私のベンチャー起業デビューは大阪心斎橋アメリカ村✩27歳(1981年)のとき・・
(それまで父の事業を手伝いながら、800万ほど貯金していました。)
あ、その前に準備期間がありました。妻のお姉さんの旦那さん(義兄)が西成でシルクスクリーンのプリント工場(Tシャツやトレーナー生地)経営していて、私は中古の製版機械を購入し、妻の実家を間借りしてシルクスクリーン製版業を見よう見まねで始めた。翌年、アメリカ村「TOMS HOUSE」というファッションビルの三階で「SCRANBLE」という小ロットのオリジナルプリント専門店をオープン☆大学生のサークル活動や美容室・フィットネスジムなどのユニフォームなど、多くの需要があった。お客さんと一緒にデザインを考え、一緒に世界で1つだけのオリジナル商品を創り続けるヒューマンな仕事が楽しかった~♪
デザイナーの卵たちも2人雇用した。デザインを武器に、パーティチケットやスタジャンのワッペン・エンブレムなどもつくった。企業向けの販促商品で「缶詰Tシャツ」(東洋タイヤ)や千葉真一が会長務めるジャパンアクションクラブ(太秦東映撮影所前)で販売するオリジナルロゴ入り手鏡・ボールペン・クシ・手帳なども卸制作した。
なかでも春夏高校野球甲子園大会販売の「甲子園出場校校名入り記念Tシャツ」やキンチャク袋は飛ぶように売れた♪
またTOMS HOUSEビル全体の販促委員長やアメリカ村商店街の役員にて、地域のまちづくりにも貢献した。アメ村にはOMOROI経営者たちがいっぱいいた。梅田や難波などで大きな商売してて、でもアメ村では採算度外視で、面白いことしかしないチャレンジの街というのがその本質で、マイナー世界での超有名人がゴロゴロいてとても刺激を受けたよき時代だった。
さて、アメ村での人生最初の起業から7年経って、オリジナルプリント業界の需要も下火となり・・第2の本格起業は難波千日前にてのカラオケボックス
VIPSTARへとそのステージを移ることになる。