自己紹介を兼ねて、私のジェットコースターのような起業人生を

ダイジェスト版でオモシロ連載していきます。よろしくね~☆

 

私が大阪市天王寺区の聖バルナバ病院で4人兄弟姉妹の長男として生まれた~昭和29年は、あの悲惨な戦争が終結し9年が経っていた✩それは高度経済成長がまさにテイクオフしていこうとする時期だった。

私が生まれた、この年の主な出来事は・・

・マリリン・モンロー、ジョー・ディマジオと結婚(10ヶ月後には離婚発表)

・東京の地下鉄丸の内線池袋~御茶ノ水間 開通

・シャープ兄弟と力道山・木村のタッグマッチ初挙行(プロレス人気高まる)

・白黒テレビ受信契約1万台突破!(カラーテレビ普及は東京オリンピック以降)

・ビキニでの米水爆実験で「第五福竜丸」被爆(→日本でも雨に放射能検出)

・全国で35市誕生(市制ブーム)

・第1回全日本自動車ショー開催(64年に東京モーターショーと改称)

・黒澤明監督『七人の侍』(東宝)ベネチア映画祭で銀獅子賞を受賞

・日本民主党結成 ・吉田内閣総辞職 鳩山一郎内閣成立

 

私の祖父母が10代後半に中国江蘇省から関西に出稼ぎに来たのがおそらく1907・8年だから日露戦争の少しあと、ちょうど日本資本主義経済が確立し、関西も景気がよかったのだろう。祖父たちは長江ほとりで農業営んでいたが、土地が痩せ立ち行かなり、日本に思い切って出稼ぎにきたのだ。

日中戦争のときも(敵対する日本に住んでいても)商売は順調だったみたいだった。

私の両親も和歌山・大阪生まれなので、私は華僑三世ということになる。

堺筋と本町通りが交差するオフィス街で「ユートピア」という大型喫茶店を経営し、私たち家族はその2階に住んでいた。両親はずっと共働きで、私たち兄弟姉妹は日本人乳母に育てられた。

 

白黒テレビがまだ家庭に普及しておらず、大型テレビをでんと喫茶店に設置したので、力道山の試合など、テレビ見学目当てのお客さんがたくさん来店していたのが思い出される。

お店が閉まったあと「怪人二十面相・明智小五郎」や「赤胴鈴之助」など見ていた記憶が・・(笑)

         

(→次へ続く)