「…敦賀さんが!?」

 

夕方、部室で所属タレントさん方のファンレターを仕分けていた私は、急に呼ばれた社長室で敦賀さんが撮影中に事故にあったと知らされた。

 

「そ、それで容体は…?」

 

震える手は抑えられても、声の震えまではコントロールできなかった。

 

「あぁ、命に別状なし。軽い打撲だけで済んだ」

 

葉巻を咥えながら言う社長さんの口調から、事態が深刻ではないことを感じてひとまず安心した。

 

「それではなぜ私がここに呼ばれたんですか?」

 

「…あ~、まぁなんだ……最上くんっ!!」

 

「は、はいっ!」

 

「とにかく、病院に見舞いに行ってやってくれ」

 

「…いいんですか?」

 

「あぁ…これも親心ってやつだ」

 

「社長さん?」

 

なんだか歯切れの悪い社長さんに少しだけ違和感を感じたけれど、敦賀さんのお見舞いに行くお許しを貰え、急いで病院へと向かった。

 

 

☆☆

 

全速力で都内を駆け抜け、敦賀さんが運ばれた病院の前に自転車を横付けした。

入院病棟の特別室があるフロア。

その一室の前に社さんの姿があった。

 

「社さんっ」

 

「キョーコちゃん!」

 

廊下を走らないように気づかいながら社さんの元へとたどり着く。

 

「あの…敦賀さんは…?」

 

「中にいるよ。社長からも聞いてると思うけど、本当に幸いなことに命にも別状ないし、怪我も大したことなくて済んだんだ」

 

「そうですか…よかった…」

 

「よかったら顔を見せてやってほしいんだけど…その…」

 

「社さん?」

 

先ほどの社長さん同様に、何となく歯切れの悪い社さんの様子を不審に思う。

 

「…なにか、あったんですか?」

 

「いやその…」

 

「社さんっ」

 

なかなか話そうとせずに口をもごもごさせる社さんが焦れったい。

 

「キョーコちゃん、とにかく顔を見せてやって。…話しはそれからってことで…」

 

そう言って社さんが病室の扉を開けてくれた。

 

 

 

 

「蓮、入るぞ」

 

「社さん。すみません今日の仕事…」

 

社さん越しに聞こえてくる敦賀さんの声。

元気そうなその声に一安心して私の社さんの後に続いた。

 

「いや、調整も順調に済んだし問題ないよ。それよりキョーコちゃんが…」

 

「キョーコ!?」

 

「ふえっ!?」

 

突然名前で呼ばれ、咄嗟に返事が出来なかった。

 

「キョーコ、来てくれたんだ…早くこっちへおいで?」

 

そう言いいながら大きく両腕を広げる敦賀さん。

 

「え…あの…?」

 

「早くっ。ほらっ」

 

満面の笑みの敦賀さんの予期せぬリアクションに戸惑いを隠せず、隣に立つ社さんを見上げた。 

 

「キョーコちゃん、蓮の傍に行ってあげて」

 

「なっ!?えぇ?」

 

トンッと背中を押され、躓くように敦賀さんの元へ出る。

すると、すかさず長い腕が私を包み、大きな胸の中に抱えられた。 

 

「心配かけてごめん」

 

「や、あの…?え…?」

 

もがいてももがいても抜け出せない囲いの中から、唯一事情を知ってそうな社さんに助けを求めて視線を送った。

その間も私の旋毛にキスをしたり、頬を撫でたりと敦賀さんは忙しそうだ。 

 

そんな敦賀さんを見て、看護師さんは赤面して病室を出て行くし、社さんは眼鏡をはずして目頭をぎゅうぅっと強く押さえていた。

 

 

 

 

「記憶が混乱している!?」

 

様子のおかしい敦賀さんからなんとな逃れた私は、談話室の隅で社さんと隠れるように身を潜めて事情を聞いた。

 

「そうなんだよ。記憶喪失ってわけじゃないんだけどね…」

 

社さんの説明によると、撮影の最中崩れたセットの下敷きになった敦賀さんは、幸いにも大きな怪我もなく念の為という軽い気持ちで病院にやってきた。

ところが、時々敦賀さんと会話が噛み合わないことを不審に思った社さんの機転でドクターに診てもらったところ、どうやら記憶に混乱が生じているようだと診断されたらしい。

 

「混乱って、どんな…?」

 

「昼間、キョーコちゃんとマリアちゃんが一緒に催眠術を掛けただろう?」

 

「はい…」

 

「その状態になっちゃったって言うのが、一番わかりやすいかな?」

 

「…………え?」

 

「だから…蓮はキョーコちゃんを恋人だと思っているんだ」

 

「…はぁ?…え、だって、敦賀さんは暗示にかかったフリをして…」

 

「確かに、あの時の蓮は催眠術にはかかっていなかったよ。それは確かだ。でも今は…」

 

紙カップに入ったコーヒーを意味もなく回しながら、社さんはそう言った。

 

「ま、また、今度は社さんまで敦賀さんと一緒になって私を揶揄うんですか?」

 

「………」

 

社さんの沈黙が、視線が…。

 

「え…本当に…?」

 

静かに頷く社さんの姿を、私は呆然と見つめた。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

「お邪魔します」

 

「そんな他人行儀な…」

 

レディファーストが身に沁みついている敦賀さんは、苦笑しながら開いた扉の中へ私を迎え入れてくれた。

 

敦賀さんが事故にあってから3日後。

当初すぐに記憶が元に戻るだろうとの診断への期待も虚しく、敦賀さんは未だに私を恋人だと思い込んだままだった。 

社長さんと社さんからの依頼で、私は当面の敦賀さんの生活のサポートを任された。

 

「お茶でも淹れますね」

 

勝手知ったる…でキッチンの戸棚からコーヒーを選んでいると、後ろからふわりと爽やかな香りが漂ってきて、次の瞬間には暖かい胸に包まれた。

どうやら敦賀さんに抱き締められているらしい。

 

「ああああああの、つ、敦賀…さん?」

 

「………なんでツナギ着てるの?」

 

「え?」

 

今日の私の服装はラブミーツナギだ。

敦賀さんのお世話を依頼されたのだから当然のことと思って着たこの服装が、敦賀さんには不満らしい。

 

「キョーコは俺を心配して来てくれたんじゃないの?」

 

「も、もちろんその通りですよ?」

 

軽傷とはいえ、敦賀さんの背中には打撲の跡が未だに残っていて、まだ完治したわけではない。 

 

「そのツナギ姿だと、まるで仕事で仕方なく俺の世話をしているみたいだ」

 

ぎゅうぅっと私のお腹に回された腕に力が籠った。

まるで拗ねたように言う敦賀さんの仕草に、不覚にも胸が締め付けられるほどにときめいた。

 

「コ、コーヒーっ…淹れ、ます…から、敦賀さんは…リビングで休んでいてくださいっ」

 

それだけなんとか言い切ると、敦賀さんをキッチンから追い出した。

一人になった私は、キッチンのシンクにしがみついて、踊り出した鼓動を必死に宥めた。

 





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