それは私の中に芽生えたほんの少しの好奇心と、奥に秘めた恋心が疼いた結果。

 

「ねぇお姉さま。蓮さまって本物の恋人とはどんな風に過ごすのかしら」

 

ヨーロッパ某国の王妃様も魅了したと言われる、美しい陶器のティーカップに注がれた淡黄橙色系の水色。

目の前の画面に釘付けになった私にそれを差し出しながら、問いかけるマリアちゃん。

 

「え?」

 

「蓮さまの恋人になる方は、本当の恋する蓮さまのお姿を見ることができるのよね」

 

自ら持って来た差し入れのクッキーを一口齧ったマリアちゃんが指差した先の画面には、今世間で大ヒットしている恋愛ドラマ。

もちろん主演は敦賀さん。

 

「ねぇ、お姉さま?」

 

可愛らしい小さな手を私の耳に添えて、小声で囁いたのはかわいい天使……それとも…?

 

「そんな蓮さま…見てみたくありません?」

 

 

 

☆☆

 

 

 

「いいですか?敦賀さんが次に目を開いたとき、最初に目にした人があなたの愛する人です。…さぁ、ゆっくり目を開けて下さい」

 

掌に触れる、敦賀さんの長い睫毛。

ドキドキして震える心臓。

敦賀さんの瞼の上に乗せていた私の手をゆっくりと外した。

少しの沈黙。

きっとほんの僅かな時間。 

それでも私にとっては遥かに長い時間だった。

 

「……キョーコ」

 

「っ!!」

 

ふわって。

本当にふわって感じで、まるで花が開くように柔らかく甘く嬉しそうに表情を綻ばせた敦賀さん。

その笑顔を直接浴びた私の心臓は、あっという間に打ち抜かれってしまった。

 

「つ、敦賀…さん?」

 

「なんでそんな他人行儀なの?」

 

「へ…ぅえっ!?」

 

机を挟んで向かい合ったまま、身を乗り出して細くてすらりと伸びた指先が私に頬に触れ、そのまま首筋を辿る。

 

「んぅっ…」

 

擽ったくて首を竦めた私の肩に乗せた手は、今度は耳たぶを親指と人差し指で摘まんでくる。

 

「やぁ…」

 

「そんな可愛い声、外で出しちゃダメだよ」

 

「~~っっ!!」

 

反対の手で私の手を握り、敦賀さんの少しだけ厚めの唇に引き寄せる。

 

「こっこらこらこらっ蓮っ!場所を考えろっ!!」

 

「ちょっ…社さまっ!見えないじゃありませんのっ!!」

 

慌てた社さんの声で振り返ると、必死でマリアちゃんの目を両手で塞ぐ社さんの姿があった。

「どうしても見てみたい」と言い出した当人のマリアちゃんは、小さな指先で社さんの指を一生懸命抉じ開け、隙間からなんとか見ようと頑張っている。

 

「つつつつっつつ敦賀さんっ、正気に戻ってくださいっ!!…、マ、マリアちゃんっ」

 

 

 

 

事の発端は、マリアちゃんと見ていた敦賀さん主演の恋愛ドラマ。

ヒロインの女優さんに甘く愛を囁く敦賀さんに見惚れていたマリアちゃんが言い出した一言。

 

「蓮さまに催眠術をかけてみましょう!!」

 

「はぁ!?」

 

椅子の上に立ち上がってまで詰め寄ったマリアちゃんの熱意に負け、何故か私が敦賀さんに催眠術をかけることになった。

小一時間ほどマリアちゃんからレクチャーを受け臨んだ本番。

どうやら敦賀さんは思いっきり催眠術にかかってしまった様子。

 

いつの間にか部室の端に置かれたソファに移動した敦賀さんは、膝の上に乗せた私の髪を梳きながらニコニコと神々しい笑顔をこれでもかと浴びせてくる。

 

「マリアちゃんっ、早く催眠術を解いて!」

 

「お姉さま、催眠術はかけた人にしか解けないんですのよ」

 

時間が経つにつれ、この状況に慣れてきたマリアちゃんと社さんは、二人でお茶を飲みながら談笑し始めている。

 

「そんなぁ…私、そんな方法なんて知らないよっ」

 

「あら?そういえばお伝えするのを忘れていましたわ」

 

今気づいたとばかりに、マリアちゃんは一冊の本を捲り、解術の方法を調べ始めた。

 

 

その本のタイトルが『誰でも一発!催眠術』じゃなくて『誰でも一発!黒魔術』だったことは、気づかなかったことにするわ…。

 

 

「え…っと…、あら?どこだったかしら」

 

「マリアちゃん、早くっ!」

 

呑気にページを捲るマリアちゃんに焦る私。 

 

「~~っっ、ふはっ!あはははははっ」

 

お尻の下で敦賀さんの膝が揺れた。

驚いて振り向くと、膝の上の私を落とさないように腰を支えながら敦賀さんが思いっきり笑っている姿が至近距離で見えた。

 

「あの…敦賀さん…?」

 

「くははっ…はぁ…ごめんごめん…」

 

眦に溜まった涙を指で拭い、敦賀さんがなんとか笑いを収めた。

 

「催眠術、かかってないよ?」

 

「へ…えぇっ!?」

 

私の間抜けな声に敦賀さんがまた笑い出した。 

それでやっと敦賀さんに揶揄われたんだと理解した。

 

「も、もうっ!敦賀さん、酷いですっ!」

 

私の抗議なんてモノともせず、ゆっくりとお茶を飲む敦賀さんの仕草は、どんな状況でも変わらず優雅で麗しかった。 

 

「だって最上さんがあんまりにも可愛い催眠術をかけてくれるもんだから、嬉しくなってしまったんだよ」

 

「そんなっ…」

 

「蓮、そろそろ時間だ」

 

更に抗議を続けようと鼻息を荒くした私の勢いは、社さんの冷静な言葉の前に霧散してしまった。

 

「それじゃあ最上さん、名残しいけど…」

 

そう言って私をゆっくりと膝から降ろして頭をぽんとひと撫ですると、社さんを伴って颯爽と部室を後にして行ってしまった。 

 

 

 

☆☆

 

 

テレビ局の廊下を颯爽と歩く蓮の半歩後ろを追いかけながら、俺は蓮を少しばかり諫めた。

 

「蓮…」

 

「なんですか?」

 

「お前、催眠術にかかったふりしてやりたい放題だったな…」

 

「何を失礼な」

 

「しらばっくれるなよ。あんなヤラシイ手つきでキョーコちゃんを撫でまわして…。お前、所々に本音を散りばめてキョーコちゃんを構ってたくせに」

 

「……」

 

「沈黙は肯定…だぞ?」

 

「いいじゃないですか、偶には俺にもお楽しみがないと

 

「全く…」

 

道行く人々に笑顔で愛想と色気を振りまきながらスタジオへと入っていく蓮を呆れながら見送った。

熱く眩しいスポットライトの中心で、周りを虜にして止まない芸能界イチの男が、一人の少女に振り回されているなんて。

笑いをかみ殺して担当俳優の仕事を見守った。

 

 

「危ないっ!!」

 

「キャーッ!!」

 

「敦賀さんっ!!」

 

撮影が始まり暫くして、問題なさそうな様子を確認し、一件電話を掛けようとスタジオを背にした瞬間だった。

突然聞こえてきた叫び声に混じって、自分の担当俳優の名前が聞こえてきた。

 

「…っ!蓮っ!!」

 

 

一瞬後、崩れたセッとの下敷きになった蓮の姿があった。





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