今更ながらドラマのこと。


私がこの間まで一生懸命見ていたドラマ。

「WOMAN」
「あまちゃん」
「半沢直樹」


どれも本当におもしろくて、
それだけでなんだか毎日が充実している気がした。
だって、朝ドラなんて毎日あるんだもん。
そのうえで、週に何度も夢中になれるドラマがあるなんて
すっごい贅沢だなぁと思った。



『WOMAN』


とにかく大好きな満島ひかりさん。
見たのはそれがきっかけではあったけど、想像以上にすごかった。


あまりに重い内容に、私の周りでは「辛くて無理だった」
という言葉も多く聞いた。
その声を聞くたびに、「わかる」と「でも」が渦巻いた。
見てほしいなって思ったけど・・・上手く言えなかった。


・・・きっと私は、このドラマの話を
まだ気軽に、人とできないと思う。


私も毎時間、胸がつぶれるような想いで観ていた。
それは、楽しいとか面白いとかじゃなくて、
見なければいけないと思わされる素晴らしいドラマだった。


セリフの一言、目線の一すじで、空気が変わった。
子供も大人も、男も女も。全員が抱えているもの。
その人の感じている言葉にできない想いが
私の心の中になだれこんできて、本当に辛かった。


映像はとても美しく、まるで映画のようだった。


だからこそ、セリフの間、場面の間の
充分な『空間』を味わいながら、
この話をドラマでやってくれたことに感謝した。


二時間じゃなくてよかった。
フィクションの持つ力を思い知らされた。


全て残っている録画の記録。
でも私は、まだ気軽に見返すことができない。

落ち着いたらまた、絶対みる。



『あまちゃん』


クドカンが脚本、というだけで、一話目から録画。
初回から話題になった字幕や、パラパラ漫画。
なによりも“主人公にほとんど喋らせない”という作りに感動。
相変わらずのスピード感と、急ブレーキのようにグサっと胸に刺さるセリフ。
そして、震災描写の配慮も描き方も本当に素晴らしかった。


しかしこの人は、どれだけ期待のハードル上げても余裕で超えてくるな!
東京03かっ!!


毎朝15分の楽しみは延々と続き、
休みの日でも早起きするほど。
友人や会社の人と話すのもとても楽しかった。


さて、今はもう、新しい朝ドラが始まっている。


この間それを視聴しているオジサマ方の会話を聞いていたら
「やっぱりこれが朝ドラだなぁ」
「安心するな~」
「前のはやっぱりよくわからんかったもんな」
と話しているのを見て、笑ってしまった。


どれも、よし!



『半沢直樹』


ある日同僚に、「夜ごはん食べに行かない?」と誘ったら
「今日は堺さんのドラマの第一話なもので・・・でも行きます!」と言われので、
なんとなく第一話を予約してみたのが始まり。


彼女は熱心な堺さんファン。
舞台の時代から大好きで、何度も足を運んでいるのだとか。
彼女につられて観た第一話があまりに面白かったので、
私は毎週「昨日観た??」と話しかけた。


しかし、なんとな~く、のってこない。

しばらくすると、申しわけなさそうに切り出された。


「・・・私、あんまり好きじゃないんですよね~」
「え!?ファンでもない私がこんなに楽しんでいるのに!?」
「はい~・・・堺さん、もっとノホホンとしてる役がいい・・・」
「いや!でも内容が!すごい面白いから!」
「はぁ~~~・・・」


結局彼女は、3話くらいで見るのをやめちゃったそうです。
・・・っていうか、あの3話を見て、次を見ないことなんかできるの?
(*だってあの小木曽の回ですよ!バンバンッ!)


ファンの形はいろいろあるのだなぁと、改めて思いました。


ま、私の好きになりかたが、
まずその人の全てをまるっと好きになって、
原因も結果も過去も未来もどーでもいいというか、
それよりも、生きているだけでいい!みたいな所があるので、
頑張って仕事している姿はどれも好きなんです(笑)

だから、こういう彼は好きじゃないから見ない
という発想に驚きました。なるほど!
ってか、普通はそういうものなのか?


半沢直樹については、もう書くことないほどの視聴率なので、
超おもしろかった!!ってことだけ書いておきます。


今でもよく名場面を見返します。

「証拠を見せろよ証拠を!!!」


3つの大人気ドラマ。
盛り上がって本当によかったですよね。


今よりもっと前、子供のころは、
テレビが生活の中で大きな割合を占めていた。
なによりもそれは、次の日に友達と
「あれ、おもしろかったよね~」と言い合うという
共感を含んだツールだった気がします。


皆が違うものを見るのが個性っていうよりは、
同じものを見てどう感じるかが個性みたいな気がするのです。


そのコミュニケーションがまた蘇ったような気がしたな。


テレビは、まだまだおもしろい!!


今日、東京03とバナナマンのイベントで、
設楽さんがいろいろ話してくれました。

お見舞いに行ったら
ぶーっと膨れて
「暇だ暇だ」って言ってたこと。

点滴とか沢山管がついていて、
トイレに行くときは一度全部
管を外さなければいけないらしいこと。

「ちょうど俺がお見舞いに行ったときも
ナースコール押して
『ウンチしたいんですけど』って。
で、点滴持ってガラガラって歩いてた」

なんか、姿が目に浮かぶ姿が愛らしくて、
不謹慎かもしれないけどちょっと笑っちゃう。
だって日村さんだから。
あー早く元気な姿で笑いたいな。

「ホントに、ただの不摂生で皆様に
ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
と、設楽さんが謝っておりました。

握手会。

何も言えない私に
「心配かけちゃって、ごめんね。
心配してたよね、ほんとごめん」
という言葉が染みました。

とりあえず今日のバナナムーンと
来週の退院を待ちます。


Android携帯からの投稿

その昔のバナナマンのコントの冒頭で、
日村さんが黙って1つまるまるおにぎりを食べるのを
ただひたすら見守るネタがあった。


時間がたつにつれて、ゆっくりもれるクスクス笑い。


日村さんは水面に見立てた客席をゆっくりを見渡し、
時に笑いをこらえきれなくて下を向いて
「・・・おいしい・・・」と小さくつぶやいた。


その何もない三分間。
舞台でしか味わえない贅沢な時間の中で、
私はなんだかとても幸せだった。


あぁ、日村さんがこうやって
美味しいもの食べて美味しいって言って、
皆の笑い声の中にいるのを観てるのが
私は、とっても好きだなぁって思った。


なんていうか、幸せの象徴みたいだった。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


日村さんはよくファンの人から
「身体に気をつけて下さい」といわれるらしい。


あ、そういえば私も何度も言ったっけ。


握手会の後は
「皆すげー俺の身体を心配してくれてありがたい」
と言ってくれたりもするけど、
なんだかそのたびに私は歯がゆい気持ちになる。


だって、その時だけなんだもん。


みんな、本当に心配してるんだから、
本当はもっともっともっと気をつけてほしいんだよ。


舞台で何度も咳をするたびに結構ドキドキしてるんだよ。
焼き肉いっぱい食べる姿を見てもハラハラしてるんだよ。
身体はって、動いて皆を楽しませてるかっこいい姿を見て
笑いながらも、ちょっとドキドキしてるんだよ。


でも私はただのファンで、そばにもいるわけじゃない。
本当はちゃんと節制してるとこはしてるのかもしれないけど、
それを知ることもできない。
なによりも、日村さんに影響のある言葉なんて持っていない。


だからめっちゃ歯がゆい。



今回のニュースを見て、やっぱりドキドキしました。


こんなドキドキいらないよ、日村さん。


喘息は苦しくて辛いだろうから可哀想。
でも、しっかり治療してちゃんと退院できるといいな。
そして、これを機に本当に健康へ向けて努力を始めてほしいな。


なるべくいっぱい、バナナマンの舞台を観たいから。


結のブログ-Cutie Funny


「ただいま」というために、旅に出よう。


私はこの言葉がとても好きだ。


待ちに待った夏休み。
南の島でノンビリと過ごして、海を眺めて。
それでも、心のどこかには日本が残っていたりする。
見る風景や耳にする音の中に、親しい人の顔が浮かぶ。


そして帰国していつもの仕事場に行ったり仲間に会ったりすると、
少しだけその景色のトーンが以前と違うような気がする。
そして少しだけ、新鮮な気持ちで大きく息を吸ってから日常に戻る。


私は、どんなに遠くに旅行に行った後よりも、
バナナマンのライブを見た後、最も強くそれを感じる。



2時間半に及ぶ舞台。


全力でこちらに向かってくる二人の姿とセリフの一つ一つ。
一瞬で客席を掌握する圧倒的な存在感。
醸し出す独特の空気と絶妙な間合い。


その中で私は笑ったり、驚いたり、切なくなったり、
心が一か所に留まることがなかった。


テレビでは見られないバナナマンの思う“おもしろい”が
ギュウギュウに詰め込まれていたから。



私にとって、バナナマンの舞台はとても特別だ。


日常の悩みや不安が消え、
ただ真っ白な“幸福”で満たされていて、
初めて二人を見た日の衝撃と、まっすぐな線で結びついているような気がする。
その一本の糸が、心の中の緩んだ部分を引き締めてくれるような気がしている。


舞台が終わって、何度も心の中でセリフを繰り返し、動きを辿る。
照明の色を思い出し、目を閉じて音を鳴らす。
そうすると会場を揺らす笑いの中で見えてくるのは、シンプルなメッセージ。


その伝え方はきっと、昔よりもまっすぐになった。
それは、今の彼らのやり方で、それが私は好きだ。

“変化していく”ことは、当たり前だと思っている。
その当たり前のことを、見届けていきたいと思っている。



「憎めない友人とのやりとりを積み重ねて見える、日常の幸せ」
「空気を読まずバカに徹することの潔いカッコ良さ」
「どんな状況であれ気持ちを伝えようとする姿」
「心の底からの想いを言葉にぶつけるということ」
「人生は、運命ではなく、自らの行動で決まるということ」


いっぱい笑ってほぐれた心には、
そんなメッセージが自然に流れ込んできた。


もちろん舞台を見た人のそれぞれの心に、
違った感覚が宿っていることと思う。


それぞれの心の中にしまわれた言葉が飛んで行かないよう
その上にフタとしてしっかり乗っているのが
“バカみたいに笑った記憶”だということが、
本当に大切で、素晴らしいことだと思う。


時々取り出してこっそり見る時も、
きっと皆笑顔になるだろうと思うから。




最後に。


多忙な中で今年も単独ライブを続けてくれたバナナマンと
それを支えるスタッフの皆様に心からの感謝を申し上げます。
本当にありがとうございました。


やっぱりバナナマンのライブは
私にとって世界一幸せに近い場所でした。


こんなに好きで、幸せだなぁ。

先日、親不知を抜いた。


もう三本目なので慣れたもの。


というか、私のなかではあくまで
『抜く』のは歯医者さんで、『抜かれる』のが私。
私はただ座っているだけ、なので、頑張りようがない。
信じて、お任せして、お互いに最善を尽くすのみ。


一時間以上かかった抜歯の時間も、
術後の痛みも、想像よりも本当に大したことがなくて、
おおごとにならないでなによりだ、と、
ちょっと腫れた左ほほを抑え、熱さを感じていた。



そうしたら、ふと思った。


いつのころだろう、歯医者が怖くなくなったのは。


思い返せば、小さい頃は怖いものが沢山あった。
その中でも歯医者は一番怖い場所だったように思う。


私の兄は子供のころ強烈に歯並びが悪かった。
いつもは明るい兄が矯正の痛みにのたうち回って泣いているのを見たり、
起こしに行ったら枕まで血だらけだったのを見たから、
私にとって、歯医者は直接『血』や『注射』と結びついていた。


私の最古の記憶は幼稚園の時。


私はいつも、目に涙をいっぱい溜めながら、
待合室ではなんとかこぼれないようにこらえた。
歯科衛生士のお姉さんに優しくされると
逆にとても辛くて、恥ずかしくて、何も言えなくなった。
治療の合間に寝る姿勢になると、目の横から涙の粒がツルツル滑り落ちた。


待合室に戻って、待っていた母親に
「泣かなかったよ!エライ?」と何度も何度も聞いた。
「えらかったね」と、帰りにお菓子を買ってくれたのが、
とても嬉しく、誇らしかった。


でも本当は、滑り落ちた涙を懸命に拭いている姿を
母親は遠くから眺めてはこっそり笑っていたらしい。


よく言われたものだ。
「そんなことで泣いてたらどうしようもないよ、
 大人になったらもっと辛いことがあるんだから」って。




大人になり、歯医者が怖くなくなったのは、いろいろな知識と体験を経たからだ。


治療の方法をよく聞いて、麻酔の効き具合もわかるようになった。
想像している時が一番痛いことを知った。
そして痛みの時間は必ず過ぎ去ることを知った。


それは何に対しても言えることで、
大人になったからこそ、怖くなくなったことは
本当に沢山あると思う。


痛みに関して私は、自分が痛いのは我慢できると思っている。


それより大切な人が「痛い、痛い」と言って苦しんでいる時に
何もできないほうがよほど辛くて切ないかを、私は知っている。
そして、身体の痛みよりも心の痛みのほうが
深く、鋭くズタズタになることも、私は知っている。


もちろん大病をしていないからこそ言えることだとわかってはいるが、
総じて私は、様々な困難に襲われた時に、
「自分でよかった」と思うようになった。
それはやっぱり、成長なんじゃないかと思う。
少しづつ強くなったのだと思う。



大人になると、人生つまんなくなるとかいうけど、
私はそうは思わない。
こんな小さなことからもいろいろわかる。
考えれば考えるほどに過去と今と未来の自分が
どんどん繋がっていくような気がしている。


出会いと経験と、知恵と知識と。
大切なことはまだまだ沢山あるに違いない。


ちゃんとした大人への道は今日も続いている。