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零れた砂 5
一夜明け、午前中のドラマの収録に区切りがついた私は事務所へと戻ってきていた。
椹さんとの打ち合わせを済ませトボトボと俯きがちに廊下を
歩いていた視線の先に、綺麗に磨かれた革靴の爪先が映った。
この先にあるのは私たちラブミー部の部室のみ。
なにか依頼があるのだろうかと目線を上げた先には…
「つ、敦賀さん…」
「お疲れさま、最上さん」
「お疲れ様です」
「何か言われた?…彼に」
「え…?」
いくら人気のない奥まった場所に部室があるとはいえ、相手は事務所でも一番の売れっ子俳優。
そんな敦賀さんがしていい話の内容でも場所でもなかった。
「ちょっと…中にっ…」
急いで部室に引き入れた。
「『コレ』…君の彼は、他の男にこんなことされても平気なの?」
トンッと疲れた耳の後ろ。
髪の毛を掻き揚げないと見えない場所。
触れた指先の熱に、昨夜の出来事が蘇り、一気に身体が熱くなった。
「なんでそんな…いじわるっ」
目頭が熱くなり視界が歪む。
首筋に触れていた敦賀さんの手が後頭部に回り、グイッと引き寄せられた。
意地悪な口調とは裏腹に、背中を撫でる手はとてもやさしくて、余計に訳が分からなくなった。
「………ごめん」
吐息と一緒に零れ落ちたくらいの小さな声が頭に降ってきて、そのまま抱き締められたままどちらも動こうとはしなかった。
暫くして、敦賀さんの携帯電話が鳴った。
「…はい。今行きます」
お互いも距離が離れる。
社さんから連絡に簡単に答えた敦賀さんは、ゆっくりと席を立った。
「最上さん」
釣られるように立ち上がった私の方へ近づいた敦賀さんは、自分の首にかけていたストールを外すと、私の首に巻き付けた。
ふわりと香る敦賀さんの香り。
「今日は一日、コレを巻いているといいよ」
そう話している間にも、社さんから再三の呼び出し。
敦賀さんはため息をついて、足早に部室を去って行った。
☆☆
「京子ちゃんお疲れさま」
午後の撮影のためスタジオに戻ると、ちょうど出番が終わった長谷川さんが声を掛けてくれた。
「長谷川さん、お疲れ様です」
「あのさ京子ちゃん…昨夜…」
「あっ」
今更ながら、昨夜の長谷川さんからの電話を思い出した。
敦賀さんとの事で頭がいっぱいになっていて、今の今まで忘れていた。
「す、すみません。途中で切れてしまったまま掛けなおしもせずっ」
頭を下げる私に長谷川さんは優しく答えてくれた。
「いや、いいんだ。なにかトラブルがあったのかと思って……大丈夫なのか?」
「はいっ」
どうやら私はちゃんと笑顔を作れたみたいだ。
首に巻かれたストールをぎゅっと握ると、持ち主の顔栄が鼻先を掠め、頬が熱くなった。
納得した様子で去っていく長谷川さんを見送り、ホッと安堵した。
☆☆
あれから、敦賀さんと私は表面上は普段通りの先輩後輩の関係に戻った。
告白をしてしまったら最後、もう今までのようには戻れないと覚悟していただけに、いまのぬるま湯のような状況は苦しくもあり、それでいてどこかで私は安堵していた。
事務所で椹さんから書類を受け取り、タレントセクションを出ると、社さんに会った。
「キョーコちゃん」
「社さん、お疲れさんです。今日は敦賀さんと越しっしょじゃないんですか?」
「うん。蓮は明日から長期の地方ロケなんだ。俺はその前に事務処理だけ済ませちゃおうと思って」
「そうですか…」
敦賀さんの地方ロケ。
暫く会えないことに寂しく思う。
あの日部室で告げられた「ごめん」の意味。
きっと私の気持ちには答えられないけれど、後輩としては今まで通りに接してくれるということだったんだろうと今ならわかる。
自分からは離れたくせに、会えないと思うと寂しいなんて。
振られているくせに、勝手だ。
「……あの、さ…キョーコちゃん」
「はい?」
自分の世界に籠っていると、社さんが申し訳なさそうに声を掛けてきた。
「その…蓮と何かあった?」
「な、何か…ですか?」
「なにもないならいいんだ。じゃあまた」
そう言って慌てたように社さんは去って行った。
☆☆
敦賀さんが地方に行ってから2週間が過ぎた。
「ねぇ、ネットニュース見た?」
「見た見た!敦賀さんでしょう!?」
漏れ聞こえただけの名前にまで敏感に反応してしまう。
「やっぱりお似合いだよね」
「あの噂、本当らしいよ」
「え~!本当に付き合ってるんだ!」
聞こえてきたのは敦賀さんと例の共演女優の話。
そうだよ、敦賀さんにはもう恋人がいるんだ
また元の距離に戻れたのをいいことに私…
恥かしくて、苦しくて身が切れそうだった。