未だ心の傷にはなっていますが、ここで高校時代を振り返るのも一興。
通学路をたどってみました。
田島原線と言う道路らしい。初めて知った。
ここは当時狭い道だった。自転車が走っていると車が追い越せない。
何度運ちゃんに「もっと端っこ走れ!」と怒鳴られた事か。
今や、歩道があって、自転車道まである。
西福岡高校、今は講倫館高校と言います。私たちの頃は最低ランクの高校でした。
前はここは木々が鬱蒼として暗くて、いかにも悪そうな雰囲気でした。
でも、通えるならここが良かった。距離的に丁度良かったんだよなあ。
地下鉄の終点でもある橋本。前は何でこんな田舎にミスター・マックスが?という感じだった。
今は車が多いちょっとした街。
市立西陵高校までの、長い長い坂道の始まり。っておい、こんなところにも自転車道が出来たのかよ。
「行きも帰りも自転車は歩道を走れ」と学校からうるさく言われたなあ。
当時歩道が狭かったので、なるべくなら車道を走りたかった。特に帰り。
生松台は通ってた頃に造成が始まったんです。
長い坂を上ってきて、ようやく平な道になって現れる池。向こうはごみ処理場。
西陵高校への坂道はあとちょっとでおしまい。
んー、どうやらレンズが汚れてたらしい。
三陽高校への入り口とバス停。前に見える建物は老人ホーム。三陽と同じ頃にできました。
当時、学校とは関係ない施設と知って、ちょっとびっくり。
入口の前にある看板。なんか三陽っぽいなあと思って撮りました。「充実した一日だったか!」
ここから見ると、遥か上に聳える校舎。
ここから坂を上って駐輪場へ行き、さらに歩いて登って校舎にたどり着きます。
エスカレーターか、動く歩道でも作ってくれればよかったのに。
グーグルのストリートビューで校門まで。
昔は左のテニスコートの横に駐輪場があったと思う。
今の生徒たちは、下の駐輪場から歩いて上がってるのか。凄いな。
そうなったのも分かる。皆ここからノーブレーキで坂を下ってたから危なかったんでしょう。
で、校門から左に行くと校舎がある。正面の茂みの奥が運動場。
ここからは想像がつかない位、運動場は普通に広いです。
まだ校舎が見えない。
当時はこの約9キロの道のりと教室までを、30分で行ってたんだからなあ。信じられないよ。
当時乗ってた自転車のロードマンはこんな感じの赤。2x6段変速でしたね。5万円は超えなかったです。
通学し始めてから1か月で、スポークが何本が折れました。何人かそんな人がいて、タイヤが変形した人も見ました。
ここまでの自転車通学の過酷さを感じる思い出。