午後1時
ソーシャルワーカーの面談室にてー続き
「お父さんを、家へ引き取られるという事は?」
と、お医者さんが尋ねました。
『家』とは私達の家のことです。
「母(ハルさん)を、今、老健で預かっていただいているのですが、来月4月の下旬に戻ってくるのです。
それまでなら可能ではあるのですが…、
母は父の事を覚えていなくて、『自分の部屋に知らない男の人がいる』ってパニックになるのではないかと」
正直、ほんとはやって(義父の看病)あげたいなという気持ちがありました。
元気すぎる人の徘徊に振り回されるのではなく笑い、ほんとに身体がつらい状態の人を助けてあげれたら、というのも本音でした。(笑)
が、色々な事情を考えるとやはり無理でした。
私自身、二人の介護は体力的に無理だし…、
何より、車で長時間(どのくらいかかるのか見当もつきません)、義父を移動させるのも身体への負担が気になります。
お医者さんとソーシャルワーカーの方は、ハルさんの認知症の度合いを察しられたのか、互いに顔を見渡し『それは無理ですね』と納得なされました。
「お父さん、最期までここに(病院に)いても構わないかなと思っているのです。ただ、一ヶ月を越えるとちょっとまずいですが」
と、年少のお医者さんが少し照れくさ気におっしゃられ、私は目を見はりました。
救急患者が頻繁に送られてくるこの病院で。
そんな事を言っていただける。その気持ちだけでも感謝です。
しかし、ソーシャルワーカーの方が首を横に振りながら慌てて訂正されました。やっぱりこの方が病院の状況を一番よく把握されているようで、前もって施設探しまでして下さったようでした。
「お父さんも、生活を楽しめる感じの施設がありますよ!」
水分を摂取する力も失せている姿は、さすがに心が痛みました。
つまるところ、『瀕死』の状態に近い、生きているのがやっとと言うべきでしょうか。
それにまあそもそも元気だったとして。
施設内のレクなど、義父はおそらく鼻にもかけないだろうとも思いました。
この週末にケアマネさんから紹介された施設を見学する予定だという事を伝えると、ソーシャルワーカーの方もほっとなさられた様子でした。
「これまでいろいろな検査をしようとすると嫌がられるのですよ。『そっとしておいて下さい』と」ともおっしゃられるのです」
悲し気な表情で医師が話しました。
そっとしておいてほしい。
『死に向かっている状態の時、実際 静かにそっとしておいてほしいものなのだろうな』とふと思って、私は再びうつむいてしまいました。
自分が臨死体験をした時、やはりただ静かに横たわっていたいという感じでした。
大きな変化が身体に生じているからでしょうか? つまり魂が身体から離れようとしているという…。(これは私の勝手な推測ですので、あまり信じないで下さい。)
蛹が殻を破って蝶へ変身する前、身体は殻の中でうねったりしていますが、とにかくひそやかにじっとしています。それと少し似ているかもしれません。
「できるだけそっとしてあげていただけますか?」
『死』について、私は自分でもかなりさっぱりしている方だと思っていたのですが…、 瞼まで熱くなってしまいました。
二人のお医者さんが同意されました。
「検査も最低限の物にしておきましょう」
最後に、こんな状況でしたから今しなければならない事とかないのだろうか?
夫の代わり、つまり家族の代表の形でこの面談に来ている以上、確認しておかねばと思ったのでした。
「あのー。父は今、『危篤状態』と言えるのでしょうか?」
「違います!!」
二人の医師が口を揃え断言されました。
午後2時半
私は義父の病室へ。
買ってきた電気シェーバーでひげそりの仕事が残っていました。
病室で、義父はいつものように目を閉じていました。いつ訪問しても、義父は寝た振りをしているのか、実際寝ているのか。たいてい目を閉じていました。
「お父さん、お父さん、」
寝ていたって、声をかけるといつも必ず目を開けてくれたのだけど。
この時は違っていました。
4~5回呼び続けても、義父は口を開けたまま斜め上の方向へ頭を向けた姿勢で寝たままでした。
『妨げてはいけない』とふと思ました。
これは後から思ったことですが、この時、実はすでに意識のない状態だったのじゃないのかなと…。
そばにいた看護婦さんが
「後でやっておきますよ」
と、シェーバーを受け取って下さりました。
私は病院を去り、夫へ連絡し面談の内容を報告。
そして、カフェに寄り、頭の整理を兼ね、手帳へ予定を書き込み、その後、すぐ家へ帰るべく駅へ向かいました。
この前日はホテルへの急な宿泊(なんの準備も無しでした)で、やっと開放されたという感じです。
昨夜の大混乱から、私たち家族がこの先どうすべきかやっと小さな道が見えてきたといった安堵感もありました。
面談室では
午後3時半
電車内で携帯が振動。
病院の看護婦さんからでした。
『電車をおりてから◯◯先生へ電話して下さい』
◯◯先生とは、さっき面談して下さったとても若い先生のことでした。
次の駅に降り、すぐさま電話すると、
『3時30分頃、呼吸が乱れ…、…そのあ…、心臓が止ま……、…こちらへ…もどって……』
駅の地下構内ではプリペイド携帯の電波が悪く、通話が途切れ途切れとなりました。
言葉の端々から、申しわけなく想ってられる先生の気持ちがこちらに伝わってきました。
『心房細動を起こした』との事でした。
十分な処置を取れなかったことに対し、先生がとまどってられて、
『いいんですよ、先生、それで』と、私は心の中でつぶやきました。
『できるかぎり自然な死を』と願っていたし、前回の入院時から『全ての延命処置をしないでほしい』と頼んだのは私たち家族でしたから。
とりあえず、私は了解し、再び病院へ戻るべく迂回したのです。
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