地震があった。
母と一緒だったので,怖かったが,一人でいるよりはずっと怖くなかったと思う。
祖母や一人暮らしの友人は怖かっただろうな。
友人たち,親戚(とてもお世話になった人)が連絡してきてくれて嬉しかった。
(私は誰にも送っていない…こういう時気が回らなくてダメだな…)
関西で起こった大きな地震は阪神淡路大震災だが,私は生まれたばかりだったので記憶がない。
なので私にとって今回は初めての大きな地震だったと思う。
幸い私の周りの人は無事だった。よかった。
地震の被害のせいで突然の大学休講。
ほぼ毎日会っている付き合いが長くない人たちと会わなくてふと思ったこと。
ある時点では私と時間を共有している人は,
私の知らない世界があって,
その世界を会話を使って共有することはできても,
その人の全てを共有することはできないんだろう。
(当たり前〜〜〜!!!!!)
そもそもその人が感じている世界を共有することは無理なのだから,
その人の全てになりたいとかその人のものになりたいとか
なんと浅はかで無駄な思考…
(注:私は全くそんなこと思っていません)
むしろそんなことを他者に求めるのは大変迷惑で気持ちの悪い話なのでは…
そして,おこがましい。自分の全てを受け入れて欲しいなんて,おこがましい。
自分は非の打ち所がない人間だと思っているのか?
どんなに醜悪であろうと、自分の真実の姿を告白して、それによって真実の姿を認めてもらい、あわよくば真実の姿のままで愛してもらおうなどと考えるのは、甘い考えで、人生をなめてかかった考えです。というのは、どんな人間でも、その真実の姿などというものは、不気味で、愛することの決してできないものだからです。これにはおそらく、ほとんど一つの例外もありません。どんな無邪気な美しい少女でも、その中にひそんでいる人間の真実の相を見たら、愛することなんかできなくなる。
三島由紀夫『不道徳教育講座』
「どんなに無邪気な美しい少女でも」無理!
絶対無理じゃないか。もう少女という年齢はとっくに越している。
(もちろん美しさも無邪気さも持ち合わせてはいないということも自覚している!)
だいたい自分が素晴らしい,自分はいつも犠牲者であると豪語する人に限って,
「え???」となる人が多い。
最終的に,「それは自己申告じゃん(笑)」となる。
そういう人は外面がいいことが多いので最終段階にならないとみんなわからないんだけど。
最終段階になってもわかんないちょっと疎い人もいるし,
わかっていてもあえて言及しない賢い人もいるけど。
事なかれ主義が多いし,もはやその人のことなんてどうでもいいからあえて知らない顔する人もいるけど。
(実際中学の修学旅行でシンガポールのホテルでの一連の出来事が忘れられない。
中学だよ,中学生ですら認識の乖離に気づけていたのに。)
それにしても三島由紀夫,厳しいけど正しい。
「真実の姿などというものは、不気味で、愛することの決してできないもの」,か。
ここまで書いてきて正直,この話題はあえてする価値すらないものかもしれないと思ってきた。
他者を100%受け入れられる人がいないように,
自分の100%を他者に受け入れてもらうのは無理に決まっている。
もし自分は他者を100%受け入れられると言う人がいるのなら,
それは「そんな自己犠牲的な私が好き」という自己陶酔か,
もしくは「私はばかだからそんな深くまで考えられません」という都合のいい言い訳である。
これを引き合い出すのは軽いし,少し論点がずれるのかもしれないけれど,
椎名林檎の『人生は夢だらけ』の歌詞では,
こんな時代じゃあ手間暇掛けようが
掛けなかろうが終いには一緒くた
きっと違いの分かる人は居ます
そう信じて丁寧に拵えて居ましょう
と書いてる。
違いのわかる人がいることを信じて,自分をよりよくする努力をしよう。
手に入れられないその人の世界にずっと固執しないでねって言いたいんだろうな。
林檎は恋愛の話なのだろうけど,恋愛だけじゃなくて友人関係でもそう。
三島由紀夫の「全て受け入れてもらえるわけがない」と
椎名林檎の「いつか現れると信じて自分磨きしよう」を
持ち合わせて生きると良さそう。
最近の椎名林檎は前向き。
昔は あなたには殺されてもいいわ『シドと白昼夢』 とか言ってたのに,ね。
昔の曲は昔の曲で大好きだけど。
成長したんだろうか。
黒歴史を刻めるのは,遅くてもアラサーまでなのかも…
(基本それくらいには分別がつくのかも)
本日の一曲『人生は夢だらけ』song by 椎名林檎
この曲ほんといい曲。
上記の一部の歌詞だけじゃなくてもっと紹介したい…(笑)
毎回林檎か事変だからそろそろ違う曲を貼り付けたい…(笑)