柔道五輪金メダリスト 斎藤仁さん逝く | ぶり~でん 哀愁の“No.44”

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斉藤仁さんが死去 54歳 

柔道で五輪2大会連続金メダル




斉藤仁氏(14年9月撮影)


 (スポニチアネックス 1月20日(火)10時14分配信)から転載


 84年ロサンゼルス、88年ソウル五輪の柔道男子95キロ超級で2大会連続金メダルを獲得した斉藤仁氏が20日、東大阪市内の病院で亡くなった。54歳。全日本柔道連盟などが明らかにした。青森県出身。

通夜、葬儀の日程は未定で、後日全柔連が発表する。

 13年に胆のうを患い、闘病生活に入っていたが昨年夏に体調を崩し、年末にはさらに悪化、帰らぬ人となった。

 1961年青森市生まれ。83年、国士舘大学卒業後、同大助手となりモスクワ世界選手権無差別で優勝。84年のロス五輪で95キロ超級で優勝し、金メダ ルを獲得した。国内では山下泰裕氏(現全柔連副会長)の好敵手として激闘を繰り広げ、体重無差別の全日本選手権は83年から3年連続決勝で挑んで敗戦。 88年に同選手権を制し、同年のソウル五輪で2度目の金メダルを獲得した。

 引退後は国士舘大教授となり、04年のアテネ五輪、08年の北京五輪では日本男子選手団監督を務めた。その後、全日本柔道連盟の強化委員長となり、13年には女子日本代表幹部のパワーハラスメント問題に携わり、柔道界のモラル確立を目指していた矢先に病に倒れた。


皆様からのお言葉です

何があったのだろうか。中日 大豊といいまだ若い元アスリートが逝ってしまうのは残念です。

昨日の大豊と同じ50代でしょ。
50代なんて、まだまだ、これからなのに…。

貴方と戦った試合が、今でも人生のモチベーションです(涙)
斉藤先生・・・どうか、どうかご冥福をお祈りいたします。

ビックリです。山下との名勝負は良かったです。ご冥福をお祈りします。

え、びっくり!
選手から恐れられかつ尊敬された監督としての姿がつい最近の様に思える。
なんとも残念、どうぞ安らかに。

近年の写真を見て痩せたなぁーと思っていたのですが、まさかこんなことになるとは・・・
残念です。
ご冥福をお祈りします

偶然だろうけど最近、若くして急死する有名人が多い。残念だ。
ご冥福をお祈りします。

マジかよ、すごい元気なイメージが強かったが、体調崩してたのか。
ご冥福をお祈りします。

ご冥福をお祈りします。まだまだこれからという時期なのに。みえないところで健康を害していたのでしょうか?

斉藤さんといえばかつて教え子の石井慧選手が北京オリンピックで優勝した直後のインタビューで、「オリンピックのプレッシャーなんて斉藤先生のプレッシャーに比べたら、屁の突っ張りにもなりません」と発言し、周りの笑いをとってたこと思い出すなあ。
あの大口叩くことで有名な石井選手がそんな発言したことで、石井選手も斉藤監督もすっかり気に入りましたがねえ。

タックルやら何でもありみたいにルールがめちゃくちゃになったおかげで、特に重量級に関しては海外勢が有利になり、指導も大変やったと思う。
井上康生が重量級で勝てる選手を、しっかり育てる事が斉藤先生への供養になるであろう。

昭和時代の国士舘大学柔道部員でした。
体型が似ていたのか?何度も稽古相手を命じられ、幾度となく青畳に叩き付けられましたが、厳しくも後輩思いだった大先輩・・・
自分が卒業後も、年賀状や季節折のお葉書を頂いてましたが、TVに出られた時に「痩せたな」と体調を心配していました。

「山下先輩に勝たねば、自分の前途はない」 

鬼気迫る猛練習を行っていた姿が思い出されます。
斉藤先輩!あの「満面の笑顔」をもう見られないと思うと残念です。
心残りとは思いますが、どうぞ安らかにお休み下さい。
合掌

現役時代の斎藤さんは最後まで

山下さんには勝てませんでした

54歳ですか・・・若過ぎますね・・・

ご冥福をお祈りします