大河ドラマ 麒麟がくる 第29回「摂津晴門の計略」関連地図

 

 

だいぶ周回遅れになってしまいました(^-^; おさらい兼ねてこの回の位置関係を追ってみたいと思います。

第29回は地図上での動きは少ないです。ストーリーをおさらいしながらマッピングしてみます。

  1. 二条城の普請。堅固さと華やかさを兼ね備える壮麗なものでした(東山慈照寺銀閣の巨大な石。桜の原木など)
  2. 摂津晴門を介し本圀寺の僧たちが信長に異議を唱える。優柔不断な義昭は「信長がいなくなってから徐々に返す」といい加減な対応をし、そそくさを場を抜け出す。
  3. 駒と施薬院悲田院の夢を語る義昭。ただ作るには1000貫必要だとこぼす。
  4. 東庵が銭をネコババしようとして駒に叱られる。東庵は駒から大胆な目標を聞く。
  5. 光秀は逃亡中の近衛前久(このえ さきひさ)と出会う。天子様(帝)の話を聞く光秀
  6. 妙覚寺で光秀は信長に幕府のことを愚痴る。幕府の不正に口を出すべきという光秀に「それは将軍のそばにいるそなたの役目であろう」と投げ返す信長。
  7. 計略にかかり悪者に仕立て上げられる光秀とさらなる裏工作をほのめかす摂津晴門
  8. 光秀は太夫を訪ね。帝(みかど)の御所を拝見したいと申し入れる。築地から皇居に入り親王の話を聞く光秀
  9. 四月。二条城は無事完成。お祝いに駆け付ける面々の中には浅井長政の姿も。

以上が、大まかなあらすじでした。

まずは妙覚寺二条城(旧二条城)の位置関係から見てみます。

 

妙覚寺信長が上京した時のこの当時の定宿でした。20数回の在京で18回も宿泊しています(本能寺は3回)。本能寺の変時、妙覚寺にいた信長の嫡男の信忠(奇妙丸)は変事を聞き、この後作られる二条新御所に立てこもり討たれます(二条新御所は妙覚寺のすぐ右隣にあった)。光秀は本能寺を囲んだ時点では妙覚寺に信忠がいることをキャッチしていなかったフシがあり、信忠がこの時逃げればもしかするとその後の結果は違ったものになっていたかもしれません。信忠は非常に優秀だったようなので残念なことでした。

 

妙覚寺と二条城

 

なお、妙覚寺斎藤道三との関係が深く、道三の父とされる松波庄五郎妙覚寺で得度しました。道三の四男は妙覚寺十九世の日饒。日饒は信長の義弟にあたるので妙覚寺を宿所としたのだと思われます。位置関係をみると御所まではほんの数百mほどしか離れておらず「父、信秀は壁の修復のために4000貫送った。しかしその壁を見たことがない」というのは無いな~。と思いました。まあその辺の細かいことは言わないようにしましょう。

 

ドラマでは本圀寺の僧たちが摂津晴門を通し二条城普請時に持ち出された寺の物品を返してほしいと訴えるシーンが出てきます。前の投稿でも本圀寺は放埓な悪僧集団だったことに触れました。本圀寺の変では三好勢の京への引き入れに一枚噛んでもいたでしょう。当然信長は許すはずがありません。二条城に本圀寺の多くの物品が運び込まれたのはそのような背景もありました。フロイスの日本史には「跡形もなく壊された」と書いてあります。因果応報とはまさにこの事でしょう。

 

二条城(旧二条城)は足利義輝武衛陣跡を拡張した将軍邸宅で二重の堀と三重の「天主」を備える壮麗なものでした。石垣も作られ突貫工事のために仏頭なども使われました。城づくりの基礎は小牧山城の築城時に培われたものです。この時の天主は後に安土城に移築されます。安土城と旧二条城の天主が同じだったと考えるとこの時の二条城がいかに壮麗なものであったかは容易に想像できます。

 

この回では義昭と駒が「悲田院」「施薬院」の話をするシーンが出てきます。義昭がいた奈良興福寺にはこの両方があったそうですから二人が見ていた図面はおそらくこの興福寺のものでしょう。

後に京都にも悲田院が設置されます。現在の京都市役所の近くにその遺祉が立っています(場所は上の地図参照)。この碑には「悲田院は平安遷都の際、東西に設置された施設で、京中の捨て子、孤児、貧窮者、老残者等を収容した施設」と説明されています。「施薬院は公衆病院」とも書いてあります。この当時からこのような施設があったことは世界に誇れると思います^^

 

悲田院

 

ドラマ後半。光秀は太夫を訪ね「帝(みかど)の御所を拝見したい」と申し入れます。

このシーンは後へのフリですが、では実際に御所のどのあたりのことなのか推定してみました。

壁への日の当たり方や近衛前久が登場するシーン、近衛邸の位置などから、壊れた壁の位置は御所の北西あたり。ここから光秀と太夫は御所内に入り、清所門の前まで進み御所内を見つめながらした会話と推察します。まあ。実際にこんなところまで入れば誰かに見つかり追い出されます(^-^; これもドラマなのでご愛嬌ということで。

 

御所の壊れた壁の位置

 

そして二条城は完成。信長は美濃へ帰り、対朝倉戦に向かっていきます。