Nachtrag Schützenfest での閲覧式はZapfenstreich ツァップフェン・シュトライヒと言います。2009-11年短い期間で退任したグッテンベルク国防相でさえ連邦国防軍からZapfenstreichを受けました。Zapfen とは飲み物の樽の注ぎ口でStreich/en は「撫でる事」。語の前半ツァップフェンはオクトーバーフェスト初日ミュンヘンで樽に注ぎ口を木槌で叩き込んで言う" O'zapft is" オ・ツァップフト・イス (Das Fass ist) aufgezapft ) 樽は開けたぜ。に繋がる。
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さて本題。
デュッセ大学近くの電子広告塔にも表示されてるドイツ基本法Grundgesetz 75周年記念式典がNRW州都デュッセルドルフであった。ドイツでは100をピザのように四半分した25/50/75を綺麗な区切れの様に扱う見たいだ。写真奥、ボケてるのはリメイク「猿の惑星Der Planet der Affen」用意された折畳椅子に一寸超える程度の観衆であった。国元首シュタインマイヤー大統領から各州に「式典」の指示。周り廻って音楽関連もオーケストラ、コーラスとなりオケの「欧州賛歌」的なCharpentier "Te Deum"一節此はユーロビジョン切替 テーマでも馴染み、そしてEntertainer(映画Stingテーマ)他にパネルディスカッション後ゴスペルコーラス続いて日本人会の男声合唱団が出演した。合唱連盟の声掛けも通常の仕事日でもあり対応したのは結局2団体であった。何れ式典自体正味2時間で有ったからエンタメで30分は十分だったかも知れない。娘家族には出演時間の目安を伝えただけだったが、僕がダークスーツで汗ダクで現場到着すると孫乳母車付きで待っていた。控え室で発声練習終え歌慣れの歌をゴスペルと人数比三分の一、ボリューム2倍の大音量でデュッセ市庁舎の有る旧市街に日独の2か国語演奏をした。娘婿は携帯で録音。演奏直後「おジイちゃん!」と走り寄る下の孫娘、録音には上の孫娘が唱和している部分も有り、爺チャン冥利に尽きる時であった。やっと覚えたアルトビールの歌(日独語) 孫娘も覚えてたドイツ語サビを一くさり

Ja, sind wir im Wald hier ?
Wo bleibt unser Altbier ?
Wir haben in Düsseldorf die längste Theke der Welt.(ja,ja..)

Ja, sind wir im Wald hier ?

Wo bleibt unser Altbier ?

Wo ist denn der Held, 

der mit seinem Geld die Runde bestellt ?

デュッセには世界一長い飲屋カウンタが

あるんだぜ、何処に気前よく奢ってくれる旦那がいるんだろ。

この歌は、一昔前にはよく聴かれたデュッセ所縁のバンド Die Toten Hosen ( Die Roten Rosen )もオリジナルを歌ってたカーニバリストが亡くなった後追悼で歌っています。


ま、その後老舗のアルトビール醸造所経営のレストランに我々は雪崩込みました。因みに、昨年クリスマスシーズンにはその老舗アルトビール醸造元のリトル東京内レストランで「お座敷」(招かれ演奏)を致しました。一杯目はFeuerzangenbowle。ラム酒?にろうそくの熱で溶かされた砂糖がタラ~リ、タラ~リとアルコールに混ざってゆく。(ガマの油的印象。奢り主は店主、即ち旦さん)

来週は2024年「日本デー、ヤーパンタークJapantag 」です。昨年今頃は僕はまだ日本にいました。定期に喉に「声楽発声として強制的に」空気を吐出す事で慣らして置かないといざという時に歌え無くなってしまうからとデュッセの合唱連盟に問合せて現在の合唱団に入りました。ビジネスマンで日本から派遣された多忙なマネージャークラスの人を交えて年配者とで和気あいあいの仲間です。昨年秋にはオーバーハウゼンの平和村・今年春にはベルギッシュラント山沿い地区のハッティンゲンでチャリティー演奏を致しました。其々登壇演目は少しずつ変えメリハリを持った経験でした。

まぁ此でデュッセが僕の第4の故郷になる基礎固めが始まる様相です。


( am alten Schlossturm )

前置き、20世紀初頭はヨーロッパの都市名でdie Welt世界を回ったと言ってました(嗚呼皆までゆふな) ドイツではFernweh と言う表現がある。Heimwehホームシックの逆。即ちfern/far遠く + weh/pain心の痛み=「遠くへ行きたい」症候群。60年代西ドイツは日本と同様に人々の生活が落ち着いてレジャーに目を向けた映画・旅行・流行歌が有った。船乗りSeemannに託した歌他は又別の機会に書こうと思う。


Als Wanderbursch hab ich die Welt durchzogen. Ich war in London,Brüssel und Paris. 俺は世界を見てきた。倫敦、ブリュッセルに巴里迄も。

Doch jedes Mal schlug hoch mein Herz in Wogen.Dacht Ich an Düsseldorf mein Paradies.だが、故郷デュッセを思う度に心は高鳴る。其処が俺の楽園(パラダイス)だからだ。

(サビ)

Am alten Schlossturm zu Düsseldorf am Rhein ライン河沿いデュッセの古い塔辺りには

Da wohnt ein kleines blondes Mägdelein.

可愛い小柄な金髪娘が住んでる。

Ein stilles Weinhaus grade vis-a-vis

Die schönen Stunden dort vergesse ich nie.

真向いの静かな葡萄酒酒屋で一緒に過ごした日々は忘れる訳が無いだろう。

(歌詞2番以降で色々有って、最後に所帯を持つ)


オーストリア・ブルゲンラントの麗しのブルゲンラント娘(独オーデンヴァルト娘)と歌詞の意味合いは粗一緒。

Dort im Burgenland steht ein Haus so hübsch und fein. 

Då wohnt ein Mägdelein. Sie soll mein eigen sein. Die schöne Burgenländerin.

あっこに棲んでるあの娘は俺らの物だ。

(2番)晴れて結婚式になる2人

(3番)

Wo meine Wiege stand, då ist mein Heimatland . Im schönen Burgenland.

俺らの揺り篭Wiegeが有った所が俺らのブルゲンラントなのだ。

(註: Wiege揺篭、Wiegenlied 揺篭の唄、即子守唄)


Radschläger Brunnen ( Altstadt Düsseldorf) 市庁舎近くにあります。

因みに、定例の子供番組の1つSendung mit der MausはWDR(ARD)のSachgeschichte/n一般知識の一環で基本法を「噛み砕いて」説明している。今やMediathekオンラインでKiKa(KinderKanal)、録画せずに観れるから便利になったものだ。( NHKアーカイブの様だ。)