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 今回は、私の昔の話を書きたいと思います。以前チラッと書いた、「私の人生いろいろありまして」のことです。

 長文になりますアセアセ一番伝えたいメッセージは最後の方にありますので、興味のない方は途中は飛ばしてくださいウインク

 

 生理が始まった小学校高学年の頃から生理痛がひどくて、鎮痛剤が効いてくるまで、学校にも行けませんでした。その頃は、まだ臓器が未熟なために起こる機能的な生理痛だと、親は考えていたようです。でも大学生になっても相変わらず生理痛がひどいので、大学1年生の時に、母親に連れられて、初めて婦人科を受診しました。

 

 個人病院ですが、複数の産婦人科医がいる、市内では有名な産婦人科の病院でした。院長のG医師は県内の産婦人科医の中でも有名でした。初めて経膣エコーというものを体験し、診断されたのは『子宮内膜症』でした。でも、特に治療法などを提示されることはなく、

「妊娠して、出産すれば良くなるから、早く妊娠・出産してください。それまでは生理痛の時は、鎮痛剤を使うしかない。念の為、1年後にもう一度きてください。」

と、G医師から言われて、診察は終わりました。

 

 当時、私は医学部1年生で二十歳そこそこ。6年間は大学で勉強しなければならず、医師国家試験に合格した後は、2年間の研修医生活が待っています。今から最低8年間は妊娠・出産どころではないんだけど…

 確かに、子宮内膜症は女性ホルモンのエストロゲンで悪くなるので、妊娠・出産により生理が止まれば、良くなるのは事実なんでしょう。でも、私の背景(学生なのか、社会人なのか、未婚か既婚かなど)を確認もせず、そういうことを平気で言うG医師が信じられませんでした。正直、有名な医師なのに、この程度なのかと思ってしまいました。

 

 1年後に再受診した時も、やはり同じことを言われました。治療の話もないし、今後の見通しの話もありませんでした。医学部2年生の私は、患者に寄り添っていない、こんな医師にはなりたくないと強く思ったのでした。(医師としての私の原点はここにあって、今でもG医師のようになっていないか、自分を振り返ります照れ

 そして、おっさん(失礼アセアセG医師のこと)の前で、恥ずかしい思いをして股を広げて検査を受けても、治療法の提示もされず、鎮痛剤を飲むだけで、今までと何も変わらないじゃないかと思った私は、それ以降、産婦人科の定期受診をやめてしまいます。でも、これが間違いでした。この選択が、このあと、私の人生にずっと影を落とすことになります。

 

 医学部に入っても1、2年生の時は英語やドイツ語や数学など一般教養科目を勉強します(あとは何を習ったのか、思い出せないタラーそういえば、体育でゴルフもしたなゴルフ)。2年生の後半から解剖学などを習い始めますが、産婦人科などの臨床科目を習い始めるのは高学年になってから。だから、医学部生でも低学年では医学の知識はありませんでした。

 30年くらい前のことなので、今のようにインターネットなどなくて、自分の病気について簡単に調べることはできませんでした。当時、本屋に行けば、子宮内膜症の本があったのだろうか?今思えば、大学の図書館に行けば、婦人科の専門書があったはずですよね。当時は考えつきもしませんでしたアセアセ

 高学年になって習った産婦人科の教科書には、子宮内膜症のホルモン治療について記載がありましたが、最初にG医師に言われた「生理痛の時は鎮痛剤を使うしかない。」という言葉がインプットされていて、自分にホルモン治療が必要とは考えもしませんでした。

 

 結局、長い間、鎮痛剤を使って生理痛を凌いできました。

 医師になって3年間は忙しすぎて、自分の体に注意を払うことも忘れていました。医師4年目にそんなに忙しくない、地方の病院に異動になった時に、自分のお腹に異変を感じます。お腹が重い気がして、「お腹の中に何かある」と感じたのです。

 

 この頃はネット環境も今ほどではないけど、少し整ってきていて、女性医師のいる産婦人科のクリニックを探して受診しました。その結果、

「左の卵巣に(子宮内膜症による)チョコレート嚢胞が出来ていて、7cmくらいに腫れています。破裂したり、卵巣茎捻転を起こす可能性があるので、早めに手術が必要です。」

と言われました。

 お腹に何かあると思った物の正体は、大きくなった卵巣でした。(普通の卵巣の大きさは2−3cmくらいです。)

 また、女性院長から、

「こんなにひどくなるまで我慢していて、辛かったね。今はね、子宮内膜症はピルで治療できるのよ。」

と優しく言われ、生理痛は鎮痛剤を飲んで我慢するしかないと、ずっと思っていた私は、診察後に待合室で泣いてしまいました。

 

 ちょうど周りの友達が結婚し始め、中には出産した友達も出てきた頃でした。私はまだ未婚(しかも予定もなし)なのに、卵巣を取ってしまったら、結婚出来ないかもしれない、もし結婚できても子供は授からないかもしれない、と毎日落ち込みました泣

 実際に、大学のサークルの後輩で、やはり子宮内膜症で大学在学中に手術を受けた子がいました。同じサークル内で付き合っていましたが、卒業後に結婚の話になったら、彼の両親から猛反対されて、破談になったという話を聞いていましたえーん彼の実家が病院で、跡継ぎを産めないかもしれない嫁はいらないと言われたそうです。それぞれの立場があるので、簡単に批判は出来ませんが、同じ病気を持つ同志として、私もすごく悔しかったのを覚えています。(その後、彼女は違う人と巡り合い、結婚し、今ではお母さんになっていますキラキラそれが救いですおねがい

 

 この産婦人科は個人のクリニックだったので、手術ができるC病院の産婦人科に紹介してもらいました。今も婦人科と腎臓内科に通院している病院です。

 私の年齢、未婚で将来的には子供が欲しいという希望があることから、左卵巣は正常な部分は残して、チョコレート嚢胞だけを摘出することになりました。最初は腹腔鏡で手術する予定でしたが、手術を始めてみたら癒着がひどく、途中で開腹しての手術に切り替えられました。術後、お腹に大きな傷が出来たのはショックでしたが、卵巣は残しているので妊娠は可能だと言われ、心の底からほっとしました。(でも、実際には…)

 

 その後、今の夫と出会い、子宮内膜症があり左卵巣の手術をしていることを話しましたが、それでもいいと言ってくれたので結婚しました結婚指輪


 子供が欲しいという気持ちはあったものの、結婚後もなかなか妊娠せず、不妊治療専門のクリニックを受診しました。詳細は省きますが、高度な不妊治療をしないと妊娠は難しいと分かり、不妊治療を始めました。手術の際に左卵巣の正常部分は残してもらっていましたが、実際には機能していないのも分かりました。長男を妊娠するまで2年、長男が少し大きくなって不妊治療を再開し、次男を妊娠するまで2年かかりました。(さらっと書いたけど、不妊治療はそれはそれは辛いものでしたえーん)また、不妊治療中は頻繁に通院する必要があるのですが、当時働いていた総合病院の上司の理解が得られず、退職することになりました。

 

 婦人科の手術が必要になった時、不妊治療をしないと妊娠は望めないと分かった時、不妊治療のために仕事をやめないといけなくなった時、私は最初の婦人科病院のG医師を恨みました魂

 私が最初に受診した頃には、子宮内膜症についてホルモン治療は確立していたはずなのに、その治療を勧めなかったのはなぜ?更年期症状などの副作用があるから?でも、それも含めて説明して、私にホルモン治療をするのか、今まで通り鎮痛剤で様子を見るのか、決めさせてほしかった。

 子宮内膜症を放置すると、私のようにチョコレート嚢胞が出来たり、不妊症になったりする可能性があることも教えてほしかった。

 あとで調べてみたら、海外では1980年代から子宮内膜症はピルで治療していたそうです。私が最初に受診した頃は、日本では保険適応になっていなかったけど、将来的には日本でもピルによる治療が認められるかもしれないという話をしてくれていたら…

 大学1、2年生で婦人科を受診した時に、こういう説明が医師からされていれば、私も定期受診をきちんと受けていたかもしれないし、生理痛がひどいのは変わらなかったので、早目にホルモン治療を受けて、チョコレート嚢胞ができるまでひどくならなかったかもしれない。自然妊娠できたかもしれない。

 こんな思いがずっと拭えませんでした。

 

 でも、病気や治療法について積極的に調べなかったのは私。G医師に納得しなかったのなら、他の医師を探して受診しなかったのは私。7年間もほったらかしにしていたのは私。

 

 G医師の説明は今でも不十分だったと思って腹が立つけど、G医師に文句を言ったところで、責任は取ってくれません。

 

 私が伝えたいことは、私のように後悔しないように、

星自分の病気や治療法について、勉強してください。

星担当医に納得できなければ、他の医師に診てもらうことも検討してください。

 

 

自分の体に責任が持てるのは、自分だけです。

 

 最後まで読んでいただいて、ありがとうございましたキラキラ