カラオケブームが落ち着き、社長である父親は上海市静安区、旧市街地のど真ん中にあった広大な敷地(国営染色工場跡地)に勝手に国営企業側と10年間の賃貸契約したあと「上海でボーリング場するから、お前現地へいってくれ!」といきなり言われた^^;
私は官僚や共産党員の胸三寸で法解釈が変えられ、ビジネス習慣もまったく違う中国で、しかもまだ弊社に大きな借金が残されているにも関わらず、まつこと不相応な再投資することに猛反対したが、既に契約は締結されており・・後の祭りだった(泣)
投資したら回収しなくては会社は潰れる!
当時まだ小さかった下の娘は、私が長期出張になることを知りわんわん泣いていた。(後ろ髪を引かれつつ)1996年秋、3人の日本人スタッフを引き連れて、現地社長(董事総経理)として上海へ赴任した。
当初、日本のゼネコンを使おうとしたが見積もりがあまりに高すぎて断念し、上海現地の中堅ゼネコンを使った。ただ設計士だけは日本から呼び寄せ、漸進なデザインを期待✩ボーリングのレーン機器一式(52レーン分)はアメリカから最新式を導入彡船で上海港に陸揚げし搬入した。
工事期間は大幅に遅れその間(まるで漫画のような)筆舌に尽くしがたい出来事と日々向き合うことに!まず現地のゼネコンが設計通りには仕事をしないから、いつも施主側の私たちがいちいちチェックし文句を言いながら毎日の”戦い”に明け暮れる(笑)とりわけ上海の警察・消防・役所との折衝が死に物狂い!変電器・エアコンの室外機の騒音・・工事工程ごとに上海市政府の各部署が絡んでくる。理不尽なことを多々言われ、それでもこれ以上工期を伸ばすと営業前赤字が膨らんでいくので、やむなく接待や便宜を図らねばならない(悔)日本では申請ごとなど業者が皆やってくれるが、中国では施主側が全部やらねばならない。
アジアでは例え小さな買い物する場合でも、買い手側が自己責任にてチェックするのが当然で、もしマンションでも買おうものなら、買い手は2ヶ月ぐらい会社を休んでも、内装業者の仕事を一から十まで「監督」せねばならない^^;
そんなこんなで我々は開業するまでにすでにへとへとで、予定よりも数ヶ月遅れで1997年7月に「上海櫻花ボーリングセンター」オープン☆
弊社(株)遊企画と叔父の会社である(株)中日観光との(3.5億円づつ)共同出資7億円☆上海市体育委員会と名義上の合弁会社でスタートした。
「櫻花」は日本の国花で、日系企業というのが一目瞭然で、体育委員会(スポーツ施設も管理)の発案で命名されました^^
次回は大阪発の日本型経営が上海っ子たちにどのように受け入れられていったか~乞うご期待彡
