ほんぶしん(宗教)では年に2回、春と秋に合同慰霊祭をして下さいます。

父は他界して8年、姉は10年になります。
そして、ほんぶしんへの道をつけてくれた、
曽祖父や両祖父母、父が5歳の時に亡くなった父の実父の供養も一緒にお願いしています。

曽祖父や父の実父は、一世紀近く前に他界していますので、既に生まれ変わって居ると思いますが、

生まれ変わっていても、供養し聞行(祈りの言葉)を贈る事で、「魂を慰め温かい布団を掛けさせて頂けるんだよ」と父から聞いていました。
ですから、「供養祭に参列しないのは、本当に勿体ない」と父が話していた事を思い出します。


「孝行したい時に親は無し」とか、
「お墓に布団は着せられぬ」など、
親孝行出来ず悔いが残る事が多いのが現状です。

親がいるから自分がいる、
年祭に限らず敬い感謝を贈る事は、とても大切でその心を神が受け取り喜んで下さると聞いていました。


毎日母の介護をする中で、私にとって一番の楽しみになっていたのが、母と一緒に甘露の里長野へ帰参する事でした。

ですが、毎回車を出してくれていた義弟が、腰を痛めて、ここ2年は母と一緒には帰参出来ずに居ましたが、

母が立てる様になり、車の乗り降りを私が支える程度で出来る様になったので、
義弟に又車を出してもらい、先日ほんぶしん合同慰霊祭に参列する事が出来ました。


一人の時は御屋敷に泊まるのですが、個室やベットでは無いので、オムツ使用の母は泊まる事が出来ません。
無理無く11時からの合同慰霊祭に参列する為に、前日に諏訪湖のホテルに一泊して、翌朝ほんぶしん甘露の里長野へ向かう事にしました。

有り難い事にGO TOキャンペーンが、10月から東京も対象となったので助かりました。(^人^)

母に長野に行く事は何度も伝えていました。
「長野に行きたい?」と聞いて見ると、
「ずっと行ってたから。やっぱりね。」と答えが返って来ました。

当日早めに御屋敷に到着出来たので、慰霊祭の前に、ほんぶしんの創始者である、みろく様の御尊像がある、お山の上に車で登りました。

母は5年ぶりに、みろく様の御尊像をお参りでき、「ありがとう〜ありがとう〜」と両手を合わせ大喜びでした。


その後食堂や宿泊室のあるセンターへ入ると、母の一番下の妹が来て居ました。

母とは18歳も年が離れているので、親子の様にみえますが、「姉ちゃん良く来たね〜、元気そうだ良かった良かった」と、大喜びしてくれて、

母が一生懸命何か話しかけるので、発語が多く出る様になったとビックリして居ました。

慰霊祭が行われる拝殿へは、階段が2箇所あり、
いつも車椅子ごと持ち上げて貰って居ましたが、
介護用品にドイツ製のコンパクトになる階段昇降機が加わり、御屋敷の階段でも使えたので、皆様にご迷惑をお掛けせずに済みました。(^人^)

最後にもう一度だけ、母とほんぶしん甘露の里長野に帰参させて頂きたいと、神様にお願いしていたので、無事に慰霊祭に参列でき、みろく様の御尊像にもお参りができたので、思い残す事が無くなりました。
本当に有り難くて、幸せを実感し、感謝の気持ちでいっぱいです。

神様有難うございます 南無甘露台南無甘露台  (^人^)