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元カレ×元カノ
「蓮…」
「なんですか?社さん」
「いや…」
まだ夏の盛りでもないのに、額に汗を垂らしながら社さんが何か言いたそうに俺を見ている。
週が明けて月曜日、週末の出来事を引き摺ったままの俺の気分は最高に最悪だった。
社会人たるもの、プライベートでどんなことがあろうとも、それを仕事に持ち込むことは言語道断。
それを教えてくれたのは、新人の頃から先輩としてたくさんの助言をくれる社さんだった。
今日だって、心の中とは裏腹に俺の表情筋は全力で口角を上げ、目元には穏やかなカーブを描いている。
松島部長だって「今日は朝から調子がよさそうだな」なんて褒めてくれたくらいだ。
「そ、そういえば例のプロジェクト、明日から早速先方に行って話を詰めるぞ」
「…はい」
この件もまた、俺の気分を降下させる大きな要因のひとつだった。
歯切れの悪い俺の返事に、社さんはため息を吐いた。
「はぁ…明日までにはその顔どうにかして来いよ」
「え?」
「お前相当機嫌悪いんだろう。なにがあったか知らないが、その無駄にキラキラした顔面だと女子社員たちが仕事にならないからな」
「……気をつけます」
☆☆☆
「いやぁ~噂には聞いてたけど、S商事の受付ちゃんたちってほんっとレベル高いわ~」
「相変わらずだな、お前は…」
会議室に通されて第一声がそれだった貴島君と社さんの会話をバックに本日の会議資料に目を通す。
もう何度も読み返して万全の準備で臨んでいるわけで、資料の内容は全部頭に入っている。
それでも資料でも読んでいないと落ち着かないのは、今回出向いた相手先の企業が寄りにもよってS社だったからだ。
(大きな会社だし、まさか…)
暫くして、約束の時間ぴったりに会議室のドアがノックされた。
「お待たせいたしました」
初めに会議室に入ってきたのは、プレゼンから商談成立まで何度も顔を合わせている椹部長。
「椹部長、この度はご採用いただきありがとうございます」
「社君、今回のプロジェクトは我が社にとっても社運がかかっているからね。君たちと組むことが出来て嬉しいよ」
代表して社さんが挨拶を述べ担当者の紹介が始まったが、俺の視線は一点を見つめたまま動かすことが出来なかった。
「彼女には今回事務的な面からアシスタントとして動いてもらいます」
「最上と申します。よろしくお願いいたします」
まるでマナー教室のお手本みたいな綺麗な所作で挨拶したのは、数日前俺の部屋から逃げるように立ち去った彼女だった。
☆
その後の挨拶や段取りの確認を俺は上の空でやり過ごした。碌に話を聞いていなくても、それと気づかれないように応答することは出来るが、社さんにだけは睨まれていたと思う。
打ち合わせが終わり資料を揃えていると、早々に帰り支度を終えた貴島の声が聞こえてきた。
「へぇ~キョーコちゃんって、逸美ちゃんの後輩なんだ」
「百瀬さんをご存じなんですか?」
「うん、大学の後輩でねぇ。そうだ!今度一緒にご飯でも行かない?」
どうやら共通の知り合いがいるらしい二人の会話に、ついつい聞き耳を立ててしまった。
「これから仲間として同じ仕事に携わるんだし、キョーコちゃんの電話番号教えてよ」
普段であれば相変わらずの手際の良さは感心に値するが、相手が相手だけに見過ごすわけにはいかなかった。
「会ったばかりの彼女にいきなり聞くものではないんじゃないかな」
突然割って入った俺の言葉に、彼女が驚いたように振り目を瞠った。
「もちろん敦賀君も一緒に行くだろう?」
「……貴島さんて、仲がいいんですか?その……敦賀さんと…」
今日初めて俺へ向けた彼女の視線は何故か批難するように険しいものだった。
「そうそう、敦賀君が来てくれると来てくれないのじゃ、女の子の盛り上がり方が雲泥の差で「貴島君っ!」
貴島からのそういう席への誘いは以前から何度もあったが、俺はその誘いに乗ったことは1度しかなかった。
その1度だって、仕事上の彼への借りを返すべく断り切れなくて行った席だというのに。
慌てて遮ったが、時は既に遅し。
「やっぱり…敦賀さんて…」
「あの、キョ…最上…さん」
俯いたまま表情の見えない彼女を覗き込むように声を掛けようとした矢先、勢いよく上げた彼女の顔には満面の笑みを張り付かせていた。
「お二人ほどの素敵な方でしたら、いくらでも素敵な女性とお過ごしになれるでしょう。例え社交辞令でも私なんて誘うなんてお時間の無駄だと思いますよ」
そう言う穏やかな彼女の微笑みに、何故か俺は竦みあがるような悪寒を覚えた。
急な態度の変化に怯んだ隙に、彼女は貴島を上手くあしらいながら会議テーブルの上を素早く片付けると、会議室から出て行ってしまった。
誰にも気づかれないように溜息を吐いた。
もしかしたらこれをきっかけにキョーコと話すことができるのではないかと、細やかな期待を込めて忍ばせていたイヤリングが、まるで俺の不甲斐なさを咎めるようにポケットの中で揺れた気がした。