昔の神保町交差点・岩波書店地下に雰囲気の似てたウィーンの本屋兼楽譜屋で見つけたツーリスト用会話本の一部を写真で紹介します。文字表記はネーティブ対象。日本語・中国語等たどたどしい「手書き」である。フランク時代にトルコ人のマネージャーと事務所が一緒だったのでトルコ語TRとドイツ語Dのページをコピーして彼の家族の為に渡した事がある。
ベルリンの壁が引き金となってソ連がCIS(GUS)を経て分裂。97年のルーブル危機相前後して古巣の東欧貿易関連の業務になった。当時はテレックス(電話回線でタイプライターの要領で通信、2センチ幅のテープに信号穴がパンチされる)は過去の物でファクス通信でやり取りする。ブルガリアのエージェント宛始めてのファクスに会話本の「有難う」を通常Alphabetで書いたら、返事が思いの外速かった。半年後、現地展示会に出張すると、スーザン・サランドンに似た美女がDobri den(註)こんにちはと挨拶の握手を求めて来た。展示会にはフィンランド人とハンガリー人もいて、一般的な話で「あなた達言葉通じるの?」となったりした。(註: 僕の表現に若干チェコ語らしき表現・発音が混じるので訛扱い) この本は表紙写真でも解る様に相当使った。今やページがバラバラにならない様気を付けて捲っている。その後は業務のマニュアル作成・引継ぎ等で同じ相手とは別展示会で挨拶する程度に成った。其れから10数年の一時ロシアに日本語を解る人が居た時にはロシア・ウクライナ・ベラルーシ3カ国の月の名前の違いを教えて貰ったり、ゲーテの野バラ・スミレのロシア語を教えて貰ったりした。フランクに居た時はウクライナ女性とドイツ語でやり取りした。言語に興味深い時期であった。その相前後して「聖夜StilleNacht」の20ヶ国語のエクセルファイルを仕上げた。フィンランドが最後でfin(n)ishという落ち迄付けて皆にフィードバックした。因みにフィンランド語では歌う事を動詞でlaulaaラウラー、私は歌う= laulanラウランと知ったとき鼻歌のランランと繋げて心がワクワクしたのを覚えている。ヘルシンキ出張した土産のフィンランディアラベルのCDでヘルシンキ大学男声合唱団のシベリウスの物を手に入れたが合唱団の名前の始めの2文字はYLでひょっとしたら後のLは歌に関連するのカナとうっすら思っている。