あらためて自己紹介 | haru@こばぜっとのリアルファンタジー

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数々の挑戦や失敗を教訓に自分の人生のテーマである「幸せ」と「夫婦関係」などを軸に色々な思想を書いていきます。

元コンビニ経営者

「自己紹介」

本名は小林 まさはるといいます。
本日から下の名前を活用したいので
「こばぜっと」改め「haru@こばぜっと」にします。
読み方は今まで通り「こばぜっと」でも「はる」でも何でも大丈夫です。

僕は現在43歳で10歳年下の妻がいます。
子供は居ません。

僕は元々在日韓国人で1歳半くらいまでは韓国で育ちました。
しかしその後は日本でずっと暮らしてたので韓国語はほとんど喋れません。

どんな幼少期だったのかというと家庭は夫婦喧嘩で怒号が飛び交い、その度に怖くて兄弟で2階に逃げてました。

そして学校に行くと毎日いじめられていました。
誰からも愛されず毎日泣いてばかりで、自分の意思を持つことができませんでした。

そんな自分は小中学生の頃アニメやゲームが生き甲斐で特にゲームにめちゃくちゃハマってました。

マリオやロックマンなどのアクションゲームが主に好きだったのですが、中学生の夏休みドラゴンクエスト5を貸してくれた友達が居ました。

RPGには全く興味なかったので全く期待してなかったのですが、、
ドラクエ5を初めてプレイした時の感動は今でも忘れられません。

夏休みが終わっても学校から帰ったら毎日毎日貪るようにドラクエ5にくぎづけでした。

なぜこんなにドラクエ5にくぎづけだったのか。
それはドラマチックなストーリーにあると思います。

内容は簡単にいうと
お城で王と王妃の間に男の子が産まれるところから始まります。

そして出産してすぐに王妃は魔物に連れ去られてしまいます。

画面は暗転し夢から目覚めた6歳の男の子がパパスという父親と船旅をしているシーンになります。

そしてその6歳の男の子がまさに主人公なのですが、子供ですからとても非力です。

たくましい父親に守られている安心感や主人公が成長するにつれて繰り広げられるドラマチックな展開は本当に素晴らしいものでした。

主人公は奴隷として10年間働かせられたり、結婚したりもします。
僕は自分ごとのように本当に真剣にプレイしてました。

もしプレイしたことがない方は是非プレイしていただきたいです。
可能であればリメイク版ではなくオリジナルのスーパーファミコン版をプレイしていただきたいと思います。

だいぶ脱線してしまいましたが、そんなドラマチックな展開やストーリーにいつしか憧れを抱くようになりました。

現実社会はいじめや誹謗中傷、家庭や学校でも居場所がなくとても辛い日々でした。
まわりの大人も楽しそうな人は誰もおらず大人になることへの恐怖もあったように思えます。

高校生になるとちょうどドラゴンボールが最終回になりました。

それを機に自分は漫画やゲームの世界から別れを告げ、今まで全く聴いてこなかった音楽を聴くようになりました。

なんということか耳に入ってくる音楽全てが良いと感じるようになり「音楽っていいなー!」と本気で思うようになりました。

はじめはみんなに合わせてヒットチャートを聴いてて「JUDY AND MARY」「trf」「Mr.Children」「スピッツ」「シャ乱Q」「B'z」「ZARD」などを聴いてましたが天邪鬼な自分は周りの人が気づいてないけど「良い曲」みたいなのを欲してる時期がありました。

その頃、1999年5月運命的に出会ったのがヴィジュアル系ロックバンド「Janne Da Arc」でした。

彼らが売れる度に自分が売れているという錯覚を起こすほど熱狂的に応援してた気がします。

好きなものを熱中している自分をなんだか好きになって自己肯定感が高くなっていることに気づきました。
自信もつくと自然と人も寄ってくるようになり彼女もできるようになりました。

とりあえず好きな事をやる。
やりたくないことはやらない。

その思いを大切にしてました。

そしたら人をどんどん惹きつけるようで、色々なことを言ってくる大人が沢山いました。

そしたらだんだん自分にも迷いが出てきて「このままでいいのだろうか?」と思うようになりました。

そんな矢先2006年9月僕が25歳の時、父は癌で他界しました。
父は59歳でした。
母はすでに離婚してて韓国へ帰っていました。

父が亡くなったことにより「自分の意思」というものを強く感じるようになりました。

その頃、同じ趣味の女性と出会います。
それが今の妻です。

28歳くらいになると今まで自分のやりたいことをやってきたつもりだけど、それでも自分の未来に繋がるやるべきことが見えてきません。

「一度はどこかに就職すべきなのだろうか?」とも考えました。

とりあえずバイト経験豊富な自分でもまだやったことないコンビニをやってみたいと思い、東京都港区のファミリーマートのオープニングスタッフを募集してたのでアルバイトとして応募しました。

結果は合格でした。
早朝から昼前までのショートでシフトにはいりました。

そこではひときわ元気な女性の店長の声が響き渡ってました。
「いらっしゃいませー!!」「ただいまファミリーマート自慢のファミチキが揚げたてです!いかがでしょうかー!!」という声が毎日元気に聞こえてました。

店長以外にその声かけをしてる人は居ませんでした。
僕も声かけやったほうがいいと思い大きな声で「いらっしゃいませー!!」「ただいまボスの缶コーヒーが全品100円!!いかがでしょうかー!!」
などと声が枯れそうなくらい声だししてました。

毎日そのようにしてたら店長やオーナーに認められたのか「マネージャーにならないか?」と提案されました。

まだ入って3ヶ月くらいで言われたので正直びっくりでした。

今までずっと避けてきたサラリーマン。
しかしはじめて人から必要とされていると実感しました。
1週間考えてマネージャーになることを決意します。

そして忙しいながらも充実したファミマライフを過ごしました。

2011年2月新しい店舗を出すからそちらのマネージャーをやってほしいとオーナーに言われました。
「店長にはなれないのかなー?」とは一瞬思ってたんですが店長がいるからマネージャーとしての役割を果たせていると勝手に解釈してました。

その頃から色々自分の中で変化が起きていました。
30歳を迎えてスタッフからも慕われ自信もより強固なものになっており前向きな気持ちでいっぱいでした。

しかし自我が強くなったせいかオーナーの考え方が賛同できないと思うような事が増え、店長もチャランポランな性格だということがわかりました。

「色々ここでは教えてくれたけど、ずっとここに居てはいけない気がする」
そんな思いが出てきました。

そこのオーナーのファミマは辞めました。

そして社会に出てみて今まで見たことない新鮮な世界に触れました。
そこでは酸いも甘いも楽しいことも苦しいことも沢山経験しました。

32歳頃になるとどうしたらいいかわからないけど自分のビジネスは持っていた方がいいと思いました。

その頃付き合っていた彼女がどうしても邪魔に感じてしまいました。
だから別れを提案しました。

答えは「NO」でした。

はっきり言われたわけではないけど「一緒にいた方があなたの人生にプラスになる」とのことでした。

ただとにかく「絶対にharuとは別れたくない!」という強い意志は感じました。

その思いに圧倒されてズルズル付き合ってましたが時間が経つほど、別れにくくなり33歳の時にある決断をします。

「そうだ!結婚してコンビニオーナーになろう!」

コンビニ経営のノウハウはあるし、数字もある程度理解できる。
持論も組み合わせていけばきっと成功できる!
そう確信してました。

その話を結婚する前の妻に持ちかけると「絶対にやりたくない」でした。

思った通りの答えでした。

僕は「じゃあ別れよう」と言いました。
妻は「ええ?なんで?」
と何度も平行線を辿る一方。

僕は「この人と一緒にいて理想の未来を手に入れるには結婚してコンビニ経営をするしかない!」と本気で考えてました。

長時間の協議の結果結婚してコンビニ経営をやることになりました。

この結婚とコンビニ経営がキッカケでとんでもないことになります。

記念すべき初の店舗は前オーナーが10年の契約満了だったので、そこを僕が引き受けました。
改装もして新装開店で気合も充分でした。

オーナー兼店長が僕
マネージャーが妻
数人のスタッフで始まりました。

しかしオープニングしてすぐに妻であるマネージャーがお客さんから怒号を受けてしまいます。

運が悪かったのかもしれませんが、妻の性格や接客を見ていると中には不満に思うお客さんもいるのではないかと感じていました。

その場はなんとか乗り切りましたが、その後も夫婦間のトラブルが続出していきました。

いつしかお互いがストレスを感じるようになり(少なくとも僕は)一緒に協力してコンビニ経営を続けていく未来が見えなくなってしまいました。

その頃まだコンビニ経営をはじめて2年しか経っていなかったのですが、ある決断をします。

それはコンビニ廃業です。

廃業を決めた1年後に廃業が決定しました。

つまりコンビニ経営期間は3年でした。

喧嘩も多く息が詰まり安らかに眠ることもできませんでした。

楽しいと思っていたコンビニ経営を続けられる精神状態では無くなっていたのです。

これは本当に極一部の人にしか言ってませんでしたが実はコンビニ廃業が決まっていたにも関わらず新しい事業をはじめます。

それはメロンパン屋のフランチャイズです。

信用金庫から1000万円の借り入れと自身の現金400万円ほどを併せて開業しました。

「ワンチャンうまく行ったらいい」くらいの気持ちで開業したので結果はダメでした。

妻のゴリ押しで自己破産をすることになりました。

自己破産をすることによりクレジットカードが持てない、賃貸ローンが組めない、それによって沢山の人から信用を失いました。

これがキッカケで満ち溢れていた自信や自己肯定感は無くなり、どん底まで落ち、魂も抜けがらのようになり何もかもが嫌になってしまいました。

僕は40歳、妻は30歳
本当に何もかも嫌になり妻にも「本気で離婚して欲しい」と言ったけどやはり「離婚は絶対にしない」でした。

僕は「なぜ?僕は君を幸せできない。だけど君には幸せになってほしい」と言いました。

妻は「幸せとかどうでもいいんだよ。もうここまで来たら一緒に居るしかないの」

僕「どうでもいいわけないじゃないか!幸せでいることが大切なことじゃないか!」

僕は理性を振り切って殴りそうになりました。
殴れば嫌われて別れたいと思ってくれると思ったから。

だけど男が女に殴ることは絶対にしてはいけない。
そのように考えてました。
どんなに頭がおかしくなろうともそれだけは制御してました。

ある日妻は家を出て実家に帰りました。

僕はなんだか突然大声で歌を歌いたくなりました。
叫びたくなりました。

だけどその時住んでる家は木造のメゾネットタイプのアパート。
大声なんか出せない。

その事実に余計にイライラしてしまいました。

僕は都内に夜中でも大声を出せる物件はないかと調べました。
そしてその物件を見つけて「何がなんでもその物件に住みたい」
大声を出したい。大きな声で歌いたい。

そのように思いました。

僕は必死に働いてコンビニのアルバイトとUberで稼ぎまくり目標の金額になんとか到達することができました。

僕は自己破産してローンが組めないので妻の名義で契約することができました。

住むのは僕1人で支払いも僕ですが。

妻は離婚するよりは良いと思ったのか、割と受け入れてくれました。

ポケカラというアプリで歌って沢山の人に聴いてもらって歌ってコメントをもらえることがとても嬉しかったです。
たまにルーム配信やライブ配信もしました。
自分の居場所、存在を認めてもらえた気がしました。

今はポケカラを知らない人にも自分の歌声が届けられるようにYouTubeにも投稿をしています。

そして自分の生き様を嘘偽ることなく見せていってそれが誰かの参考になればそれで良いと思っています。

【Uber eatsに関して】

以前は人と沢山会って経験値を増やして自己を高めることが好きでしたが
自己破産を機に人と会うことが怖くなってしまいました。

だからほとんどコミュニケーションを必要としないUber eatsのお仕事を続けています。

だけど僕と会ってみたい!と思ってくれた方が居たら嬉しいのでメッセージ下さいね😊
人と話すとリハビリになります✨

現在は東京の世田谷区に住んでます。

そして妻から連絡が来るまで、進展があるまではずっと発信は続けるし、マイペースに歌も歌い続けます。

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