私がお母ちゃんのぎっくり腰の説明
を 長々と聞いてる間
息子は お父ちゃんの周りをうろうろしてました
実家といっても
私の生家じゃなくってね
阪神淡路大震災の前年に買ったマンションだから
私も息子たちも
あまり泊まったことないの
ゲストルームなんぞ あるはずもなく・・・
俺はどこにいましょうかね
息子は何気に居場所を探してる
そんな感じ
ま しゃあないわな
馴染みのない家なんて そんなもん
ようやくTVの前に 居場所を見つけたようでした
私はお母ちゃんの長い話が終わって
ようやくお父ちゃんとご対面
おう!
どない?
調子は?
あんまりようないな
あーちゃん(息子の愛称)来てくれたで
じ~ちゃんおはよう
お父ちゃんはビックリ顔で
おはよう!
とたんに表情が変わりました
あんまりようない
と言いながらも
なんだかんだとよく喋ってました
その日は私の子供の数が合ってたので
(増えたり減ったりします)
私と 息子と お母ちゃん
おお=====っ!
分ってんなぁ・・
うん・・
ところが・・・・・・・・・・・・
次に出た言葉が・・・・・・・・
下の子は?
一番下の子は?
(!)あーちゃんやん
この子が一番下の子やん
いや かずちゃんは
へ?
かずちゃんよ
一番下の子
誰?それ?
○○かずちゃん
・・・・・んな苗字の人 知らんし・・・・・・
△△△は?
おおおおお。。。。。。。
私のいとこの子供の名前です
お母ちゃんは 目を丸くしてびっくりしてました
だって
△△△とは 30年くらい会って無いから・・・
うちの家族全員会ってません
どこでどうしてるのやら
当時 △△△は
幼稚園くらいの 可愛い可愛い女の子でした
もう大きなっとうやろ
別嬪さんになっとうやろな
懐かしそうな顔して言うのよ
・・・・・・・私のほうが別嬪やろ?
なんて言ってみました
そしたら満面の笑みのお父ちゃん
息子に
お母ちゃんの小さい頃の写真
見たことあるか?
ん~~・・・・ないなあ
別嬪さんやったんやで(過去形かい)
昔は 私の事が自慢のお父ちゃんでしたのでね
親ばかちゃんりんは
私に受け継がれてます
その後も
知らない人の名前が出てきたりして・・・
お父ちゃんの記憶
ごちゃ混ぜになってるようでした