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重度の知的障害を伴う自閉症の息子の20年の成長記録です。

 

今まで、ブログをタツが生まれたときから、年代別に書いてきました飛び出すハート

 

 

 

今は大体、高等部3年生の実習が終わって、就労先が決まった辺りを書いていたのですが、

 

 

 

養護学校時代って、最近の割にあんまり記憶にないんですよねグラサングラサングラサン

 

 

タツは小・中学校は、近隣の個別級(支援級)にいました!!

 

 

 

近隣の学校だから、普通級にいた先生が支援級に入ることがほとんどなので、そのときは親(私)もがっつり介入していましたがグラサン

 

 

 

高等部から通った養護学校(支援学校)!!

 

 

 

高等部だから、もう、親も子離れをしないといけないというかグラサン

 

 

 

下地は中学校までで作ったから、高等部は親は後ろから見守るスタンスにしようと思っていたので

 

 

 

あんまりがっつり介入をしてこなかったからかうずまきうずまきうずまき

 

 

 

あんまり思い出せないんですよね。学校で何をしたのか!?

 

 

 

学校での内容(お勉強など)は言い方は悪いですけど、どうでもいいと言うかグラサン

 

 

 

ただ、楽しく毎日通ってくれればそれでいいって感じで飛び出すハート

(それが一番爆  笑

 

 

 

それよりも、1人通学ができるようにならないと就労にかかわるので、

 

 

 

そればかり考えていたように思います爆  笑爆  笑爆  笑

 

 

 

タツは、今はほとんどパニックにならないので、高等部もひょうひょうと通っていたと思います爆  笑爆  笑爆  笑

(幼少期はそれなりにパニックもありましたが)

 

 

 

でも、今、思えば、楽しかったなあ照れ

 

 

 

登校は高等部2年生の秋から一人通学をしていましたが、帰りは放課後デイサービス以外の日は迎えに行っていました爆  笑

 

 

 

大変だったけど、私を見つけると駆け寄ってくれるタツを見て「かわいいなあ」笑

 

 

 

1本バスを逃すと、次のバスまで20分バス停で待っていないといけないので、バスの時間になると二人でバス停まで猛ダッシュしたことも爆  笑爆  笑爆  笑

 

 

 

今となっては、いい思い出ですハート

 

 

 

私はタツとの通学のときの記憶しかありませんが、先生からもらった卒業アルバムの中のタツは、

 

 

 

どれも楽しそうに笑っていました照れ照れ照れ

 

 

 

親はいつまでもがっつり介入はできませんからねあせるあせるあせる

 

 

 

がっつり介入をしないと、私の思い出はありませんが、

 

 

 

私が思い出せなくても、タツは楽しい時間を養護学校(支援学校)で過ごしていたんだろうなあと思います飛び出すハート

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今回も読んでいただき、ありがとうございました。

 

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先日行った人間ドックで、更年期だけど数値は全く問題がありませんでした爆  笑

毎日、納豆とこのアカモクを食べています飛び出すハート

 

ネバネバ好きな人は、お試しあれ飛び出すハート