病院から帰宅後、久しぶりに缶酎ハイを飲みました。

これから起こる事など 全く予想していませんでしたから。

それでも、ノンアルコールのを選んだのは もしかしたら…って無意識のうちに思っていたのかも知れません。



12月29日 1:19
携帯電話が鳴った
病院からだった。


「奥さんが帰られた後、また呼吸が早くなったので、今 酸素を吸入しています。明日は、仕事ですか?明日、来られますか?」


と、いう内容でした。
仕事は辞めたので いつでも行ける状態です。

明日?

( 私一人で行けばいいのなら 、明日仕事の子供たちの朝食の準備をして行けばいい…)

「今から、行きます‼︎」

ノンアルコールで良かった。
急いで 車を走らせました。




病院に到着すると、旦那は酸素マスクをしていました。
呼吸は、ハッハッハッ…
早く荒い状態でした。



何が起こるかわからないので、家族を呼んだ方がいい…
という話になり子供たちを呼びました。



緩和ケア病棟には、こういう時の為に 「家族の控え室」和室があります。



子供と私で4人なので その部屋は使いませんでした。

部屋にある 2人がけのソファーがベッドになり、1人用のソファーを持ってきてくれ それがベッドになり、子供たちは、そこで眠りました。



私は、旦那の横のイスに座り、手足をさすり 旦那の様子をみていました。
 


いつしか 呼吸が 穏やかになりました。
病室には よくある 心臓の動きや酸素の状態を監視するモニターはありません。あえて 置いてないのだと思います。
その都度、看護師さんが測ります。



看護師さんに 酸素吸入しても 酸素濃度が上がらないどころか 低くなってきて厳しい状態だと言われました。



頑張って呼吸をしてる旦那に、
「もういいよ」 という気持ちと「まだダメ」という気持ちが交錯しました。



薄明かりにしている病室でも、旦那の顔色が悪くなっていくのがわかりました。



ハッハッハッ…
荒かった呼吸が穏やかになり
やがて、呼吸の間隔が長くなってきました。

エッ⁉︎


次の呼吸が遅い…
変だ‼︎

取り乱した私はナースコールが押せず、子供たちを起こし最後のナースコールは長男に押してもらいました。



そして
家族の見守る中、苦しむ事なく 優しい表情で 旦那は 旅立ちました。





ずっと 話せなくなって、目も開けられなくなった旦那でしたが、耳は聞こえていたと思います。


目力の強かった 旦那の大きな優しい目に 涙が滲んでいました。
最後の旦那の意志でした。



最後の言葉は 想像するしかないけれど、きっとみなさん 同じ事を想像してくれていると思います。