6月16日の朝日新聞「窓」には、世田谷区議員の上川あやさんと父親との関係にまつわるエピソードが掲載されていました。

 上川さんの父親は、損害保険会社の代理店を営み、営業成績は全国上位で威厳のある父親でした。男の3人の真ん中に生まれた上川さんは、ずっと男性として生きることに苦しさを感じていて、27歳の時、初めて母親に打ち明けました。2年後、本人がテレビ番組に出演中、母親がそのことを父親打ち明けました。翌日、上川さんは「話したいことがある」と切り出すと、父親は「何だい?」と受け止める思いのこもった返事を返してくれました。その後、2時間、話し込みました。

 選挙に女性として出ることを告げると、「ただいいと思うことをやりなさい」と応援してくれました。

 今月13日に父親は帰らぬ人となりましたが、晩年の定位置だったテーブルに新聞記事を切り抜いた「上川あや資料集」と自筆で描かれたファイルが見つかりました。

 私も父親として、二人の娘の決断の場面では、その意志を信頼し尊重してきました。唯一、心残りは、春香が左手で描いた漫画をいくつかの雑誌社に応募する際に、少し言い争いがあったことです。決して応募に反対していたわけではありませんが、当時、コロナ禍で自分に余裕がなく、冷たい態度をとってしまったことを反省しています。もしも、春香に逢えるなら、そのことを謝りたいですね。春香は覚えていないかも知れませんが。

 記事を読んで、ふとそのことを思い返しました。