子供の頃たまに、ふざけて目を閉じたまま動いてみるということをやっていた。

最近どうにも目がつかれていて、頭も常に動かしている。ちょっと休みたいという意味も込めてそれを1時間ほどやってみた。

目を閉じたまま、歩いて冷蔵庫を開けて、飲み物を取り出し、飲む。また歩いてトイレに行き、洗面所に行き、手探りで歯ブラシや歯磨き粉を探し、磨く。また、手探りで剃刀を探しヒゲを剃る。リビングに戻るときもまた手探りで。時々、自分の想像とはかなりズレた位置にいたりする。

見えないのだから視覚以外の感覚を使うしかない。何となく自分の感覚が研ぎ澄まされていくような気がした。

と、同時に自分がどれだけ見えるものに依存して生きていたのだろうが、と考えるようになった。

目が見えないと、こんなにも真っ暗な世界なのか。趣味も仕事も目が見えないと楽しめないのだな。

目が見えることがとてつもなく有り難いことに思えてきた。

もし、五感すべて失われてしまったらどうなんだろう?

目は見えなくても、触覚はあるからなんとか歩けた。味覚と嗅覚はあるから飲み物は美味しかった。耳は聞こえるから、外は雨が降っている、水が流れる音が聞こえる、床を歩く音も聞こえる、誰かと会話することもできるだろう。

それらが全部無くなったら…?

無の世界、何も無い世界が待っているのだろう。

それって生きている意味があるのだろうか…?


幸いなことに自分には五感すべて揃っている。

これこそが世界を楽しむために必要なものではないだろうか?

そんなことを思った。