ


‥というわけで、機会を見つけては母を外へ食事に連れ出しています。

本当は実家に連れて行き、そこで一緒に料理をして食事したいけど、実家に戻って数時間過ごした後に帰る時間になると、辻褄は合ってないながらも、施設に戻らず、ここでずっと過ごしたいという意思をアピールするようになった母。

それを連れて帰るのも辛くて、逆に可哀想なことをしている気がして、最近は実家に行くのを減らし、外食の割合を増やすようにしました。


前にも書きましたが

外食するのは、個室があって、他のお客さんとは顔を合わさずに済むお店をチョイスウインク

母はもともと洋食やイタリアンのような食事はそんなに好きでは無いので、個室があるお店に多い和食店はちょうど良いのです。


先日行ったお店のお料理は



こんな感じのお料理でした。


ところが、お刺身のお醤油に天ぷらの天つゆ‥と、ただでさえ小鉢が並ぶところへ増えるお皿。

もう母は、何に何を付けて食べるのかがわからないのですタラー


母が選んだメニューには、温泉卵がついていたのですが、あっアセアセと気づいた時には、お刺身も、天ぷらも、みんなその温泉卵の中に浸されていました。


お母さん、お刺身はこっちのお醤油につけてキョロキョロ


と誘導しても、またいつのまにか温泉卵の中へ。わさびも大根おろしも加えて、ぐちゃぐちゃになっていましたショボーン


少し前までは、多少間違えても、誘導してあげればちゃんと食べられていたのに、もうそれも難しくなってきました。

お箸は使えていますが、これはスプーン、これはフォークという使い方はもう難しくなってきています。


母の隣に座っていたのが妹で、私が母の向かいだったので、妹に


ちょっと、ちゃんと(食べるように)見てあげてアセアセ


と母にきづかれないように言うと妹は


本人が良ければええやんーえー



本人が分かってしているならええよ。

ちょっとでも美味しく食べて欲しいやん。

もしかしたら美味しい味が、脳のどこかに効いてくれるかもしれへんやん。

美味しかった記憶なら残るかもしれへんやん。


と言い返したかったけど

言いませんでした。


母が、めちゃくちゃになったお膳を前にして私に


おばあちゃん美味しいでー

と言ったので。


ただ、

そう言った母の顔は笑顔ではありませんでした。


色んなものを色んなお皿に浸けて、

あっちへやったりこっちへやったりして、時間のかかる食事をしていると、いつのまにか、お客さんは私達3人だけでしたガーン


3時でいったん閉まるお店だったので、私達が焦り出すと、母は私達の焦りを察知できたようで、


おばあちゃん何急いどるの?81-63やで


と外の駐車場に見える車のナンバーを読みました。


数字を見て時間と思ったのか、

時間という概念もわからないのか

それでも残っている母親の部分が、

ゆっくりすればいいと娘二人を宥めようとしているのか。


私達は母のお膳に残っている小鉢を少しずつ母の見えない所に隠して、やっと食事を終了させたのでした。


個室が良いだろう

和食が食べやすいだろう

と、私達の都合と思い込みで母を連れて行き、その度に母は

美味しいわ、こんなん食べたことないわと言いました。

ですが、言うセリフは同じでも、表情はどんどん乏しくなっていくのです。


母に美味しいものを、食べたいものを食べさせてあげたいけど、

何を食べたいのか、

そして

どこへ行きたいのか、

何がしたいのか、何を望んでいるのか、

私達に何をして欲しいのか、

もう私は何も教えてもらえないのです。

母の本当の気持ちを知ることはできないのです。



無理矢理に食事を終わらせて、

妹と店で別れ、

私は母を施設へ送って行きました車ダッシュ


施設に到着して、いつもの職員さんが出迎えてくれると、


その日一番のの笑顔を見せたキョロキョロハッ


きっと、やっと、

ホッとしたんでしょうね


母が安心できる場所はどこなのか、

安心できる人は誰なのか

はっきりと示された瞬間でした。



母を外食に連れ出したり、散歩に連れて行くと必ず職員さんにお礼を言われます。

それは多分、おかしくもないんだろうけど、毎回なんとなく複雑な気持ちになりながらもあえて深く考えないようにしていました。


でも、結局はそういうことなんだなぁと。


毎日生活しているところが一番安心できるところならば、それは母にとって幸せなはずです。それは私達にとっても然り。


精神科の薬をいくら飲まされても

たくさん持っていった服を全部隠されても(これらはあくまでも母のためにされていることなのですが)

安心して過ごせる場所はここなんだと母が認識しているというのは有難いことなんだと、自分で自分に説明をしました。


何が食べたいか

何がしたいか

何が欲しいか

どこへ行きたいのか


毎日の生活を見ている職員さんなら、日々の生活の隙間に、母の本心を見ることがあるかもしれません。

元気だった頃の母が好きだったこと、

そして今の母が望むこと

その情報交換をしながら、母の幸せを見つけていければと思います。

そしてそれはずっと探し続けていたいです。


もう少ししたら母は誕生日を迎えます。

78才になるのですニコニコ