ウィキペディアより ひどい急坂を登った先にある校舎。てっぺんに天文台があります。
三陽とは、あまねく照らす、温かく包む、あとなんだっけ?
私が入学した時は、まだ出来たばかりで中学校校舎が建築中でした。
偏差値は50ちょっと位で、まあ、勉強を熱心にしてたわけじゃないけど、テストでは5,60点くらい平均でとる感じ。
だからか、同級生は気のいい奴ばかりで友達関係は上手くいきましたね。
ただ校風が私にはまったく合わなかったです。やたら厳しかった。特に英語と数学が。
体育も厳しかったな。オリジナルの三陽体操を覚えてこなかった生徒は、体育教師から殴られて鼻血出してた。
体育祭も厳しいばかりで全然楽しくなかったし。
唯一の息抜きは金曜日の書道の時間。でも2年生になったらそれも無くなって息苦しいばかりの学生生活。
そんなこんなでいい思い出は全くないですね。高い金払ってくれた親にはホント申し訳ない。
年月は経って、とても良い学校になったと噂では聞きました。
近所の子が三陽に行って本当に良かったって言ってたんらしいんです。
そんな三陽高校も無くなっちゃうんだなぁ。中村女子高が共学になるんですね。
私としては碌な思い出がない学校が無くなって、せいせいした気分です。ごめんなさい。
でもたしか、創設者の中村ハルさんの理念は男女別学だった筈です。
少子化と、今の男女分け隔て無くという風潮のせいでしょうか。
ああ、そういえば、中村ハルさんと、私のひいおばあさんは同級生でお友達でした。
「努力の上に花が咲く」という中村ハルさんのエッセイに私のひいおばあさんが出てきます。
三陽のあともう一つが分かりました。「自ら燃える」だ。
死んだ顔で学校に行ってたから覚えてなかったのかも。