上記国鉄100年記念TVに釘付けにした俳優が亡くなった。主題歌と共に良い思い出を作ってくれた。沢山の記事に紛れググられずに済む様に名前を書かないで静かに冥福を祈ろう。
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あの番組に相前後の71年、寅さん映画が始まったばかりで戦争映画・雑誌「スクリーン」の表紙を飾る女優に見とれ話題作を追ってた同じ頃、中学1年から2年柔道部でも投げられた時に畳へ落ちる衝撃を軽減するテクニック(受け身)が下手くそで毎年懲りずに右側肩を支える鎖骨という骨を骨折で実質見学要員だった僕は其れでもTVは柔道一直線、巨人の星、あしたのジョーすなわち梶原一騎劇画に燃えていた。釜本を抱えメダルに湧いて68年メキシコ五輪辺りからサッカーが野球を追って子供の練習する姿も多くなってた当時、中学音楽の先生「(東京)ボンタ」も放課後は短パンでサッカー部の生徒を見ていたが、僕は「赤き血のイレブン」は見てもチームワークでボールを仲間間でパスしてゴールへ持ってゆく「センス」が解らず、バレーボールでもレシーブしてスパイクに繋げる「意味」を解ってなかった。無駄なボールの移動と解釈してたので一緒のチームの仲間には多分「スポーツする意味が分からないバカタレ」と強い烙印を圧されてた見たいだ。日本のサッカーチーム試合というよりビデオ録画画面を早送り、選手が寄せては返す波の様に見え、時間短縮方法が出来てサッカーチームのドイツ・欧州流のシフトと中南米流個人芸とのニュアンスがなんとなく見えてきた此頃。「ボランチってなあに?」仕事仲間が話す内容に大きなクエスチョンマーク付で聞き流していた。さて奇しくもヨーロッパ選手権が近い。ドイツ・チームの選手で顔と名前が一致する選手が減ってしまった。(サネ・キミヒなど今や若手と言えない。いつぞやエンドラインから敵陣迄一直線に果敢に走ってサポートした姿に感動さえ覚えた。カメラも長いレンジ尺で1つでズームアップ出来る時代の進歩を感じる。)
さて柔道に戻ろう。個人芸の集合となる。高校で少なからず骨折はせずに団体戦・万年次鋒だった僕は其れでも「スポーツ眼」に近い物は持てた。体育の授業でピラミッドを飛び越え受け身をデモする役目までは出来、何とか「メンツ」は保てた。と、今ではオンライン漫画でメカ漫画と同様に柔道テーマのシーンに「動き」を感じている。右コマで、右選手の左足がグッと相手の懐内へ、腰を下げ相手腰へビシッと引っ付ける左コマへ自分が演っていた経験上ヤッタ〜。此れで背負投一本確定。等とみている。最近の漫画はコピペして何度も連続シーンに使ってるようで、手抜きの様で、別の所に(一つのコマに)手を掛けている様子が見られ時代も変ったものだと思っている。

次も現場を細やかに(古い表現ですがストロボ写真) 細切れ超スロー動画画面から拾った絵であると言えます。(この実況感がたまらない。)