春風のひとりごと♪ -5ページ目

まもなく、丸13年~

3月になって最初のブログ更新になりました。


今年は元旦に令和6年能登半島地震が発生し、年始から暗い気持ちになりました。

まもなく東日本大震災から、丸13年になります。


今、1月から毎日のように報道される能登半島地震の被災地の様子に、自分が体験してきた東日本大震災の発生からの日々が重なります。

仮設住宅が徐々に出来始めてはいるようですが、避難所(避難)生活を過ごしながら仮設住宅の完成を待ち、入居希望した仮設住宅に当選出来るか?の不安な日々。

壊滅的な街の様子に、復興と復旧された未来像を描くのも難しい日々。

未来より、直近のこともどうなるかがわからない日々。

1日1日を生きることに精一杯だったこと。

全部ではないかも?ですが、今回の地震で再び2011年当時のことを振り返る私です。


避難所生活については、2011年の4月~7月の始めのブログ記事に書いています。

あの頃の私は、まだ宝塚ファンに戻っておらず、俳優の窪田正孝さんの応援をすることで繋がっている皆様に励ましていただきながら、とにかく生きていられました。(今振り返ると誰かが私の支えになってくれてました。)


昨日の深夜の時間帯から既に震災関連の番組の放送が始まってました。

NHK総合の深夜の時間帯の番組は、東北地方のみで放送した番組を、改めて全国で放送してる場合もあります。

今日、9日(土)の午後4時10分から放送される

NHK総合『こころへフォトスペシャル あなたを忘れない 13年目の手紙』

をはじめ、来週にかけて、東日本大震災の関連番組・過去の番組の再放送もNHK総合で(深夜の時間帯に)あります。

民放テレビ局でも、特集番組を放送してくれているところもあります。

その中のどれか1つでもご視聴いただければと思います。


毎年3月になると、2011年の記憶で複雑な心境にはなるのですが、忘れてはいけない記憶として、私の心に刻まれたものなので受け入れていくのみです。


2月も今日で終わりですね~

久し振りのブログ更新になりました。

2月は短いですね。

今年はうるう年で29日までありましたけど。😅

今日は岩手出身の大谷翔平選手の結婚のニュースで世の中盛り上がってますね。

明るいニュースは嬉しいです。😊


今週は、月曜・火曜日と岩手県の太平洋沿岸部に(特に北部の方が)暴風雪に波浪の警報も出ていて、大変な天気でした。

我が家は、(太平洋)沿岸南部に含まれる地域ですが、火曜日の午前中、吹雪でホワイトアウト状態でしたが、娘が前方に注意しながら(車のライトは点灯して)雪道を慎重に運転して買い物に出掛けて来ました。

(吹雪でも特売日なのでお客様はそれなりにいました。😅)

先週も雪❄️は降りましたけど、火曜日は雪の量が多く吹雪で、雪かきも大変でした。😅

朝の6時過ぎに一度雪かきして、買い物から帰宅してから娘が家の前の駐車場の半分を雪かきしてくれて本当に助かった次第です。😅

娘が帰って、残り半分を雪かきしたのですが、日頃の運動不足のためか昨日は疲労感がありました。😅


久し振りのブログ更新で、他にも書きたいことはあるのですが、明日も4時起きしなければならないので、そろそろ就寝しなければ。


明日、ずっーと船の仕事に行ってた旦那様が昨年の10月半ば以来、約4ヶ月半振りに休暇で帰宅するので、またしばらくブログ更新出来ないかも知れません。😅

って、言いながら数日で更新したら笑って下さいね🎵😊



12年11ヶ月~

1ヶ月振りのブログ更新になりました。

今日は、東日本大震災の月命日。

12年11ヶ月が経ちました。

あと1ヶ月で丸13年が経とうとしています。


元旦に発生した能登半島の地震の連日の報道の映像の視聴で、普段は記憶の奥に閉じ込めている東日本大震災発生当時の辛かった記憶が脳裏に甦り、心が切なくなるのは先月から続いたままです。😥


最近、徐々に仮設住宅が完成して一部地域では入居が少しづつ始まったようですが、希望の数に対し、建設が全然追いついてないようですね。😥

仮設住宅を建設する安全な場所を探すのも大変なことかと思います。(断熱性に配慮されているようで安心。)


私の住んでいる地域(地区)では、当時、津波の浸水区域でない土地で、更に平らな土地となると、限られた土地しかなく、私有地を持っている皆様の協力を得て、建設されたりもしました。

避難所の小学校の体育館に、仮設住宅の完成を待ちわびながら最後までいた皆様は、8月の初めまでの約5ヶ月間ほどを生活されてました。

仮設住宅の入居は、高齢者や学生がいる世帯を優先的にしていただいたような?、入居希望する地区等を第一希望・第二希望とかを出して、抽選で決定された。と、記憶してます。今回はどうなのでしょう?

私は、最初の約1ヶ月は同じ地区の高台に住んでいた下の姉の家に避難させてもらったので、避難所の小学校の体育館での避難所生活は4月半ばからで、仮設住宅へ入居した7月の初旬までの約2ヶ月半ほどを生活させていただき、最長の皆様よりは短期間でした。

被災した3月11日からは、約4ヶ月で仮設住宅へ入居出来たことになります。

仮設住宅は、一気に多くの戸数が完成する訳でもなく、少しづつ完成していくので、ジレンマがありました。

当時、高校1年の長男と中学2年になったばかりの息子達でしたので、仮設団地の入り口から一番奥の住宅が我が家に割り当てられた場所でした。

今思うと、雪が積もった時は一番奥の我が家の息子達が雪かきをしながら通路の雪を入り口まできれいにして、同じ仮設団地の皆様に

喜んでもらえたのも懐かしい思い出です。


今回の令和6年能登半島地震で被災された皆様に、改めて御見舞い申し上げます。🙇‍♀️⤵️


まだ2月で、避難所生活を余儀なくされている皆様がまだまだ多くいらっしゃると思います。

ライフラインの復旧もまだで、仮設住宅もの完成もまだと、先が見えなく、不安な気持ちの中で生活されていると思います。

私もそうでした。

無料で相談出来る弁護士・司法書士の方々が避難所に訪問してくれて、私の場合は助かりました。

無料の相談ダイヤルの案内とか、避難所の掲示板には様々な情報が掲示されていたりすると思います。

今は掲示板あるんでしょうか?


まだまだ寒さの中の避難生活、どうかどうか健康に気をつけて過ごして欲しいです。


まとまりの無い内容で失礼致しました。🙇‍♀️⤵️