炭酸びんぼうラムネ




「牛革紳士の章」①





ごくり。何度も喉が鳴ります。ごくり。旨そうやな。ごくり。





三度目の喉の高鳴り。





卓上の上に伸びる右腕。





きらりと光るはキッコーマン生醤油。





ごくり。





10歳の頃、ワシはいつでもどこでも、そしてどこまでも腹を減らしておりました。教育者の両親、片方は継母でございました。





継母さまの逆鱗に触れた6歳の日曜日。





夕暮れ時、食卓の上には湯気をもくもくと吐き出す「すき焼き」。





新しい家族の始まりを祝う門出の「すき焼き」で。





6歳のワシの失言。





「ふりかけご飯も食べたいわ!ふ~りかけ!それっ、ふ~りかけ」ふりかけコール。だって子供はふりかけ大好き。何でもふりかけたり混ぜ合わせたりするのが好きな年代ですもの。ふりかけ食わせろや!





「ふ~ん、わかった」





継母さまの意味深な笑み。




翌朝からおかずはふりかけのみ。





昼飯はワンポイントおいて給食。





そしてまたふりかけ。土日なぞ8連続ふりかけ。どこまでも追いかけて来るふりかけ。困りましたよ、海苔玉ふりかけには。まぁ、直ぐにふりかけも、そして白飯さえも食卓に登板しなくなる訳ですけども。





んで、今テーブルの上にはキッコーマン。





醤油ご飯は大好きです。ご飯は無いけど醤油はある。醤油はあるけどご飯が無い。ご飯を噛んだつもりで醤油を飲めば感覚的には醤油ご飯になるんと違うの?違うの?





きけんなとんち。





このとんちは危険やで。梅干しを想像して湧いて来たツバをおかずにして飯を食うとんちとは訳が違う。危険を伴うぞ、このとんちは!!





ぐーぐー鳴るお腹、美味しそうに黒光りする生醤油。ほととぎす。





ご飯、ご飯を噛んでるつもりで。ほととぎす。





クイッ。戦国乙女。ほととぎす。





ワシはごくごくと醤油を飲み干しました。





今回のお話はこの醤油を一気飲みした事がきっかけで緊急入院、そして牛革紳士と出会う心温まるエピソードでございます。



       (つづく)


炭酸びんぼうラムネ



「牛革紳士の章」②





醤油。醤油の黒さは命の侵略者。





別名「醤油の命狩り」(民明書房調べ)





体内を駆け巡る、醤油の野郎がワシの生命力を潰しにかかります。あわわ。





せ、せん、先生。しゃ、しゃかい。





社会の先生!!





社会の先生の話はやっぱりホンマやった。





「太平洋戦争中、醤油を飲んでわざと体調を崩し徴兵検査を免れる若者も数多くいました」





兵隊に行きたくない若者が切り札にした、最終手段。醤油の一気飲み。





あわわ。奪われる体力。身体中の水分全てが。売り切れる。醤油さんめがお買い求め。





コップではもはや追い付かず蛇口から直接、体内に仕入れ続ける水とみず。なのにまた、それもすべて、醤油が、ワシの身体の中の醤油がお買い上げ。





ワシの身体が飲むその前に醤油が飲み始めるのですよ。





目玉焼きにはあんなに美味しく響くのに、ちりめんじゃこにも優しいクセして。




なのに、ワシの身体には・・・





「醤油の命狩り」。





どんどんと上昇する体温。あわわ。こりゃ、あかん、せ、先生。僕、兵隊行きます!兵隊行きますから!!




薄れゆく意識、絶望的な渇き、終わりの見えない嘔吐。





兵隊行きますから・・・。




狩られる。このままだと、ワシは確実に醤油に「狩られる」。家から飛び出し、救急車を・・・





救急車を。





社会の先生。。。





やはり、醤油の飲み過ぎは毒でございました。





~白いベッドが2つ程。





点滴を受けるワシを心配そうにのぞき込む隣のベッド、ルームメートの老紳士。




「おや、おや、こんな小さいお兄ちゃんが。可哀想に・・・」





その優しい語りかけ口調、孫を慈しむような笑顔。





ホロリときたさ。ほろりときたよ。久々に触れた愛情、懸けられた言葉。





ほろりときたけど、しめしめ財布盗んだろかとも思いました。





こうして、消灯時間にむけて夜はふけてゆくのでございました。



      (つづく)



炭酸びんぼうラムネ



「牛革紳士の章」③





昼下がり、スヤスヤと寝息を立てる老紳士。お昼寝タイム中。





静けさを帯びた病室に時計の秒針だけがコチコチと響き渡ります。





しめしめ。コチコチ。しめしめ。コチコチ。しめしめ。コチコチ。





コチコチ。しめしめ。





お財布、お財布を。





盗むなら、今や!今しか無い!老紳士のベッドにそっと近寄ります。そっと枕の脇の引き出しを開けます。しめしめ。コチコチ。直ぐに現れた、眼鏡ケースと・・・





牛革のお財布!





年季の入った牛革のお財布。強烈な存在感。金なら入っておる!円で、ドルで、ユーロで、元で!入っておるのだ!!とばかりに、ワシにアピール。





お財布を目前にして、頭の中で早くも演奏を始める欲望の街、お菓子隊とオモチャ部隊。私を食べて!とタケノコの里、「忘れないで!」とキノコの山。アポロもね!





そして超合金たち。聖鬪士星失!ほちい!!アルデバランほちい!デスマスクほちい!





牛革の財布に手をかけ、ふと老紳士の方を見ると・・・。目が開いとるのですが。はて、一部始終見られてまいました?どないしよ・・・。





牛革の財布を持ち、呆然と立ち尽くす。あわわ。





なのに、次の瞬間、老紳士は再び目を閉じたのでごさいます。寝ぼけてた?寝たふり?





混乱しながらも、自分のベッドに逃げ帰り牛革を確認するワシ。うししし。





やっぱり持っておった!!




日本円で!元じゃなくて良かった。





牛革の親分には壱万円札が八枚程、詰まっておったのです。さて、作戦会議です。今なら問答無用で八枚総取りなのですが・・・※注意、今はしません。





なんせこちとら小学四年生。八万円と言う金額は荷が重すぎます。





二枚にするか?三枚にするか?





五枚!!いいとも!





良かった、本当に良かった、キッコーマン飲んで良かったと心から思えた瞬間でございました。





~そして退院後。いつものように、継母から命じられた国有地の草むしりをしていると、あの老紳士と奥様が現れたのです。





ドキドキ、ドキドキ。





高まる鼓動。ばれたか、ばれしもうたんか。牛革がばれてしもうたのか。





今にも老紳士に草を投げつけてやりたい心境に陥りました。



       (つづく)


炭酸びんぼうラムネ



「牛革紳士の章」④





突然のバオー来訪者、牛革紳士。





もしかして、牛革財布のかたき討ちかしら。あわわ。どないしよ・・・。もう五万円使うたのに。円でもドルでも元でもユーロでも。持って無いのに。明日、払う算盤の月謝も半分使い込んどるのに。あわわ。明日の算盤どないしよ?





「元気そうだね」元気じゃない、元気じゃないから。




ぽんぽんとワシの阪神帽の上から頭を撫でて来る老紳士。





「お父さんはいるかな?おじさん、お父さんとお話しに来たんだよ」





ばれた。確実にばれてるがな。親父にしばかれる。柱に縛りつけられる。視線がすいすいと泳ぎ出します。どないしよ。草むしりの後の柱はマジでご勘弁。あわわ。





老紳士の目が見れず、呆然と積み上げた雑草を見つめるワシ。





そんな間にも、玄関から出て来た親父につかつかと歩み寄り、一方的にきびきびと挨拶を始める老紳士。





ワシはますますと居心地が悪くなり、雑草たちに八つ当たり。踏みつけます。バッタ出て来い!バッタ!ぴょんぴょん跳ねてワシを和ませろ。バッタ!





うん?





ちらりと大人たちの様子をうかがうと・・・はて?





談笑しちょる。牛革のお財布の話であの笑いは発生せーへんやろ。親父は苦笑してるし。あらま?





親父と話しを終えた老紳士が手渡してきた紙切っれに書かれた住所と電話番号。




「おっちゃんの家の子供になるかい?」





養子。なんと養子。牛革の敵討ちどころか、ワシを腹一杯にするために救いにきた。





口笛を吹きながら、老紳士は草抜きを少し手伝うとポツリと呟くように言いました。





「おっちゃんもな、お兄ちゃんと一緒くらいの子供おったんやで」





おったんやで。が寂しく響くと苦笑いしか出来ません。





「五万円、無くなったら何時でも家にご飯食べにおいでや」やっぱり、ばれてた。





にこりともう一度、ワシの頭を撫でると、老紳士はゆっくりと奥様と去って行きました。





老紳士の吹いていた口笛は「しゃぼん玉」





屋根まで、飛んで、壊れて、消えた。





これ以降、ワシが牛革紳士に連絡する事も、そして街角ですれ違う事も有りませんでしたが、牛革紳士がワシの心の中に優しさの苗を確かに植えていった日ではございました。



      (おしまい)