こんばんは!はるうです。
今日は母が所用で不在だったので、いろいろ家事やら猫のお世話であくせくと働きました。
予定では一日中、書評の勉強の予定だったのですが……。
ちょっとずつ進めました。
所属している会社での新たな仕事を受けたので、明日からそちらの仕事の準備もしないといけません。
もう既に読んでしまっている本の書評のお仕事も(同じ会社の仕事です)。
そちらの原稿はちょっとずつ進めようと思います。
そういえば、図書カードをいただきました!
嬉しい!仕事で文庫本をたくさん読まないといけないので、明日、使ってしまおうと思います。
さて。
私はプロの書評家ではないですし、プロの書評ライターでもありません。
マルチブッククリエイターを名乗っていますが、そちらも名乗っているだけでまだ始めたばかりです。
書評家になりたい、書評ライターをやりたいということは母に宣言をして今の生活があります。
なぜなら、私は幼いころから、何でも母への報告を義務付けられている生活をしてきたからです。
「お母さんには何でも話してね」は子供の頃は魔法の言葉でした。
親が、母が、最大の味方であるということを子供ながらにきちんと分かることができて、安心できるから。
しかし、この言葉はある意味で「秘密を持つ」ということをできなくさせる言葉でもあるんです。
子供は成長すれば、親に対して秘密を持ちます。
それは当たり前のことです。
でもいつまで経っても「買ったものは見せなさい」や「どこで買ったか言いなさい」や「何がしたいかいいなさい」はある程度、子供が成長したら言わないことがいちばんです。
私の母は、私が精神的に弱いこともあっていつまで経っても何でも報告させることを強制してきました。
でも、そんな母ですら「子供は親に秘密を持つことは当たり前」という考えはあったようです。
私にそうやって言ってきましたからね。
でも結局、母は私の「心が弱い子」という部分ある意味(言い方は悪いですが)つけこんで、子供から秘密にするということを奪いました。
私は今、所属している会社と別の会社に書評ライターとして記事を書くためにメールでの面接を受け、採用されるかされないかの瀬戸際にいます。
新たな仕事のチャンスが巡ってくるかどうか、微妙なところです。
それは母に言っていません。
今の会社に所属していることは言っていますが、だんだんと新しく仕事を受けたことも言わないようにしています。
マルチブッククリエイターの活動も言っていませんし、新たな書評の仕事先を探していることも言っていません。
普通にニュースやいろんな会話をしますが、「心の内」というのは見せないようにしています。
私は、人に言うと必ずうまくいきません。必ず。
必ず頓挫します。
読んでいる本すら、途中で本の話しをしたり、何を読んでいるか言うと最後まえ読むことができなくなります。
だから、最近は何でも一人で抱え込むことにしています。
持病の悪化で「関係妄想」と「幻聴」が復活していることも、薬が増えたことも言っていません。
一見、危険なように見えるかもしれませんが、今の私は「自分の人生を意思決定できている実感」というものがあります。
誰かに何か(やりたいことについてなど)を言ったり、何かを相談して行うことを否定するつもりはないけれど、結局やるのは自分で、決めるのも自分。
だったら私は一人で抱えて、悩んで、決める、ということを選びます。
必ずしも、人に相談したりすることが正解ではない、ということ最近気づきました。
私は人に影響を受けやすいです。かなり。
なので、自分の人生を決めるためにはやっぱり、自分で抱えて、悩んで、選択することが大事だと思うんです。
なので、私はいろいろと抱えながら今日も過ごしています。
けれど、元気に仕事をして、新たな仕事先も探して、やりたいことをやります。
という、気づきの話しでした。
それでは。
はるう