コンビニ人間を読んでみた!
芥川賞受賞作となった村田紗耶香さんの「コンビニ人間」を読んでみた。
わりと短い作品なので、すぐに読んでしまったが、映画化やドラマ化しやすい内容だった。
主人公の古倉恵子36才は人とは少し違った感覚の持ち主で、それゆえ独身で子供の時からその一風かわった発想や行動によって異端児扱いされてきた!
だが、人はそれぞれ、その人に会った仕事がある。どんな形であるかは別問題として、それが人のためにあるようなことにつながるのだが、世間一般の通念、概念という変な規範があり、特に我が国では人と違うことを良しとしない風潮がある!
人と同じことをするのが苦手で、周囲に迷惑をかけてしまう人を扱った映画や漫画は多い!
ふうてんの寅、天才バカボンのパパ、釣りバカ日記の浜ちゃん、ドラえもんにでてくる のび太、
しかし彼らは、本書でコンビニのパートで入った嫌みな感じの人間がいっているような排除されるべき人間ではなく、多くの人に愛されるキャラクターであったのではないだろうか?
逆に、彼らのような人達がいない世の中になったらどうだろう??
ぎすぎすした世の中になり、常に人の揚げ足を取り、抗争が絶えない世の中になるのではないだろうか?
この本の主人公も無理やりその世間の通念、概念というものに振り回され、無理にそれに合わせようとした結果、周囲に迷惑をかけないために形だけの同棲をすることになるが、その相手はナルシストであり、自分ではなにもできないにも関わらず、すべてを世の中の責任にしようとする男!!
実際、この男と似たり寄ったりの人間をネットの書き込みなどで見かけることも多くある・・・・
人の事はとやかく言うが、自分は大きな口をたたくわりにはなにもできない!
一方で、世間の風潮や常識には疎く、社会通念や概念を理解できないものの、自分の生きがいをマニュアル化されたもののなかから見出し、その才能を開花させる主人公のような人物もいる。
この本にあるように、現実の世界でも世間の風潮に合わせるよう、周囲の人間から責め立てられることもよくあることだが、それを押し付けてよいものかどうか、・・・ここらが問題ではないのだろうか?
世間の風潮に合わせて人から後ろ指を指されないように生きる生き方も、要領のいい生き方であり、それを否定することもできないが、最初からそのようなことができない性格の人間に無理やり世間の風潮や世間体に合わせるための概念を押し付けてどうなるのだろう・・・と考えた。
人はそれぞれ身体的な特性、精神的な特性、能力的な特性、才能や性格特性などがある。
なぜほとんど同じような考えをもって生活をする必要があり、自分と違う人や生き方を卑下したり、否定したり、逆にレベルが上でとてもかなわぬ相手を遠ざけたりするのだろう?
しかし、この本に記載されている世間体とはなんなのだろう?
これだけ現代の生活や人々の価値観が多様化しているご時世に、この本のように人の評価を気にしすぎる必要があるのだろうか?
主人公も最終的に自己認識ができ、その適正を確信することになるが、
「評価は他人が行うもの」
「自己認識は自分が行うもの」
だということをこの本を読んでいくにつれ、つくづく感じた。
一方で自分ではなにもできないにも関わらず、人に酷評を行うナルシスト・・・
現実は、世間からはみ出すことを恐れている!
世間体に無理やり自己を合わせ、特性に欠いた生活を強いられるのはいかがなものだろう?
何が自分にあっているのか・・・は難しい人生の選択肢!!
わからないから人に決めてもらう?!
ひとのいうとおりにしよう?!
みんながそういうから自分もそうしなければいけない?!
確かに、選択肢は多くある!
どれを選択しても、うまくいく保障はどこにもない!
だから人生の岐路は自分で考えたほうがいい!