「たま」の本の中で竹中労さんは、「正統への転換は、早くても遅くてもアンサンブルの崩壊を招く」と知久さんに対して指摘した。

ファンとしては、知久さんに対しては「濃密な夢世界」を望んでいたのだが、「アンサンブルが崩壊する」とまで言われれば、知久さんの変身を望まざるを得ない。

この竹中さんの指摘によって、ファンと知久さんの間で妙な緊張感が生まれた。
「知久さんは変わったほうがいいのか、変わらないほうがいいのか」

しかしこれは要らぬ緊張だった。例えば「らんちう」のような夢世界はそう簡単に生まれるものではないし、コンクリートなイメージの曲ばかりではない。それはその後の活動を見れば明らかだ。

それに知久さんは「正統」だ。自分自身の事を歌っている。
そして25年たった今も、書かれた当時とほぼ同じスタイルで歌い続けている。

実際は、4人の中で「正統への転換」を果たしたのは、柳原さんだった。
柳原さんが唯一「正統」ではなかった。「たま」時代の柳原さんの歌詞には自分自身の事が殆ど入っていない。
口から出まかせ言い任せ。「さよなら人類」のレコーディングの時は、途中で歌詞が変わってしまった。「やっぱりそういうものですよ。言葉って、ねえ(笑い)。」(柳原・「たま」の本)

しかし「犬の約束」辺りから自分の事が歌いたくなった。
「たかえさん」はその過程の歌である。「たま」の中で自分の事が歌えるか模索している。

そして’95年脱退を表明する。「正統への転換」を果たしたのだ。
この時、メンバーはショックを受けながらも誰も慰留しなかった。恐らく「これは成長だ」と認識されたからだろう。そして傍で、柳原さんの限界を見ていたのかもしれない。

竹中労さんは読み間違えた。それは恐らく柳原さんに対して最も思い入れが強かったから。
「…私的感情をさしはさめば、僕自身のの青春に最も近いものを、柳原君に感じる。」(竹中・「たま」の本)


だが今思えば、本当の正解は、竹中さんは知久さんにではなく、柳原さんに対してこう書くべきだったのではないだろうかと思う。
「柳原君の口から出まかせ、言い任せの虚言症的反射神経は、そう長くは続かない。やがて「正統な」歌作りに引き戻されて、「たま」を飛び出すだろう。」

「4たま」は元々短命であることが運命付けられていた。
その割には長く続いた奇跡のアンサンブルを、これからも心して聞いていこう。