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秋田県にある、効能溢れる癒しの湯治宿「玉川温泉」から岩手県の旅。第6話目です。

 

玉川温泉を終え、岩手県に。

この日は、昨日とすっかり変わって晴れ模様。

 

農学校を退職された宮沢賢治さんが、農民たちを集めて農業技術や農業芸術論などを講義するために設立されたという、「羅須地人協会(らすちじんきょうかい)」に連れ行ってもらいました。1928年に病気をされるまで、宮沢賢治さんはこの建物で自炊生活をされていたとの事。

 

場所は、いわて花巻空港にほど近い、花巻農業高校内にあります。

 

※こちらの施設は、学校施設の中にあるため、騒いだりできません。

静かに見て回るところなので、注意が必要ですビックリマーク

この日も、勉強する生徒さんが離れたところにある校舎内に居られました。

 

宮沢賢治のコートと帽子が掛けられています。

 

羅須地人協会での活動の様子と、こちらに移築されたエピソードが書かれています。

 

こちらが晩年に住まわれていたところ。(移築されています)

 

中には、黒板もあり、ここで近くの農家の方に講義をされていたと事。

 


凶作や飢饉(ききん)に見舞われる過酷な風土の中で育たれた宮沢賢治さん。

法華経を学ばれ、4年間は、こちら花巻農業高校で教師をされます。

そのあと、自炊の農耕生活の傍ら、この「羅須地人協会」で、農芸化学など農業について村の若者を集めて教えられていました。

さらに、無料で肥料設計を行うなど献身的な活動をされ、そのあと、砕石工場の技師になるなど、多彩な活動ををされていましたが、発病し膨大な未発表の原稿を残して、37歳の若さで亡くなられるという壮絶な人生。

 

そんな宮沢賢治さんは、童話作家としての才能以外に、地域の農業の発展に尽力されたことも、世に名を知られているゆえんなのだ、と改めて思いました。さらに、賢治さんが昔から天然の石に興味を持っておられたことも、農業の土づくりに欠かせない「肥料」に繋がったのでしょう。

 

 

「雨にもまけず」の詩も有名ですが、その詩の一部

 

『あらゆることを
じぶんをかんじょうに入れずに
よくみききしわかり
そしてわすれず』

 

の詩は、私が日常生活で、ついつい忘れてしまいそうな事を語り掛けて下さっているようでした。

 

 

つづく