大河ドラマ 麒麟がくる  第30回「朝倉を討て」の関連地図です。

 

さて。物語はだいぶ佳境に入ってきました。

 

いよいよ朝倉征伐ですがドラマでは伊勢攻めが割愛されてますね。

この時点で越前を攻めるには留守中に本国(美濃・尾張)を攻められるリスクを減らしておく必要がありました。東は三河の家康がいるので安心。懸念されるのは南の北畠、すなわち伊勢方面です。伊勢制圧完了は越前攻めの前年、永禄12年(1569年)のことです。本題に入る前に今回はこの伊勢侵攻を時系列でまとめてみます。

 

  1. 第一次北伊勢侵攻:永禄10年(1567)年2月。岐阜城攻略の一作戦として滝川一益が侵攻。北勢四十八家が織田方につく。
  2. 楠城、高岡城攻め:永禄10年(1567)年8月。稲葉山城攻めと同時期に虚をつく形で侵攻。楠城は落ちる。
  3. 第二次北伊勢侵攻:永禄11年(1568)年2月。北伊勢の有力豪族「神戸氏」「長野氏」を傘下に加える
  4. 南伊勢侵攻:永禄12年(1569年)年8月。伊勢国司「北畠具教」の居城、大河内城を攻略。伊勢は織田の勢力下に。
1. 第一次北伊勢侵攻 ~ 2. 楠城、高岡城攻め
第一次北伊勢侵攻地図1567年
永禄10年(1567)年2月。滝川一益が率いる織田軍は北伊勢に侵攻しました。長島の一向一揆の門徒はまだ手付かずだったため大きく迂回し北伊勢に入りました。北伊勢は北勢四十八家と呼ばれる小規模の城主や豪族が支配する地域でした。滝川一益が素晴らしいのは力攻め一辺倒ではないことです。この時は織田に着く利益を説き、オセロをひっくり返すように織田方にしていきます。この時、活躍したのは明智光秀と親しい「勝恵」という僧とのこと。員弁の持福寺の僧で元々は京の天龍寺に学んだ高名な僧のようです。名をはせた勝恵殿がおっしゃるのであれば。。ということで寝返っていったのでしょうか。いずれにせよ戦をせずにこのあたり一帯を掌握したのは滝川一益のお手柄だったと思います。反感を買ってはそのあとの伊勢の快進撃もなかったでしょうから。。

いったんは引き揚げた織田軍ですが、稲葉山城の攻撃とほぼ同時にまた攻めてきます。まさか二カ所同時に侵攻するとは思っても見ない神戸家は慌て、支城の高岡城は山路弾正が奮戦するも、隣の楠城は陥落してしまいます。
 
3. 第二次北伊勢侵攻
第二次北伊勢侵攻:永禄11年(1568)年2月
美濃を統一した信長は翌年の永禄11年(1568)年2月に再度伊勢に侵攻します。この時は伊勢の有力国人衆。神戸氏(神戸城:城主神戸具盛)、長野氏(長野城:城主長野具藤)、関氏(亀山城:城主:関盛信)を傘下に加え、完全に北伊勢は信長の完全な勢力下に入りました。この年9月に信長は義昭を報じて上洛を果たしますが、これは伊勢方面の脅威が少なくなったからこそできたことでもありました。
 
4.南伊勢侵攻
南伊勢侵攻1569年
信長が上洛を果たした翌年の永禄12年(1569年)正月。将軍義昭が本圀寺で襲われ(本圀寺の変)、二条城の普請(2月~4月)を終えた信長は伊勢統一を目指し南下を目論みます。まず5月に滝川一益に命じ木造城の木造具政北畠具教の弟)を寝返えらせました。これを聞いた北畠具教は5月12日、木造城を包囲し攻撃するも滝川一益、神戸氏、長野氏の援軍で8月の信長入城まで陥落せずに持ちこたえました。8月26日に北畠の重要な支城「阿坂城」を木下藤吉郎が攻撃。守り切れないと見て開城しました。その後は北畠具教の本拠地「大河内城」に兵を進め、周囲を包囲し約1か月ののち、兵糧攻めに窮した北畠具教は退場しここに伊勢統一が完了します。
 
アニメ「キングダム」で趙国の「」(ギョウ)攻めに同じようなシーン(王翦が住民を入場させ桓齮が周囲を囲む)が出てきます。兵糧攻めの効果を引き上げるために周囲の民間人を主城に押し込む。大河内城ではこれと同じことが行われました。ということはもしかしたら北畠の殿は領民を大事にしていた殿様だったのかもしれませんね。しかし戦は無常であります。
 
と。非常に長い第30回「朝倉を討て」の前置きでした^^;
 
さて。話はドラマに戻ります。
 
まず、光秀が美濃に戻るシーンから。今回の秀吉はこれまでの大河とは一味違う役回りです。清廉な光秀の対局として描かれるのでしょうか。斥候や忍者を使って裏の情報収集網を築いているらしい感が漂っています。一方の光秀はそういうことはしなそうなキャラ設定。この辺も後への伏線でしょう。
 
駒は、将軍に取り込まれます。いやいや予想外でした。「駒」ですから歩から、と金に成ったのか?将軍と絡むようになってきたことでこれからの使われ方が面白くなってきました。
 
岐阜に帰ると松永久秀が貴重品を値踏みしています。彼も貴重品を信長に献上する側ですからこれは本心では面白くなかったはず。8000貫=8億円になると聞いて光秀は「それほどに!」と驚いています。今回の大河では戦費の調達法に「大名からの没収資産の換金」もあった。という従来の描写にあまり使われなかった方法をあらわにしていてとても面白いと思います^^
 
この回では信長の長男「奇妙丸」こと後の信忠が出てきました。帰蝶の登場は視聴者サービスかな?^^「戦には大義名分が必要」という悩みを昔語りや天下の理などで気づかせようとする光秀。このようなやり取りがあったともないとも言えませんが、光秀を非常に信頼していたであろうことは資料を読んでいても伝わってきます。なので本能寺の変の「逆恨み説」は絶対にないと個人的には思っています。
 
そして。天皇に拝謁し「大義名分」を得た信長は、いよいよ越前攻めへと突入していきます。ここからが地獄の始まりなのですが。。
 
今回は以上です!
(早めに次もアップします。)