よく覚えていないのですが、

コズミック・インベンションのオリジナル・コンピューターおばあちゃんを聴いたところから始まったんだと思います。

 

坂本龍一さんが編曲したみんなのうたの時はだいぶ歌いやすくなってる。この時は歌いにくそうだよね。

で、そこからYMOの話になって、テクノポリスの話になったんだ。

 

1979年10月25日発売。

 

東京=テクノポリスって、もう東京は世界に冠たる大都市だっていう感覚があったんだね。

そういえば沢田研二のTOKIOもほとんど同じころ。

 

1980年1月1日発売。

 

そんな話をした翌朝、テレビをつけたらEテレ「ワルイコあつまれ」に糸井重里さんが出ていて、

TOKIOの作詞について話をしていました。なんてタイムリー。

 

んでその日の夜、BS12「カセットテープミュージック」は、後藤次利特集。

後藤さんはTOKIOの編曲を担当した方だ。

スージー鈴木さんによると、民放のゆく年くる年の一発目で沢田研二さんがTOKIOを歌い、

80年代が幕を開けたそうです。なんて象徴的。

 

こんなに偶然が重なるとなると、今世間ではTOKIOが流行ってるんだろうな~。

と思わざるを得ないね。

 

そういえば、この曲が流行った当時、10才位のわたしはイマイチのれませんでした。

どうしても、トキ夫叔父さんの顔が浮かんじゃったのです。