5月24日の明け方に、母は息をひきとりました
4月24日に新たな抗がん剤のため入院する予定でしたが、抗がん剤をやる体力がないということ、何よりも本人が「やりたくない」と初めて言ったことをを尊重して、在宅医療を行うことを決意しました
担当医は在宅医療推しでした
診察室に私と妹だけが呼ばれて、主治医から「早くてあと1週間、介護保険を申請してるって言ってたけどそれがおりるまで難しいんじゃないかと思う」と言われました
日に日に母の出来ることが減っていきました
食欲がないということに加え、食べられるものが減っていきました
あんみつ、アイスの実(メロン味)、バニラアイス、ICEBOX(母はカチワリと呼んでいました)、プリン、コーヒーゼリー…
徐々にお茶や水を飲むのに楽のみを使うようになり、そのお茶や水を飲むことさえ辛そうにしていました
トイレにも行くことが出来なくなりました
笑顔も減り、息苦しそうに呼吸をして、弱音を吐くこともありました
「前ならカーテンをシャッと開けて朝日が入ると、あー朝だーって思ったけど、今は違うもんね。朝がくると、また(辛い)1日が始まるんだ…って、そう思っちゃう。幸せだよ、みんな良くしてくれて幸せだけど、それよりもえらさの方が勝っちゃう。わがままかもしれないけど、そう思う」
耳がつまると言っていました
見ているものが二重に見えるとも言っていました
スマホを持つことも出来なくなりました
少しずつ、寝ている時間が増えてきて、たまに「?」なことを言うようになりました
ケアマネさん、ヘルパーさん、薬剤師さん、看護師さん、主治医が往診に来てくれました
入浴介助は、とても嬉しそうでした
ほどなくして「入院したい」と言い始めました
私と妹は、母の気持ちを尊重しようと思いました
父は「遠慮してそう言ってるんじゃないか」と思っていました
介護ベッドが置いてあるリビングには、エアコンが付いていません
5月初旬にエアコンを注文しましたが、取り付けが最短で5月24日と言われました
「入院したい気持ちは100パーセントのうち何パーセント?」と聞いたら「100パーセント」と言っていました
「入院したら、もう家に帰ってこれないかもしんないんだよ?」と言ったら「うん、それでもいい」と言いました
父にも「お願いだから入院させて」と懇願して、父が「分かった、入院させたるでな」と言い、その翌日の5月18日に入院しました
入院した翌日から、母は「帰らせて」と言うようになりました
薬のせいなのかもしれません
ここから3日ほど、会話が噛み合わないことが続きました
そして、そのあと2日ほど会話が成り立つようになりましたが、もう声がほとんど出ないのです
母が何を言いたいのか、理解してあげられなくなりました
伝えれず、母が悲しそうな顔をしていました
そして、ほとんどウトウトとしていました
22日の夜、子供たちも連れてきていたし「もう20時だから帰るね」と言ったら、何か話そうとしていました
「あいぅ」「あいぅ」と、その日の昼から何度も言っている言葉でした
「アイス?」「会える?」「あ?い?」
伝わらなくて、母が辛そうな表情をしていました
ほとんどウトウト状態なので、だんだん目をつむっていきました
お母さんの胸の辺りに顔をくっつけました
お母さんの心臓の音を聞いておきたくて
癌が分かってから、まだ歩けるとき、たくさんハグをしたなぁ…
もうハグも出来ないんだなぁ…
「あいぅ」とまた何度か声に出していました
3文字っぽいから違うよねぇと思いながらも「ありがとう?」と聞いたら目があいて「ありが」「とう」と言ってくれました
驚きました
まさか、ありがとうだったなんて
子供たちが見ていたけど、私は声を出して泣いてしまいました
そして母は、左手で右の頭をなでてくれ、右手で左の頭をなでてくれ、左手で私の右頬と口と鼻を触れてくれました
お母さん、ありがとう、大好きよ
23日の昼に、主治医から「もう努力呼吸の状態なので。今夜がいけないと思うので、今のうちに会っておきたい人には会ってもらったほうが良い」と言われました
母の親友2人に声をかけて、来てもらいました
今夜がいけない、と言われたので、私は病院に泊まることにしました
父は遅くまで病室にいたけど、翌日も仕事なので帰りました
妹も子供がまだ2歲だし旦那さんが夜勤なので帰りました
母は、目をつむっているか、あいても左右違うところを見て瞬きもほとんどせずボーッとした表情で口を開けたまま肩で呼吸をしていました
21時30分ごろから、いびきのような音がいびきとは違う場所で呼吸のたびに聞こえるようになりました
死前喘鳴というやつなのかな
お母さんと一緒に寝るなんて、どのくらい振りだろう
お母さんは上がパジャマ、下がおむつ
私はお母さんのパジャマのズボンを借りて、ソファベッドに横になりました
お母さん、そばにいるよ
大好きよ
2時前から、酸素濃度が90を切るようになりました
4時ごろに、酸素濃度は80台、心拍数も140から120くらいに下がり始めました
4時30分には酸素濃度が75~80
4時40分には酸素濃度が65~70
父に経過を伝えました
今から行くね、とのこと
夜勤帰りの妹の旦那さんに、帰宅したら妹に伝えてもらうようにお願いしました
4時48分には酸素濃度が表示されなくなり、49分には心拍数が84、50分には心拍数が76
看護師さんが2人病室に来てくれました
心拍数が下がり始めたら、もう急激に落下するかのようにどんどん下がっていきました
看護師さんと3人で、53分に、母の息をひきとる姿を看取りました
父が来てから先生を呼びますと言い、看護師さんは退室されました
父が到着し、母の頭をなでながらに「おっかあ、じい来たぞ。帰ろうな」と声をかけたら、母のうっすらあいてる目が少し開いたそうです
死亡確認時刻は5時26分になりました
妹は6時前に到着
母が、辛い闘病生活に終止符を打ち、清々しい気持ちで笑っている姿が目に浮かびます
もう痛いことないね
胸水を抜くドレーンは、本当に本当に辛かったよね
歩けてるよね、走れてるよね
ガーデニングやろうね
東方神起のライブ、また一緒に行こうね
お母さん、お母さんが喜んでいると思うと、私も嬉しいよ
ただ、会話が出来ないことだけが寂しいよ
それだけしか寂しくないのに、その寂しさが今まででいちばん寂しいことだよ
本日、告別式を無事済ませることができました
想像していたよりもたくさんの方に来ていただき、お花もたくさん飾られ、本当に皆様のお陰で立派な葬儀を行うことができました
感謝しかないです
自慢のお母さんです
生まれ変わってもまた、お母さんの子供になりたい
少し先に行って、待っていてくれる?
お母さん、ありがとう
お母さん、大好きよ
これまで、母のブログを読んでくださり、ありがとうございました
ブログを書くこと、ブログを通じてお友達と関われること、母は楽しそうにしていました
ランキングが上がると喜んでいて、そんな姿がとても可愛かったです
本当に、本当に、ありがとうございました
