来月10日、斎藤瀏・史の旭川時代について、
歌人であり友人である西勝洋一氏の講演があってそれに出席する予定だ。
彼の著書「道東を巡った歌人たち」からそれなりの知識は得ているが、
今一度、そこだけ読み返してみたいと思う。

さて、八年前、いささかセンチメンタルな短歌二首を「屯田物語」で取り上げたことがあった。
西勝氏の講演会に先立ち、短歌つながり?で再掲することにした。

(以下2005年10月24日の記事です)

   いつしらに
   夫は父の如くなり
   子の如くなり
   逝きてしまいぬ  

   食卓の
   亡き子の椅子はそのままに
   わずかな風の
   通り道なり


葬儀が二つ続いたせいもある。
日曜日のNHK短歌をみたとき、諸行無常!こういう歌に心ひかれたのである。
自分が亡くなったあとのことはわからないが、
もし、自分ひとりが残されたとしたら、
   ・・・の椅子はそのままに
こんな気持ちになってしまうかもしれない。

女は悲しいことがあると、思い切って泣く、必ず泣く。
ただ、何年かたって、泣いたことは憶えていても、
なぜ泣いたのかは案外憶えていない。だから強い!
男は、泣かない、多分泣かないが、
うじうじと、その悲しみの記憶を捨てることはできない。

夕暮れ近い桂沢湖である。



桂沢湖は桂沢ダムの人造湖である。
あのエゾミカサリュウの馬鹿げた工作物をのぞけば、
いたって穏やかな風景であった。