13年3ヶ月+1日~
6月12日は、1978年(昭和53)に宮城県沖地震が発生した日。
犠牲者の皆様の御冥福を改めてお祈り致します。🙇♀️⤵️
そして昨日は、東日本大震災の月命日。
13年3ヶ月が経ちました。
2011年に誕生した子供達、3月(4/1も)までに生まれ子供達だと、4月からは中学2年生。
4月(4/2)以降生まれだと、中学1年生になっている年齢なんですね。
子供達が成長してきた年月(時間)を考えると、私もそれだけの年数が当時の年齢にプラスされているわけで…。
(今さらですが、当時はまだ40代、今よりも若かった。😅)
先月のブログにも綴りましたが、東日本大震災の記憶が人々の記憶から忘れられていく・風化していくのは仕方ないのかもしれません。😥
ネットの記事を検索して(さまよってい)たら、災害時の人間の姿(対応)で、その人の本質がわかる。という内容のものを目にしました。
本当にそうだと思います。
また同じことを書いていると思われるかもですが…。
当時を振り返ると、避難所は限られた空間で、水・電気等(お風呂やトイレも)のライフラインが復旧するまでは不便な日々で、今後の生活の不安も抱えてました。
今年1月の能登半島地震の発生と被災の様子をテレビで視聴していて、あの頃を再び思い出します。
2011年3月に私が被災した当時、着のみ着のまま、食品・飲料類・生活雑貨の支援の他に、炊き出しの支援、布団や毛布の支援、衣類・特に下着等の支援等も、本当に様々な物質に助けられました。
多くの皆様の支援には、何年たっても今でも本当に感謝するばかりです。
改めて、ありがとうございました。🙇♀️⤵️
最近の能登半島地震の被災地のニュースをテレビ等で視聴していて、復旧復興の進捗のスピードを遅く感じます。
まだまだ、仮設住宅も足りず、避難所生活されている皆様がいらっしゃるみたいです。
まずは、ライフラインの完全復旧と避難所から仮設住宅か、みなし仮設へ1日も早く安心して住めるようになることを願うばかりです‼️😥
もっと伝えるべきことがあるはずなのですが、文章にまとまりがなくて失礼致しました‼️🙇♀️⤵️