卒業にあたって ~9年2ヶ月間の感謝とその出来事~ | HKT48上野遥♪ひめさんのはるたん日記

HKT48上野遥♪ひめさんのはるたん日記

HKT48 チームH 上野遥さん(はるたん)を勝手に応援するブログです。

すべて個人の見解なので、ひとり言として軽く読んで下さいね~

コメントもお待ちしてます❗

9年以上応援していた上野遥さんへの最後の想いを書こうと思っているんですが、あまりにも思い出が多すぎて、だらだらとまとまりがない文章になってしまいそうです。

 

なので、最後の握手会(2月22日オンライン)で伝えた言葉をまず最初に書くことにしますね。横浜の最後でも同じようにしたんですが、限られた時間のなかで、自分の伝えたいことを伝えるには、やっぱり下書きをしてそれを読んで伝えるのがいいかなと思って。想いを集約できたのか分からないけど、はるたんに伝えたことを。

 

まずは今まで9年以上の長い間、応援させてもらって本当にありがとう。

 

はるたんがデビューして2ヶ月くらい経ったPARTY公演を初めて劇場で見て、小柄だけど人一倍元気で、やたら張り切ってるメンバーが居るなって思ったのが第一印象でした。

 

それから200回近く劇場で見たけど、今でもはるたんの公演は元気をもらえるし、最高に楽しいものです。

 

劇場公演以外には、初期の頃は、外仕事がなくて悩んでいたのに、映画や博多座にも出演して、総選挙やシングル選抜には入ることができなかったけど、普通のメンバーさんとは違って、ホントにいろんなことがありすぎて、見てる方としては、いつも心がざわざわして、高低差あり過ぎて、正直、推してて、いい意味でホント疲れました。

 

ファンとしては、選抜常連のメンバーさんを推していた方が、シンプルに楽しかったのかもしれないけど、はるたんだけにしかできなかったHKT48としての、唯一無二の活動を、一緒に見ることができたんじゃないかって思います。

 

ずっと応援してきて、正直に言うと、悔しいことの方が多かったぇど、その分、どんなに些細な出来事も、うれしかったり、楽しかったりと、一緒にたくさんの幸せを感じられる、充実した9年間でした。

 

はるたんのことをより多くの人に知ってほしいと、毎日書いているブログももうすぐ丸7年になります。初対面のはるたん推しの方からよく声を掛けられることも多かったから、少しは役に立っていたのかなって思います。卒業して時間に余裕ができたら、はるたんも読んでくれると嬉しいです。

 

今後どんな目標に向かっていくかは分からないけど、どういう形であれ、はるたんには幸せになってほしいし、まだ先かもしれないけど、自分のことを第一に考えてくれる素敵な人に出会ってほしいなって思っています。

 

はるたんはひとつのことに頑張りすぎるところがあるので、あまり無理をせず、自分を見失わず、適度に息抜きができるような環境を、作ることもいいのかなって、大きなお世話かもしれないけど、そう思っています。

 

はるたんも夢を叶えて幸せになってください。

 

今まで本当にありがとう。

素敵な9年間をありがとうございました。

 
2分くらい掛かって話したけど、最後にはるたんからもありがたい言葉をもらうことができて、本当にうれしかったし、本当に素敵な9年間でした。



 
それではここからは、自分が応援していた2012年12月20日~2022年2月26日の9年2ヶ月間のなかで、特に印象に残っている出来事を書いていきますね。今書き出そうとしている時点で長くなりそうなので、できるだけ短く書くようにしますね。
 
2012年6月23日にHKT48の2期生候補者として仮合格して、9月23日に同期21人とともにはるたんはお披露目されました。9月30日には「PARTYが始まるよ」公演で劇場公演デビュー、その2日後の10月2日にはチームH「手をつなぎながら」公演にアンダーデビューしました。今では考えられない速さのアンダーですよね。
 
自分はというとHKT48が福岡にできたことは、ニュースで知っていて一度くらい見に行きたいと思っていたんですが、チケセンの登録がうまくいかず、最初に行ったのは12月19日のH公演でした。このH公演には指原さんやらぶたんさんも出ていて、とりあえず指原さんを見に行こうくらいの感じで劇場に。
 
そして翌日に違う演目があり、それにも当選していたのが、研究生公演の「PARTYが始まるよ」公演でした。そこでは昨日と違う研究生たちが元気いっぱいのパフォーマンスを魅せてくれていました。ダンスとか歌とかは粗削りでお世辞にも上手いとは言えないものだったけど、元気と全力さと一所懸命さはすごく伝わりましたね。
 
そんななか、ひときわ元気で笑顔いっぱいだったのが、はるたんでした。MCではあまり喋らなくて大人しい印象だったけど、曲が始まると別人のように動き回って。小柄な体格なのに誰よりも大きく見えて。気が付けば名前も知らない彼女を目で追っている自分がいました。
 
ステージで大きく見えた彼女も、お見送りでロビーでのハイタッチでは、本当にちっちゃくてすごく可愛かったですね。そのギャップが良くて初期の頃は週2、3回くらいのペースで研究生公演ばかり通ってました。その当時、応募すれば当たる感じだったので、週5日行ったこともあります。でもチケットが1000円だったので、今と比べたらコスパ最高ですね。

2013年に入るとホークスキャラバンというイベントを、各地のイオンモールとかドームの外の小さなステージでやっていましたね。無料だったし、時間があればけっこう行きました。ステージと言っても簡易的なもので、手を伸ばせば届く位の距離感、観客は最初のころは50人も居なかったかもですね。本当に楽しかったです。
 
3月にはチームHの博多レジェンド公演にアンダー出演。それもポジションがセンターポジションの時もあって、今では考えられない研究生なのにセンターだなんて。セトリも好きだったし、そのセンターのはるたんを見たくて、総公演数は少なかったけど、かなりの回数を劇場でみることができました。制服のバンビで出べそで回ってるはるたんに、どんだけ心を奪われたか。めちゃめちゃ可愛かったです。
 
6月に日産スタジアムで選抜総選挙コンサート。自分にとって初めての遠征で横浜の日産スタジアムまで行きました。まだ総選挙にはランクインにこだわってたときではなかったので、純粋に楽しいコンサートだったし、考えてみれば初めての大箱のコンサートでしたね。幸運に花道の近くだったし、はるたんうちわを持っていたので、はるたんに見つけてもらえてすごく嬉しかったな~。何万人もの中から見つけてくれて、勝手に運命を感じてしまいました。
 

HKT単独武道館や研究生武道館、ヤフオクドーム、東京ドームコンサートとか毎月にようにあっていて、今考えるここから数年が全盛期だったのかもしれませんね。

 

そして9月21日には14歳の生誕祭。自分は落選だったけど、運よくキャンセル待ちで入ることができました。なんかY字バランスをやって、ほっぺを伸ばして、ダジャレを3つ言って終わった印象で、まだまだ子供だったんですね。それから22歳の生誕祭まで毎年生誕祭に入ることになろうとは。

 

11月25日は横浜握手会。実は個別握手会に行ったのはこのときが初めてなんです。出会って11ヶ月。行く機会はあったけど、握手会に行ってしまうと、ハマりすぎてもう後戻りができなくなるんじゃないかと、敢えて敬遠してたんです。地元福岡だと知り合いに会ってもいけないし、遠くならと思って、出張のついでに行ってしまったのが、沼の始まりでした。予想通り後戻りできなくなりましたね。


2014年は九州ツアーが始まり、1月の大分で昇格を逃して、失意のなか、2月にインフルエンザに。ちょうどインフルで休演になったときに公演に入ってたんです。18時前に劇場に行ったら休演の紙が貼ってあって。それから1週間くらい休んでいたけど、急遽の休演はこれが最初で最後でしたね。でも卒業前のSRで点滴を打ってでも公演に出ていたと言ってたので、かなり無理をしてたんだなって思います。

 

インフルからの復帰して初めての公演にも入ったけど、病み上がりでさすがに体調が戻ってなくて、いつもはキレありませんでした。後の握手会でそのことを話してみたら「完全に治ってていつもと変わらなかった」と言い張っていて、やっぱり負けず嫌いなんだなって思いました。

 

そして忘れもしない3月21日。九州ツアーファイナル。福岡サンパレスで昇格が発表されました。2期研究生のうち昇格できていなかった4人が呼ばれて、あいうえお順だったので、はるたんは最後だったかな?もしはるたんだけ呼ばれなかったらどうしようとドキドキしましたが、昇格できてホント良かった。

 

昇格もうれしかったけど、ピンクのTシャツを着た自分に周りの他推しのファンの方々が、みんなおめでとうって言ってくれたんです。帰りの通路でもロビーでも。こんなにHKT48のファンって暖かいんだって心から嬉しかったです。

 

5月のマリンメッセ福岡の握手会では昇格の横断幕を上げました。このことは前のブログに書いたけど、当時そんなに厳しくなかったから、手作りですがかなり大きなものを作って。はるたんもめちゃめちゃ喜んでくれましたね。

 

このころは博多リバレインで「ほかみな」の公開収録があってて、何度か行ったけどはるたんに当たることはなかったです。あと7月には海中のコンサートは台風で行けず。ちょっと悲しい夏となりました。

 

9月29日は15歳の生誕祭、。I4Uのみんなで祝って、うさみみをして、ファンと一緒に写真をとりましたね。このときから生誕委員をしてたんですが、うさみみを100均で調達するときに、まとめて注文ができなかったので、福岡中のお店にみんなが行ってくれてわずか1日で300個を揃えたことを覚えています。

 

あと、この頃ははるたんの反抗期の真っただ中だったと思います。今では信じられないかもしれないけど、握手会ではまず機嫌がいいかどうか最初に確認するようにしてて、ご機嫌を取るのが大変でした。特に朝イチはご機嫌斜めで。いつの握手会か忘れたんですが、東京ビッグサイトであった握手会で、朝早くて、一番奥の端っこのレーン。会場にも人がまばらな中で、自分を含め3人しか居なくて。はるたんが拗ねてしまって・・。その時は自分も悲しかったし、はるたんもツラかっただろうと思います。反抗期のお年頃だけど、あの光景は本当に辛かったと。そして同時にこの子をずっと応援し続けようって改めて思いました。


2015年に入って、公演三昧のスタート。1月26日にはTNCテレビの「ごぼてん」の「さしのうどん」のコーナーに出演。「キャラがない」という悩みを相談してましたね。今では個性しかないはるたんになりましたが(笑)。3月21日には昇格1周年を迎えて、このブログを始めることにしました。6月の総選挙はランクインできなかったけど、まだ本気という感じではなかったのではるたんもファンもそこまで落ち込んではなかったですね。

 

9月24日の16歳の生誕祭は、劇場があったホークスタウンの片隅で公演開始ギリギリまで準備をしていたのを覚えています。フラスタにあったラブリーな私服は後の握手会で着てくれましたね。

 

劇場公演と握手会に明け暮れた1年間のなかで、11月の4周年はI4Uにとっての転機になりました。ステージイベントはホークスタウンの空き店舗を利用して、平日の昼間にあったけど、仕事を抜けていきましたもん。からしシュークリームではるたん専用のバケツが用意されたり、記念公演では「ガラスのI Love you」をしたり、非公式ユニットのI4Uが認められましたね。それにしてもこの頃のはるたんってめちゃめちゃ可愛くないですか?

 

12月23日にはHKT劇場が来春閉館することが発表されて、その翌日の福岡の個別握手会には行ってたけど、その裏であんなことがあってたなんてびっくりです。その時は年明けに起こる大きな出来事を知る由もありませんでしたが。


2016年は1月29日にドキュメンタリー映画の初日舞台挨拶に出演。選抜メンバーのなかでなぜか「上野遥」の名前が。そして主題歌の選抜であることが発表されました。ちなみにこのブログの最高アクセス数を記録したのが、この日でした。恐らく「上野遥って誰?」と名前を検索してブログを見たのかもしれませんね。

 

映画は4回見に行きました。同じ映画を複数回見たのは初めてだし、今後もないでしょう。毎回感動するし、今でもDVDで見るとまた泣いてしまいます。初期の頃の葛藤から最後の選抜に選ばれるまで。本当に素晴らしい映画だったし、はるたんの頑張りが認められた瞬間でもありました。

 

2月にはただ恋で節分公演がありました。自分も公演に行ってたんですが、節分と言うことでメンバー1人1個だけ、サイン入りの節分豆を投げることがあって、折り紙で作った本当に小さなものでした。他のメンバーは節分なので投げてましたが、はるたんは最初は上手居たのに、わざわざ下手に移動して手渡して自分にくれたんです。めちゃめちゃ嬉しかったけど、このことは当時はあまり書かないようにしてました。理由はご想像に任せます。

 

アリーナツアーのサシコドソレイユが2月6日から名古屋から始まり、はるたんは全公演に出演することが決定。映画の主題歌の関係かもですね。翌7日は幕張で握手会があって自分も行ったんですが、サシコドはいつ来るのって聞いてきたので、そろそろ主題歌の初披露もあるのかなと悟りました。ちなみに自分は福岡だけでしたが。

 

2月20日は劇場の「せり」が上がらず公演が中止になり、出べそで土下座をするはるたんの姿が話題に。そして2月23日のサシコド代々木1日目で、新劇場が西鉄ホールになる発表が行われ、翌日24日にいよいよあれが初披露になりました。

 

アンコール明けにドキュメンタリー映画の映像が流れ、はるたんの涙を堪えながらの言葉。そして主題歌「Chain of love」の初披露。代々木第一体育館がみるみピンクの光一色に。自分が会場には行けなかったけど、後にDVDで見て、あの時に会場に行かなかったのは、はるたん推しとして、最大の後悔だったと今でも思っています。

 

「Chain of love」は周年公演やコンサート、イベントでもよく披露されて今ではHKT48を象徴する楽曲のひとつになりましたね。卒業公演でもやりました。本当に素晴らしい曲でこれからも受け継がれて行ってほしいと思っています。でも今後聞くたびにはるたん推しの心はザワザワするだような~。直後の福岡握手会では横断幕を掲げ、お祝いすることができましたね。

 

3月29日と30日はサシコドソレイユのマリンメッセ福岡の2日間。自分は今まで行けなかった分、両方に行きました。1日目はちょっと遠めの席だったけど、念願のCOLを見ることができて大満足。2日目はセンターステージにかなり近い良席だったけど、どうしても抜けれない仕事の飲み会が。1次会で何とか抜けて天神から会場までタクシーで行って、顔が赤かったと思うけど何とか入ることができました。でもI4Uの寸劇は終わっていて、アンコールに入ってたので、ほぼ見れなかったし、酔ってて何も覚えてないというツアーファイナルとなりました。

 

3月31日に旧劇場の移転公演があって、その間出張公演とかを行い、4月28日に西鉄ホールでオープン公演がありました。専用劇場ではなくなってしまって、前のようにたくさん公演をすることは難しくなったけど、シアターの女神公演も始まり、ますますパフォーマンスに磨きが掛かるはるたんでした。

 

5月にはおでかけロケで結果を残して、ロケのよく呼ばれるようになりましたね。中学を卒業してもなかなか外仕事に呼ばれないことをすごく悩んでましたので、やっと陽の目を見た感じですね。

 

そして選抜総選挙。はるたんも初めて本気で臨み、ファンも本気で臨みました。6月1日の速報では100位にランクインしたものの、本選ではランクインすることができませんでした。自分も今考えるとありえない数のCDを買って投票しましたし、速報に向けてみんなで集まって作業したことを覚えています。今は総選挙はなくなってしまったけど、どうだったんでしょう?メンバーもファンも得るものも多いなか、それ以上に色んなものも失うものでもあったので。

 

7月12日には夏のホールツアー福岡で4期生がお披露目。やっとここで4期生とかサシコドとか映画の時は4期はまだ居なかったんですね。今ではHKT48の中心的な期だと思うし、成長著しいです。会場はサンパレスだったんですが、4期生がお披露目されたとき、はるたんは上手の袖から不安そうな顔で見てたんですね。どんな感情だったのか今でも分からないけど、何か感じるものがあったんでしょう。

 

9月25日は17歳の生誕祭。そこではまだ言えないけど、嬉しい出来事があるって言ってましたね。そして11月5日に博多座の出演が発表されました。確か朝早くからSHOWROOM配信をしていて、情報解禁の時間が思ったより遅れて、4時間くらい配信してましたよね。自分は子供とスぺワに居たんですが、ずっとイヤホンで聞いてたので、通信量が大変なことになりました(笑)。

 

でもホントびっくりしましたよね。演技の経験もなくて、HKT48主催の舞台でもなく、完全な外仕事でHKT48からただ1人抜擢されて。今考えるとHKT48で本格的に演技の仕事をしたのは、これが初めてだったのかもですね。将来の夢が女優とかのメンバーもいるなかで、そうじゃないはるたんにオファーがあるなんてビックリです。

 

11月25日には5周年で、今は無き天神コアの屋上でイベントをしました。4周年でもあったはるたん専用のバケツも登場しましたね。自分はけっこう朝から並んで前の方で見ることができました。周年公演にはなぜか当選しないんですが、前日とかのイベントにはちゃんと行くことにしてました。リバイバルの脳パラやレジェンド、パジャドラ公演は懐かしくて良かったですね。

 

12月6日には、博多座の公式レポータとして、インタビューをしたり、その模様は12月26日にテレビで放送されいよいよ動きだしたという感じでした。


2017年に入って、1月6日には博多座のCMが放映開始して、福岡では普通にテレビで流れてて、家で見てると突然のはるたんって感じでしたね。家族に自慢したくらいでしたが、そういう訳にもいかず(笑)。1月22日のリクアワで「Chain of love」が16位に。AKBG全体で16位なんてスゴイですよね。映画もあったし、曲としての評価も高かったのかもですね。

 

1月28日からは東京で博多座の稽古が始まりました。2月21日には役名「瓜生瑞帆」が発表。2月23日まで約1ヶ月に渡った東京での稽古を完走しました。福岡に戻って、行きつく暇もなく精華高校で練習して、小屋入りでは「めんたいワイド」に出演しました。夕方の福岡ローカルテレビだけど、いつも見ているテレビにはるたんが出るなんてびっくりです。

 

そして公開稽古、囲み取材、ゲネプロを経て、3月4日に初日を迎えました。昼夜2回のマチソワもあって、3月26日に全31公演を完走しました。中日近くの3月16日には博多座の近くのサンパレスで「ダイスキフェス」に出演。HKT48の一員として、華丸さんや精華女子と一緒に出演しました。自分もフェスを見に行ったけど、久しぶりのHKT48のはるたんは輝いてましたね。

 

「熱血!ブラバン少女。」は初日と千秋楽と間に2回と全部で4回見に行ったけど、見るたびに進化していく瓜生瑞帆を見ることができました。最初は上野遥が出てる感じだったけど、そのうちはるたんということは忘れて瓜生瑞帆を見ていましたね。新幹線カルテットの一員として、セリフも多くて本当に良く頑張りましたよね。サシコドの寸劇に棒読みだったあのはるたんが(笑)

 

早々たる俳優さんたちのなかで、あれだけの演技をするには相当の努力だったんだと思います。泣きながらも必死に食らいついて稽古を頑張ったんですもんね。そしてこの舞台をきっかけに自分の殻を自ら破って、明るい前向きで積極的なはるたんになりました。もともとそういう性格だったのかもしれないけど、それが前面に出ました。この舞台なしには今のはるたんは無かったと思いますし、大きな転機になったことは間違いありません。

 

4月1日の春の関東ツアーでは、SSAでらぶたんさんと「天使のしっぽ」を。夏にかけてはメンバーの卒業が続いて、6月17日には総選挙があり、今回もランクインすることはできませんでした。自分にとっては2回目の選挙でかなり頑張ったんですが、力不足でした。個人的には総選挙はそれで卒業することを決心しました。それだけ背水の陣で頑張ったつもりでしたので。

 

10月3日は18歳の生誕祭。博多座をイメージした上野座のフラスタを送りました。詳しくは前のブログで。この1年は握手会も多くて、関東ツアーもあって、前半はもちろん博多座、そして総選挙と本当にイベントが盛りだくさんの1年でしたね。


2018年に入って、1月28日は北九州でHKTのアルバム写真会。HKT握手会の北九州での写真会は初めてだったかもです。公演衣装と言うことで「初恋よこんにちは」の衣装でめちゃめちゃ可愛かったですね。自分は福岡と北九州は必ず行くことにしてるけど、1度だけ子供がインフルで看る家族が自分しか居なくて行けなかったことがあったけど、知り合いのはるたん推しさんがそれを握手会ではるたんに伝えてくれて、その優しさで心が暖かくなりました。

2月5日にはスカラエスパシオでの公演が開始。スカラは縦長で少し見にくかったけど、音響は良くて自分は好きだったです。3月は同期の卒業も続いて、春は出会いの季節でもあるけど、別れはやっぱりツラいものです。そしてはるたんは高校を無事卒業しました。

 

5月3日にはアビスパ福岡のサッカーイベントに出演。スタジアムは家の近くなので行ったけど、写真も撮ることができて大満足のイベントでした。みんなが別の方向を向いているなか、自分に目線をくれるはるたんは神でしたね。

6月16日の選抜総選挙は残念な結果に終わったけど、来年に向けて気持ちを切り替えてはるたんは「7つの目標」を立てました。あきっぽい性格のはるたんがこの後1年間、この目標をほぼ達成するなんて思っていませんでした。あと関係ないけど、このころのビジュアルが一番可愛かったと今考えるとそう思います。

8月14日から3日間はガスホール?で夏祭りイベント。自分はお盆は休みじゃないけど、昼休みにダッシュで見に行きました。8月25日は糸島の芥屋ゴルフ場でKBCオーガスタにゲスト出演。アビスパのサッカーも良かったけど、HKTの写真を合法的に撮れるイベントはあまりないので、夕方のために朝イチから頑張っていきました。

真夏の炎天下のなか7時間くらい待ってたのかな?でもビール飲み放題で食べ物のあったし、はるたん推しさんと話しているうちにあっという間にイベントの時間に。グリーン周りでのパフォーマンスにアプローチコンテスト。グリーン周りではちょっと遠かったけど、たくさんの写真が撮れたし、アプローチコンテストはホント2mくらいの位置で撮ることができました。こんな神イベントは他にはないですね。

9月からはヨカ×ヨカ配信が始まって、天神のPARCOで公開配信。全部で10回近く出たのかな?。最後の方はコロナで無観客になってしまったけど、公開配信の時はすべて現地に行きました。ガラス越しではあるけど、間近にはるたんを見れるなんて最高でした。それに無料でしたし。

10月2日からHKTBINGOライブが3日間サンパレスでありました。通常のライブとは違って楽しかったですね。10月27日には19歳の生誕祭。RESET公演で会場はスカラエスパシオだったかな?終盤は7周年や歌唱力決定戦、HKTコンサート、AKB紅白にも出場しました。

12月21日はMステに出演。AKBG100人でヘビロテを披露したけど、はるたんがどアップになりましたね。ポジションやカメラ割でいい位置だったんでしょう。家でテレビで見ててホントびっくりしました。はるたん持ってますね。こうやって振り返ってみると2018年は怒涛の活動でした。


2019年は1月9日に2期生でR24を結成、2月23日には「博多リフレッシュ」公演がスタート。このユニットが卒業公演の演目になるなんて思いもしなかったですね。4月1日には「ぐぐたす」が終了。初期の頃からほぼ毎日更新してくれたぐぐたすがなくなるのは、すごく寂しかったです。SNSがたくさん増えて、ぐぐたすだけじゃなくなったとは言え、一日のまとめみたいなものを書いてくれてたのが良かったし、自分もコメントしてましたから。昔は1コメとか狙ったり、500コメ行くようにたくさんコメントしたり、思い出いっぱいですね。

 

4月26日には再びMステに出演したひな壇で一番前のカメラの近くに。数年前の紅白でもそうだったけど、テレビに映るときは、いつもいいポジションで嬉しいですね。4月28日は指原さんの卒業コンサート。自分は行かなかったけど、はかま姿がめちゃめちゃ可愛いです。5月28日のマリンメッセ福岡の感謝祭にはもちろん行きましたよ。

 

7月からは九州7県ツアーがスタート。自分は8月4日の北九州に行ったけど、久しぶりのライブは最高でした。指原さんが卒業した後でのライブはメンバーみんな気合が入ってて、新しいHKT48の明るい未来を感じることができました。

 

8月31日は去年に引き続いて、KBCオーガスタに出演。去年の反省点を生かして、今年は最前列でいっぱい写真を撮りました。その時のブログにたくさん載せてますので、見てくださいね。自分は写真を撮るのがすごく好きで、機材は大したことないけど、はるたんが卒業したあとも、HKT48の写真が撮れる機会があれば行こうと思っています。

 

9月20日の20歳の誕生日当日は、東京恵比寿でアイアライブがありました。誕生日当日だし、20歳ですもんね。自分にとって最初で最後のアイアライブとなりました。サプライズとかもあって、ホントにいいライブだったし、頑張って行って良かったなって思います。今後自分がこんなに熱くなれるメンバーが現れるんだろうかって思います。

 

10月5日は熊本でイベント。熊本城とバスセンター前のラグビーイベントが同日に続けてありましたね。当日はいい天気で夏のような暑さだったけど、両方見ることができて大満足のイベントでした。やっぱり野外のイベントには、はるたんは似合いますね。

 

10月12日は九州ツアーの熊本。2週連続ですが、自分も行ってきました。寸劇に出たり、ユニットがあったり、すごく良かったですね。思い起せば、今日の6年近く前にHKTの初めてのツアーだった九州7県ツアーで来たことのある熊本県立劇場。月日の流れる速さとはるたんの成長を感じずにはいられませんでした。

 

この間、東京に博多座の稽古に行ったり来たりで、忙しいなか、10月20日は名古屋で握手会。会場は空港にすぐ近くで日帰りで行ったけど、帰りの空港の出発ロビーにはるたんが居たんですね。もちろん話しかけたりはしないし、敢えて遠くで気づかれないようにしてました。1つ早い便に乗って行ったので、良かったです。

 

飛行機で思い出したけど、空港ってけっこうメンバーさんに会いますよね。4期生が入って最初くらいの握手会の福岡空港で4人の4期生に会ったこともあるし、大阪の握手会終わりにバス停で待ってたら、はるたんに遭遇したこともあるし。それでも普段の街なかでは、会ったことはないので、今後も会うことはないかもですね。ずっと福岡にいるかどうかも分からないですしね。自分は地方公〇員なので今後もずっと福岡にいます。

 

11月9日からは博多座でAKBGで「仁義なき戦い」に出演。はるたんが単独で出演したブラバン少女とは違って、48グループの舞台で、HKT48だけじゃなく、いろんなグループのメンバーとも仲良くなりました。最初はちょい役っぽい感じだったけど、稽古で主役級のメンバーの代役を志願してするなかで、出番がかなり増えたようです。

 

アドリブもあって、堂々とした振る舞いができるのは、やっぱり舞台経験のあるはるたんならではですね。勝手知った博多座の舞台なので、のびのびと演技をしていたし、第2部のレビューは得意分野でした。他のメンバーにダンスを教えたりしてたようで、ここでもはるたん先生です。

 

最初、仁義なき戦いという演目をアイドルがやるのはどうなんだろうって思っていたけど、それは1度見たらその想いは払拭されましたね。縁あって5回くらい見に行ったけど、ホント良かったです。毎回お見送りもあって、全メンバーなのではるたんを探すのが大変だったけど、毎回ちゃんとご挨拶できました。

 

11月26日は8周年公演。博多座と周年があったので、20歳の生誕祭は11月28日まで延びてしまいました。でも記念すべき20歳の生誕祭をしっかり劇場でお祝い出来て良かったです。年末に掛けてメンバーの卒業発表もあったけど、公演以外にもいろんな出来事があった1年でしたね。


2020年は、1月13日は神田明神でAKBGの成人式。前日がLitcharmからのR24イベントだったけど、ほぼ寝てない状態でも元気な姿を魅せてくれました。成人式は現地に見に行こうって以前から密かに思っていたけど、残念ながら無理でした。誕生日当日はアイアライブ、生誕祭は劇場で見れて、あとは成人式だったけど、仕方ないです。でも13歳から応援している子が20歳なんて感無量ですね。

 

2月頃から新型コロナウイルスが出てきて、緊急事態宣言の発出に伴って2月26日からの劇場公演は中止に。当初は夏には収束するだろうって言われていたのに、2年経った今でも第6波が来ているなんて。このコロナでHKT48に限らず、いろんな人たちに大きな影響や制約を与えてしまっています。5期生とかは特に思い描いていた活動ができず、公演さえもできなくなりましたね。

 

そんななか中止になった翌日から3日間、はるたん先生主催公演としてレッスン場から公演配信をしてくれました。これに賛同してくれたメンバーさんに感謝だし、急遽でもこれだけ人が集まるのもはるたんの人柄なのかなって思います。

 

そして3月14日には髪をピンクに。ずっとしたかったらしいけど、きっかけはLitcharmのMV撮影もあったようです。卒業公演では髪をピンクにしたことをファンの方が受け入れてくれるか心配だったそうだけど、大丈夫でしたね。実は自分は最初はどうかな?って思っていたけど、すぐに慣れてましたが。ピンクの生誕Tシャツを着るのに抵抗がなくなって、逆にピンクじゃないと気持ちが悪いのと一緒ですね。

 

最初は握手会とかでファンと会うまではこのピンクの髪色をキープするみたいなことを言ってたけど、コロナで会う機会もなくて、結果卒業まで。明るい色だから、色落ちも早くて常に保つもの大変だったと思うけど、最後までありがとう。今後のお仕事は髪色は自由な感じの職種なのかな?そういう業種は限られてますからね。

 

3月30日は天音さんの卒業公演が無観客の配信で行われましたね。その時はファンの気持ちを考えると大変だな~くらいにしか思ってなかったけど、はるたんも最悪そういう形になる可能性もあったんですよね。コロナなので仕方ないけど、卒業を2度も延期してまで、有観客にこだわってくれたことに感謝してます。

 

4月1日は新会社に移行。同時に尾崎支配人も退任されました。尾崎支配人とはかなり前の支配人部屋でお話ししたことがあるんですが、すごくHKTのことを考えてやってくれているなって感じました。直後にはるたんとも話したけど、外からと中からの景色はまた違うのかもしれませんね。

 

4月22日には「3-2」が発売になり、その前にLitcharmとアイアのMVも公開されました。会えない時期が続くなかで、配信系や動画を上げてくれたりとファンを楽しませてくれました。7月5日からはレッスン場から「THE LIVE」が配信。歌に真摯に取り組む姿が見られました。7月17日には新劇場がお披露目されて、11月2日に新劇場がオープンしました。

 

待望の専用劇場です。旧劇場が閉鎖されてから、西鉄ホール、ガスホール、スカラエスパシオを使いながら、公演をしてきたけど、休館日が多くて、ホールなので劇場感も劣っていて、やっとという感じです。旧劇場には住んでいたくらいのはるたんだったから、一番うれしかったでしょうね。4期生以降は初めての専用劇場なので感無量でしょう。

 

11月4日にはアイアライブで、かえちゃんと生意気リップスを。11月15日にはチームオレンジで「博多なないろ」公演が初日を迎えました。9周年もあり、ミュン密も始動して活動が再開していくなかで、12月19日にはマリンメッセ福岡の「ドリームステージ」に出演。コロナ禍でもあったけど、撮影可だったし久しぶりにはるたんに会いたくて会場へ行きました。はるたんだけじゃなくたくさんの写真を撮ることができました。やっぱりステージ上のアイドルさんはホントきらきらしているし、それを写真に納めることができるのは、至福の喜びです。

 

そして12月21日には、劇場公演出演回数が1000回に達して、特別公演がありました。2期生にして、HKT48初めての1000回達成の大偉業を果たしましたね。劇場公演がしたくてHKT48に入ったはるたんが、HKT48で一番の場所に立った瞬間でした。この1000回はたくさんポジションを覚えて数多くの公演に出たり、助っ人公演も積極的に出演。初期の頃は本当に毎日公演に出てましたもんね。それに休演がインフルの1回だけとか信じられません。

 

HKT48の劇場公演のレベルをここまで上げたのは、はるたんのおかげと言っても過言じゃないと思います。決して妥協せず、何年たっても全力で一切手を抜くことなく。チームオレンジのレベルがみるみる上がって行ったのも、はるたんが指導という訳じゃなく、一緒になっていいものを作ろうという想いがメンバーに伝わったんだと思います。その公演に対する想いは卒業してもメンバーに受け継がれていることでしょう。


2021年は、ミュン密の活動が本格的に始まりました。2月20日に初日を迎えたミュン密の「水色アルタイル」には俳優として出演。28日までオンライン演劇という初めての取り組みに全力で挑みましたね。毎回ちょっとずつ違ったアドリブもあって、5人の成長が見れてすごく良かったです。5人が扮するシュガースターが歌う「水色アルタイル」はHKTのリクアワでも披露されましたね。

 

3月3日にやっと有観客公演が再開。R24公演もリスタート。4月11日にははかたんじょうかいのMCもして、4月27日はチームH公演は始まりました。5月の連休には連続6日7公演を完走。5月15日には咲良さんとなこちゃんのHKT48復帰と咲良さんの卒業発表がありました。

 

5月29日には北九州でHKTコンサート。自分にとっても久しぶりのコンサート。コロナ禍なのでマスクでコールもできず。新劇場はできたけどまだ公演には行けてなかったので、ものすごく楽しいコンサートでした。やっぱりHKT48っていいなって思いましたね。

 

6月5日には本当に久しぶりの対面での握手会がありました。緊急事態宣言が出ているなかの握手会だったので、自分は取ってなかったけど、これを最後にまた長い対面握手会ができないことになるなんて。

 

7月9日には熊本復興応援ライブに出演。自分も熊本まで行ってきました。前日に九州北部地方は大雨で行けるかどうか微妙だったけど、何とか行くことができました。この数日前にコロナワクチンの2回目接種が終わって劇場公演にも行ける抗体をやっと得ることができました。

 

7月14日にはメンバーのなかでも少数なTwitterの公式マークを獲得。はるたんは卒業してもTwitterとインスタのアカウントは残すつもりと言ってたけど、公式マークがあるのでそのまま行けるんですかね?

 

7月24日は初開催されたHKTのリクアワ。「Chain of love」が7位にランクインしました。福岡国際センターまで見に行ったけど、すべてHKT48っていいですよね。はるたんも言っていたけど、これは毎年やべきだと思います。最初で最後の水色アルタイルも見れましたしね。

 

9月20日の誕生日当日は、前日から日またぎでSHOWROOM配信をしてくれました。9月23日は、はかたんじょうかい。9月30日には2期生お披露目9周年記念配信。10月16日には北九州で開催される世界体操・世界新体操の特集番組に出演しました。さえちゃんと一緒に新体操の演技も頑張って、デコ出しも披露してくれました。

 

10月26日は22歳の生誕祭。前向きな言葉も聞けたので、これが最後の生誕祭になるなんて。10月30日は劇場でおしゃべり会。いつもの劇場でのおしゃべり会は新鮮だったけど、ホーム感があって広い会場より逆にいいかもです。11月2日には新番組HKTVの初回放送に出演して大活躍を見せてくれました。

 

11月6日にはかえちゃんの卒業発表。本当にびっくりしました。しばらく放心状態になりましたし。それと同時に最愛の後輩が卒業してしまったらはるたんは大丈夫かなという心配もありました。11月27日の10周年公演ではかえちゃんとCOLで共演しましたね。

 

そして12月15日には卒業発表。なないろ公演が最後だったので、自分も劇場で聞いたんですが、その時の様子は当日のブログに長々と書いてますので、それを見てくださいね。かえちゃんの卒業発表から1ヶ月ちょっと。いつかは卒業の日が来ることは分かっていたけど、こんなに早いとは。そして実感がないというかこの現実を受けいられないまま数日が経ってしまいました。

 

発表直後の12月19日には、福岡国際センターで会場でおしゃべり会がありました。本当にいつもどおりのはるたん。あっけらかんとしているはるたんが居て。卒業という実感がなく、何を話したかも覚えてないまま久しぶりの握手会が終わってしまいました。正直に言うと、はるたんの笑顔が逆に辛かったです。

 

12月21日にはアイアライブが豊洲でありました。こんなことなら応募しておけば良かったけど、コロナ禍での東京でだし、年末の平日で無理でした。12月31日は去年中止になったハウステンボスでのカウントダウンイベントに出演。大好きなハウステンボスで年を越すことができて良かったですね。


2022年は、1月1日はハウステンボス帰りにそのまま2期生で愛宕神社に初日の出を見に行きましたね。実は自分も行こうと思ってたんですが、朝寒すぎてバイクで行くしかなかったので断念してて、逆に良かったかもです。1月6日のR24公演では、かえちゃんと「君と僕の関係」をしました。翌1月7日にはかえちゃんの卒業公演。はるたんの卒業と相まって、涙なしでは見ることができませんでしたね。

 

1月8日から2日間は横浜でおしゃべり会。月末にはアルバム写真会が予定されているものの、年明けからコロナが急速に拡大していて、この時も行くかどうか悩んだけど、卒業を控えているし、思い切って行くことにしました。福岡でのおしゃべり会では大した話はできなかったけど、2日目には少し真面目な話をして、伝えたいことを伝えることができたと思います。

 

遠征する握手会は、握手はもちろんだけど、はるたん推しさんとの交流も楽しくて、福岡だったら車で来てたり、すぐ家に帰る感じだけど、関東はけっこうみんな残ってくれて。やっぱり遠征は楽しいなって改めて思った握手会でした。そして月末にまた来れますようにと願いつつ、帰途につきました。

 

1月20日にはレッスン場配信でパジャドラ公演を。1月21日の最後のLitcharmには自分も初めて行きました。迫力のあるダンスととにかく楽しいMCや企画にもっと行っとけばよかったなって。はるたんはたくさんの演目に出てくれていろんな表情を私たちファンに魅せてくれました。

 

1月26日には、1月31日に予定されていた卒業公演の中止(調整中)が発表されました。最後の東京写真会もです。コロナなので仕方ないけど、卒業公演まで普通にやらせてくれないなんて。1月28日は写真会の振替と卒業の延期が。当初の卒業日だった1月31日には、卒業記念のSR配信をしてくれました。1人でしゃべり倒しましたね。今日で仮卒業という形になったけど、はるたんらしい楽しい配信となりました。

 

2月7日に卒業公演の延期日が2月22日に設定され一安心と思いきや、2月17日に再度の延期に。それでも2月19日の朝に卒業公演が2月26日になることが発表されましたね。ラストチャンスということで、何とか無事に開催して卒業してほしいという気持ちでいっぱいになりました。

 

日程発表があった2月19日から3日間は写真会の振替オンラインで、みんな最後のお別れを。自分の最終日に感謝の気持ちを伝えることができました。これではるたんとお話しすることも最後なのかと思うと寂しい気持ちでいっぱいです。9年間も何度も話してたのに最後なんて。最後の笑顔から通信が終わったあとの虚無感は今でも心に残っています。

 

そして2月26日。とうとうなのかやっとなのか、卒業公演が無事に行われました。自分ももちろん劇場でお見送りをしてきました。そのときのことは前のブログに書いてますので、そちらを見てくださいね。

 

はるたんと出会った2012年12月20日から卒業の2022年2月26日まで。9年2ヶ月間の思い出を書いて行きました。長くなるだろうと思ってたけど、予想どおり長くなってしまいましたね。これでも書かなかったこともあったんですけど。

 

応援している期間の長短とかは関係ないとかよく言われるけど、長ければ長いほど思い出もいっぱいだし、思い入れも深いものだと思います。古参アピールと言われるかもしれないけど、自分は誰よりもはるたんを長く深く応援していたという自信があります。

 

これだけたくさん書いてきましたけど、一言でいうと「楽しかった。ホントに楽しかった」という感じです。思い出の数だけ別れはツラいけど、はるたんの今後の活躍を心から願って終わりにしたいと思います。