春にしては暑いと思う気温から一転、今日は季節が逆戻りしたような肌寒さでした。
昨日は母の日でしたね。
カーネーションやプレゼントをもらったママもいたことでしょう。
はるが生まれて最初の「母の日」。
抱っこした時に、なんだかおててに色がついてるなあと思っていたら、
「はるくんと一緒に作ったんですよ」とカードをもらいました。
描かれたカーネーションの花は、はるの「ぐー」の手をスタンプしたもの。
「おかあさん、いつもありがとう」と書いてあるそのカードは、今も宝物です。
今日は早く帰れたので、テレビを聞き流しながらシンクを掃除していたら
コブクロさんの「バトン」が流れました。
子どもが生まれて「命のバトンを渡した気持ちになった」そんなコメントも流れてきて。
私が両親からもらった「命のバトン」。
つないでいくことはできないなあと考えていると、瀬尾まいこさんの『そして、
バトンは渡された』を思い出しました。
書評ではなくてすみません(^^;
血縁関係がない親子の物語。
親から子、そして孫という「血脈」をつなぐバトンはありません。
でも、登場する大人たちには間違いなく主人公への無償の愛情や思いやりが
あふれていました。
実子でなくても、愛情をそそいで子どもを守り育てるのも、れっきとした「命のバトン」
であり、「血脈のバトン」が全てではないことをこの小説は感じさせてくれました。
職場で後輩に仕事を教え育てて引き継いでいく人。
保育所で、子どもたちを預かる保育士。
学校で生徒たちを育てて社会へ送り出す教師。
それぞれがいろんな「血脈ではないバトン」をつないでいる。
あの日もらったカードを久しぶりに出してみました。
平均的な出生体重の半分ほどしかない小さな体で、こんなに小さな手を
握りしめて、「母の日」に特別な思い出を残してくれたはる。
私は「血脈」という意味では、アンカーとしてバトンをもらうことになりました。
でも、色鮮やかに残る「ぐーの手スタンプ」を見ていると、はるから
別のバトンをもらったように思えてきました。
ゴールできるのは、私の命を走りぬいた時。
ゴールテープの先にはきっとはるが待っててくれる、と感じました。
読んでくださり、ありがとうございます。
明日は「仕事のバトン」をつないできます(*^-^*)