大変ご無沙汰しております。
昨日ALSで闘病しておりました義母が肺炎で逝去いたしました。
ゴールデンウイークに会ったときは胃ろうからの食事のみで、
口からの飲食が出来ない状態でしたが、
家の中では歩けましたし、
家事も少しはしていました。
ただ年末に1日1回だった休憩が、1日2~3回に増えていました。
その後風邪をひき、ある日突然歩けなくなりました。
そして急激に呼吸が苦しくなり始めました。
肺炎になっていました。
その後急遽入院。
入院後もしばらくは字を書いて会話をしていましたが、
痰が詰まって呼吸困難に。
一度は峠を越えましたが、その後は体内の二酸化炭素濃度の増加により、意識が朦朧とした状態に。
それでも薄目をあけたり、手を握ってくれたり、
意識があるような状態でした。
しかし呼吸が苦しい状況に変わりはなく、
最後義父が酸素濃度をあげて楽にして下さいと先生にお願いをしました。
酸素濃度をあげると自発呼吸が低下しているので、
二酸化炭素を吐くことが出来ず、
体内の二酸化炭素濃度が上がり、
結果的に意識朦朧とした中で楽に死ねるそうです。
義父がその決断を下しました。
年末に続き、ゴールデンウイーク、亡くなる前日の帰省と、
度重なる帰省となりましたが、
悔いなく送り出すことが出来たように思えています。
今は義父の方の心配もありますが、長男夫婦が同居の方向で考えているようなので安心しているところです。
取り急ぎ簡単に報告でした。
昨日ALSで闘病しておりました義母が肺炎で逝去いたしました。
ゴールデンウイークに会ったときは胃ろうからの食事のみで、
口からの飲食が出来ない状態でしたが、
家の中では歩けましたし、
家事も少しはしていました。
ただ年末に1日1回だった休憩が、1日2~3回に増えていました。
その後風邪をひき、ある日突然歩けなくなりました。
そして急激に呼吸が苦しくなり始めました。
肺炎になっていました。
その後急遽入院。
入院後もしばらくは字を書いて会話をしていましたが、
痰が詰まって呼吸困難に。
一度は峠を越えましたが、その後は体内の二酸化炭素濃度の増加により、意識が朦朧とした状態に。
それでも薄目をあけたり、手を握ってくれたり、
意識があるような状態でした。
しかし呼吸が苦しい状況に変わりはなく、
最後義父が酸素濃度をあげて楽にして下さいと先生にお願いをしました。
酸素濃度をあげると自発呼吸が低下しているので、
二酸化炭素を吐くことが出来ず、
体内の二酸化炭素濃度が上がり、
結果的に意識朦朧とした中で楽に死ねるそうです。
義父がその決断を下しました。
年末に続き、ゴールデンウイーク、亡くなる前日の帰省と、
度重なる帰省となりましたが、
悔いなく送り出すことが出来たように思えています。
今は義父の方の心配もありますが、長男夫婦が同居の方向で考えているようなので安心しているところです。
取り急ぎ簡単に報告でした。